6-6「屈辱的な敗走の果ての都落ち」
実際、赤波は今のところ一年先以降の仕事が決まっていない。
現在の公演が2ヶ月先までは続き、その後はまた別の舞台公演が控えているのだが、更にその後のスケジュールは白紙だ。売れっ子ならば数年先までスケジュールが真っ黒だったり、舞台と並行してテレビのレギュラーやCMや文筆業や講師業などで継続的な収入を得られたり様々な学びを得られたりするのだが、赤波にはそういった物が一切なく、現状その仕事のペースは盤石どころか堅調とさえ言い難い。
公演期間中の合間を縫ってオーディションを受けたりはしているが、政治力の壁や年齢の壁やタレントパワーの壁に阻まれてか、現状目ぼしい成果は出ていない。
あらゆる芸事がそうである様に、商業演劇の世界もまた苛烈な競争社会である。
テレビや映画に比べて更に少ないパイを、宝塚や劇団四季の様なメジャー劇団出身者や音楽学校出や小演劇上がり、テレビドラマや映画界隈からあぶれて来た都落ち俳優などと奪い合わねばならない。
かつて赤波のライバルとなり、そしてその背中をいとも容易く踏み台にしてのし上がって行ったのが、アイドルグループを卒業して、もしくは在籍中のまま次のステップ(テレビ・映画系の女優)への中継ぎとして舞台というフィールドを選択する、いわゆるアイドル系若手女優であった。
大概のヤツはテレビタレントのなり損ないの様な奴ばかりで、稽古に合流してからゴリゴリの演劇畑の共演者との力量差を見せ付けられたり露骨にいじめられたりメディア向けの記者会見で明らかに自分だけ馴染めていないのを晒されたりしてメンタルをズタボロにされて消えて行くのだが、数年に一度「そこそこ歌が上手くて演技力もある舞台志向のアイドル崩れ」という人種が現れては、赤波が何年もかけて登った階段を一段飛び二段跳びの快足で駆け上がって行った。
中には技量も集客力も経験もないのに芸能界の有力プロデューサーを後ろ盾に舞台畑にやって来て、共演者や関係者から白い目で見られながら大仕事をやり遂げた充実感だけを持って帰って増長し、ヘタクソなまま売れて行ってしまう不思議な輩もいた。
奴らの武器はアイドル時代に付けた固定ファンを劇場に連れて来れる集客力と、アイドル時代に培ったステージ勘とクソ度胸であった。
無論、かつては赤波も声優の仕事で付けたファンを劇場に連れて来て、方々の劇団から有り難がられた。が、移り気なオタク共はすぐにより若くて可愛くて何よりオタクの味方で居てくれる若い声優に鞍替えして行くものだ。赤波のバフは驚く程早く、そして呆気なく切れた。
時が経つにつれ、赤波の配役の順列は段々後ろになり、親しかった筈のスタッフがよそよそしくなり、自分を取り囲んでいた人間の数がひとりふたりと少なくなっていき、オファーされる舞台のスケール……劇場のキャパが、携わる人間の人数が、右肩下がりに萎んでいった。
赤波も、もう分かっているのだ。
仕事を選んでいる場合では無い、と。
だが、頭で理解はしていても、心と体の芯にまで染み込んだ声優という仕事やオタクビジネス業界の体質とそれに関わる全ての関係者の雰囲気、何よりそのフォロワーたるオタク達への苛烈な嫌悪感は、如何な手立てを以っても如何な理由があっても容易に払拭出来る物ではない。
赤波とて舞台の世界で成功を収めて心に余裕が生まれたら、声優時代の嫌な記憶も懐かしい思い出として自然に浄化されゆくものと思っていた。
ところが、それらは時が経つ毎に消えてゆくどころか、かつて轡を並べ自分の背中を追い抜いていった男優・女優達の華々しい活躍を目の当たりにし、自らはそこ迄辿り着けなかった口惜しさに苛まれ、今尚その事への未練を断ち切れぬ現状の中で益々膨張し、赤波の心中に濃い瘴気をもたらしていた。
だからこそ、このタイミングでの「魔法少女キューティー☆フレイル25周年記念イベント」とやらへの参加は、如何とも耐え難い苦痛を伴う物に違いなかった。
が、今の谷地にそれを理解させる事はいたく難しいだろう。むしろそれを承知の上で、こんな不愉快な仕事を充てがっている可能性だって十二分にある。二流のクセして扱いづらいタレントへの制裁として。
「お前よお……いっぱしの女優ヅラしてても、世間もギョーカイもお前の事なんぞオタクのズリネタとしか見てねえぞ。その現実から目を背けるな。」
「………」
「アニメのイベントは久しぶりなんだろ?いいじゃねぇか、今まで勿体ぶってた分、ここで出てやりゃいい。『赤波真麻、帰還』って銘打ちさせりゃあタイタニアレコーズにも貸しが作れる。お前に今後声優を続けるつもりはなくても、今回出来た貸しを盾に事務所は若手を売れるからな。」
帰還……?
帰還などでは無い。屈辱的な敗走の果ての都落ちではないか。
かつて心無いオタク達が自分にぶつけた「どうせ舞台の方ですぐに通用しなくなって、尻尾巻いて声優の方に戻ってくるんだ」という言葉が現実になるだけの事ではないか。
「返事はァ!」
赤波が尚も黙っていると、谷地はおもむろに胸ポケットに挿していたボールペンを抜き、赤波に向かって投げつけた。ボールペンは赤波の髪を掠め、すぐ後ろの壁にぶち当たって乾いた後を立てた。
すると、谷地はスッと穏やかな顔つきに戻り、
「じゃ、打ち合わせの件宜しく。タイタニアレコードの岸野さんがいらっしゃるんで、粗相のない様にね。」
と朗らかに告げて歩き去った。
赤波は谷地の唐突な「これ以上てめえのワガママは許さんからな」という意思表明に、ただ戸惑い、足をすくませる事しか出来なかった。
◆ ◆ ◆
「おい、赤波よお」
赤波が帰り支度をしていると、事務所のチーフマネージャーが声を掛けてきた。かつての赤波の担当マネージャーであり、濡れ場しか見どころのないAV同然の映画のオファーが来た時「出りゃいいじゃん」と言い放った男である。
「お前また、谷地に『アレ』言っただろ?」
「アレ?」
「『使えない奴だ』って。」
「………」
「前に言っといただろうが。アイツ、過去に何があったのか知らんけど『使えない』って言われるとヒトが変わった様に暴力的になるんで、コッチも扱い辛くなって困るんだよ。迂闊な事言ってくれんなよ。」
「だってアイツ、保留のままにしとけって言ってた仕事を勝手に受けちゃったんですよ。今から断れって言っても聞かないし。」
「そりゃまあ、仕事が減ってるお前の事を思っての事じゃねえの?」
付き合いが長いチーフマネの言い草には容赦が無かった。
「……こっちにはこっちのブランディングがあるんですよ。」
「やりたい事と求められる事は得てして違うもんだ。この業界、長いんだろ?分かるだろうよ?」
分かっている。
だからこそ、かつて脱げ脱げと囃し立てた奴の事なぞ信用出来る筈がない。
「とにかく使えないモノは使えないんですよ!この後、台本読みあるんで失礼します。」
赤波は鬱陶しげに会話を打ち切り、チーフマネージャーに背を向けると一目散にロビーを後にした。チーフマネージャーはそれまでの飄々とした笑顔から急にデスマスクの様な感情の伺えない顔つきに豹変し、口元を歪めて舌打ちした。
「使えないのはお前の方だってんだよ、バカが」




