6-5「魂を殺し、志を殺して」
女優として行き詰まり、流れ流れて行き着いた声優という職業にも馴染めず……ほうほうの体で転がり込んだ演劇の世界もまた徹底した村社会であった。
旧態然としたしきたりが幅を利かせるこの伏魔殿で、赤波は幾度となく壁にぶつかった。
こと、アニメの現場で無意識の内に身についていた「アニメにアテる為の芝居」は、商業演劇の場では強く敬遠された。
「今ここアニメの収録スタジオじゃないからねー」
「可愛い声とか要らないんですよー」
「アニメオタクにしか通用しない芝居しないでくれる?」
「アンタがやってた子供騙しの現場と一緒にされたら困るんだよ」
「台本読みの時だけはイイんだけどなあ、君」
『オタクに媚を売るしか能のねえアニメ芸者如きが一丁前に役者ヅラするんじゃねえよ』という嫌悪と蔑みの視線は殊更に堪えた。
が、この時点で赤波も通算芸歴10年越え。ぼちぼち若手の域を出て、中堅に足を踏み入れようかというキャリアである。屈辱を飲み下し、新しい仕事に順応する為の手段はそれなりに心得ていた。オーディションや稽古の傍ら、ボイトレに通い、肉体改造に勤しみ、空いた時間を観劇と映像鑑賞に当て、一流の俳優が如何なる身体操作で人目を惹きつけるパフォーマンスをしているのかを必死に観察した。
一日24時間中、睡眠以外の全ての時間「芝居」の事だけを考えるという、プロとしてはかくあるべき、しかし現実的には難しい生活を、本当にやってみせた。
そして2年程の歳月をかけて、あらゆる若手・中堅声優を凌駕する繊細にして大胆なパフォーマンスと、オペラ歌手もかくやと言わんばかりの歌唱をも可能にする太くて声圧の強い声を手に入れた。この臥薪嘗胆は必ず報われる……赤波はそう確信していた。
しかし、2年も経てばトレンドは変わる。
赤波が手に入れたスキルはポップスターを求める業界のニーズと逆行していた。
「今ここ新劇の現場じゃないからねー」
「そういうリアリティのない声要らないんですよー」
「オーバー60にしか通用しない芝居しないでくれる?」
「アンタが居た古臭い現場と一緒にされたら困るんだよ」
「台本読みの時から、どうもアンタだけ他の役者とフィーリングが合わないんだよねえ」
赤波のたゆまぬ鍛錬と努力の結晶を、世間は認めなかった。
あの時に。
声優の仕事でスターダムへの階段を不本意ながら駆け上がっていた時に……魂を殺し、志を殺してアニメ芸者に徹していれば、今頃は実力派の中堅声優なぞと呼ばれて声優業界という小さな島の片隅でオタクに悪態をつきつつ小銭を稼ぎ、仕事が減って来た所で何処ぞの専門学校の講師に収まり、薄気味悪いオタクのガキの中から役者としての技能や適性が優れた奴ではなくルックスがマシな奴をつまみ上げる、後進の育成などとは名ばかりのやり甲斐詐欺を生業にする…そんな人生があったかも知れない。
そう考えた事が、幾度もあった。
そしてその度に「死んでも御免だ」と思い直し、前を向いてきた。
そこに「俳優」「役者」の矜持など、ないではないか。
これらの屈辱の記憶を反骨に変えて来た赤波にとって、声優時代の記憶はその反骨を呼び覚ます忌まわしき因子の一欠片でしかない。が、今目の前に居るクソマネージャーはその苦悩を一向に理解しようとしない。ふざけやがって。
「ゆくゆくは声優の仕事の比率をまた増やしていけばいいじゃん。最近声優もテレビの仕事が増えたりしているし、そこで顔を売っていけば色々と広がりが生まれていくかも知れないじゃない?」
「アタシはあのアニメ芸者どもの括りの中に入れられるのが嫌なの!何でわかんねえんだよ!」
赤波はヒステリックに叫んだ。下らないこだわりかもしれない。
だが、今はあくまで『舞台俳優』『ミュージカル女優』の肩書きとプライドに縋らなければならなかった。たとえそれが、成り行きに成り行きを重ねた結果であってもだ。
「こんなシャベぇ仕事一つでドヤってんじゃねぇよ!」
谷地はキョトンとした顔で沈黙した。赤波の剣幕に呆気に取られている訳ではない。「また始まった」と鼻白みながら聞き流しに入る時のコイツの癖だ。赤波の頭に瞬時に血が昇る。
「こんな小粒の仕事取って来るくらいなら、もっと太い映像の仕事取って来いっつってんだろ!」
無理筋である事は百も承知だ。
が、止められないのだ。
自分は今、芸歴の長さを傘に来て年下のマネージャーに八つ当たりをするという、タレントとして最も卑しく、恥ずべき行為に走っている。
止めなければ。
今すぐに止めて、言い過ぎを谷地に詫びなければ。
……………という後ろめたさは「そんな行動に自分を走らせた事務所が悪い」という自分勝手な責任転嫁論にいとも簡単に塗りつぶされた。
「役立たずが!使えねえなお前ホントによ!」
「………………………………………………………………………おい」
「!」
いくばくか長く、数分程に感じる……しかし実際には2秒程度の重く冷たい沈黙ののち、谷地は突然赤波を真っ直ぐ見据え、人が変わった様な冷たく低い声で威圧感を湛えながら話し始めた。
「お前、いつからそんなに仕事を選べる立場になった?」
「………!」
「言ってみろよ」
赤波の胸中に、拭い難いねっとりとした焦燥と「しまった」という後悔の念が去来した。
「言ってみろっつってんだよ」
赤波は応えない。
否、応えられない。




