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ACTorDIE!〜声優業界下層階級哀話〜  作者: 野乃々田のの
第七章 雛沢ももえの放蕩
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7-5「ヒトとしての当たり前」

 二番目に現場入りしたのは浅川奈央とそのマネージャー・【武田】だった。



 荷物や衣装については「楽屋もコインロッカーも無いので、貴重品はマネージャーさんに管理して頂いて、手荷物は必要に応じてスタッフに預けるか貴重品と共にマネージャーさんに持って頂く事になります。あと、衣装もありませんのでご自身で用意をお願いします。」と事前に送られた資料の中で説明されていた。

 なので浅川の今日の手荷物は必要最低限のコンパクトな物だ。服装もそのまま衣裳として使える様なスッキリとしたパンツスタイルでまとめている。



 武田はバックステージのロビーから周りを見回した。

 壁に沿って置かれているソファーとウォーターサーバー、

 2階の副調整室(サブ)へ続く階段、

 トイレ&配信ブースに続く通路、

 自分達が入って来たホール裏口へ続く通路……

 それと、あと個室が2つある。

 個室のうちの一つは倉庫、一つはスタッフルームらしい。


 全体的に簡素な作りで、如何にも必要最低限の設備と空間があるだけの会場といった印象だ。少人数のトークショーや講演会や集会ならどうになるが、演者の出入りが激しいイベントなどはこの規模と構造だと難しいだろう。スタッフの人数も最小限らしく、人の気配はあるが今ロビーにいるのは浅川と武田だけである。


「チケットは抽選販売の30席が即完で、配信も中々の売り上げって話だったんですけどね。なら、もうちょっといい会場借りりゃよかったのに。」

「先に会場を押さえて募集をかけたら、思いの外反響が大きかったんじゃない?私もこの作品にまだこんなにファンが残ってたのかってビックリしたもん」


 眉をひそめる武田と至極落ち着き払った様子の浅川は何とも対照的であった。ともすれば少しそそっかしいサラリーマンと女上司、という構図に見えなくもない。



 すると、倉庫の中から男が出て来てドアに『楽屋挨拶不要』と汚い字で書かれた紙をベタッと貼った。男は浅川と武田の姿に気付いて軽く会釈をすると、倉庫に戻って扉を閉め、中からガチャリと鍵をかけた。


「楽屋挨拶………?」

「ああ……あれ、赤波さんの楽屋らしいですよ」

「楽屋?倉庫じゃなくて?」


 武田は以前、このイベントの打ち合わせに事務所にやって来た不潔で口の悪いADが「あーすんません、赤波さんだけ楽屋作れー、作んなきゃ出てやんねーとかマジ鬱陶しい事言い出しちゃったんで、作っちゃいます。当日さぞ目障りだと思うんですけど、気にしないで下さい。」と漏らしていたのをしっかり覚えていた。

 なるほど、赤波にとって楽屋挨拶とは「来させる物」であり「自ら行く物」では無いようだ。


「………荷物、どうされます?」

「うわぁ!」


 いつの間にか側に音もなく近付いていた小柄で痩せ形の男から声をかけられ、武田は身を震わせて驚いた。男は小さく落ち窪んだ目で武田を見つめ、再び言葉を発した。


「あ、すいません。自分、雑用係でして。」

「あ、ああ……どうも。」


 にしても、もう少し言葉のかけようがあったろうに。

 雑用係は物腰こそ柔らかいがその目のビー玉の様な光のなさといい、言葉の抑揚のなさといい、感情の読み取れない表情といい、どうにも全面的には信用ならない得体の知れなさと「険」の様なものがある。言っては何だが、こういう現場のスタッフが一番持ち合わせていてはいけない雰囲気を持っている。


「今日スタッフが少ないんで、演者さん方の身の回りの事は自分の方で伺います。イベントの内容について伝達や変更があった場合は、別の者が伝えに来ますので。」

「……はい、分かりました。宜しくお願いします。」

「で、荷物はどうされますか?私がお預かりするか、マネージャーさんの方で管理されるか……」


 質問された武田が浅川に目線をやると、彼女も武田が雑用係に感じた訝しさを気取けどったのか、小さな声で「武田君、お願い」と言って小さめのカバンを武田に手渡した。


「荷物は僕の方で管理しますので預かりは結構です。ありがとうございます。」


 武田が物腰柔らかく断ると、雑用係は軽く会釈をして離れていった。



 三番目にやって来たのは阿松幸子。

 打ち合わせの時に強めに釘を刺された「オシャレ」を本人なりに頑張った結果出来上がったファッションは、出来の悪いガキの親の授業参観の様な「一応の『よそ行き感』はあるもののどうしても清潔感以上に貧乏臭さが前面に出てしまう」という、如何にも中下流家庭にありがちな背伸び感とセンスのなさが際立ってしまっていた。

 例の口の悪い不潔ADは会場入りする阿松の姿を見かけるなり露骨に舌打ちをし、本人に聞こえる様に「あんだけ言ったじゃねぇかよ、バカが。また俺がPに怒られんじゃねえかよぉ」と吐き捨てた。


 阿松はこれまで貧乏な夫と共に多くの向かい風に晒され数々の「ヒトとしての当たり前」を諦めて来たからか、楽屋もロッカーも用意されていない劣悪な環境を何の疑問も抱く事なく受け入れ、あっさりと雑用係に私物を預けてロビーに入ってきた。


「恐らくアイツぁ、今後もありとあらゆる蹂躙と搾取と冷遇に笑顔のまま晒されて、自分が不幸である事にもその原因が己の奴隷気質だっつう事にも気付かずに生きていくだろうぜ。しょうもねえ人生だな、ったくよお。」


 口の悪い不潔ADはそう言って阿松を断じた。

 


 阿松はロビーにいた浅川との再会を何とも無邪気に喜んだが、その後すぐ現場入りして来た雛沢ももえとは目も合わせず言葉も交わさずお互いを避け続け、しかし他に待機場所もないのでロビーの端と端にそれぞれ雛沢と阿松が陣取り、そのちょうど中間あたりに浅川と武田がいるという奇妙な状況になった。

 この2人も久方ぶりの再会だったろうに、まるでつい最近修復不能な喧嘩でもしたかの様な空気であった。


 意を決して歩み寄り「お久しぶりです、今日は宜しくお願いします」と挨拶した浅川に、雛沢は「あ、はい。おなしゃす……」と消え入りそうな声で返事をしたのち、全身から強力な「これ以上絡んで来るな電波」を発した。

 それまで阿松が醸し出していたぎこちなくもまあまあ明るい場空気が、雛沢ももえの出現で一気に重苦しく冷たい物になった。



 この会場にいる4人の演者たちは今から約25年前の3ヶ月、確かに同じ釜の飯を食った。

 だが25年という月日を経て4人の間に生まれたのは、友情でも、信頼でも、親愛の情でもなく…どうやっても縮めようのない社会的地位の格差と、それに端を発する相容れなさであったのである。

 得体の知れない居心地の悪さと緊張感に、若い武田はただただ俯く事しか出来なかった。



「雛沢さんすいません!進行の打ち合わせがあるんで、こちらまでお願いします!」

「あ、はい」

 今日のイベントの司会進行を務める雛沢ももえがスタッフに呼ばれ、スタッフ側の控え室に入っていった。

 すると、阿松幸子が突如生き返った晩夏のセミの様に立ち上がり「そうだ!なんだかんだで会えたら喜んでくれる筈なんだから、やっぱ挨拶はしとこっと!」とどだい独り言とは思えないボリュームの独り言を口にした後赤松の楽屋……という名の倉庫に突撃し、当然の様に罵声を浴びせられてしょげて帰って来た。ソファーにへたり込んだ彼女は、その後本番まで一才口を開く事はなかった。

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