6-3「訳分かんねえ事言ってんじゃねえよカス」
「あ、あの………」
「……あ?」
本番2ヶ月前の初回打ち合わせの日。
とし子の前にヨレヨレの服とボサボサの髪で現れた、清潔感という言葉を前世に置いて来たかの様なスタッフ(プロデューサーでもディレクターでもないADらしい)は、売れっ子の声優が相手なら絶対に出さないであろう気の抜けた声で返事をした。
この日、この不潔ADと対峙したとし子は挨拶も程々に「この企画、元々私が他の演者さん達に提案していたプランを盗んだんですよね?」と鼻息荒く言い掛かりをつけ、あわよくば発起人の1人に名を連ね、ギャラの上乗せやタイタニアレコーズが今後制作に関わるコンテンツへの出演を要求しようなどともはやゆすり以外の何者でもない事を真剣に企み、愚かにも実行に移した。
が、常日頃からあらゆるモラハラとパワハラに晒されているADが活力の衰えた中年女の恫喝程度で怯む筈もなく、とし子は至極冷淡に事の経緯を説明されて順当に大恥をかき、不潔ADに自分より汚い物を観るかの様な目でねめつけられながら打ち合わせをスタートするハメになった。売れてもいない中年女声優にいきなり訳の分からない因縁を付けられたADの顔には「今度何かカマしてきやがったらマジで殺すからな」といわんばかりの静かながら苛烈な怒りと殺意と蔑みと不信感が浮かんでいる。
おかしい。柳瀬が描いた絵では、今頃コイツは血相を変えてボスに電話し、雛沢ももえへの財的補償や然るべきポジションを約束する為の相談を始めている筈なのに、このブチギレ具合はそれどころではない。
意気消沈という言葉も生温い程に生気の衰えた面持ちのとし子は「どうか殺さないで下さい」という怯えをその顔に浮かべながら、意を決して不潔ADに尋ねた。
「あの…他の演者さんって、この打ち合わせの時……どんな感じでした?」
「どんな感じ……とは?」
不潔ADは即座に、受けた質問をそのままそっくり突っ返した。
とし子の質問を咀嚼する事なく食い気味に出たその返事は「訳分かんねえ事言ってんじゃねえよカス」と同義であった。
「いえ、こんな昔のアニメ、みんな覚えてくれてるのかなあ…って。阿松さんはともかく、他のお二方は今すごくお忙しいじゃないですか。」
「……ああ、そういう事すか。」
「よくスケジュールが取れましたよね。それがスゴいなって。」
別に浅川と赤波が忙しいんだかどうだかは知った事ではない。阿松はパートであくせく働かなければならないので忙しくはあるだろうが。それよりもとし子がこのイベントの開催を企画した時に、引退の時点でもうやり切ったからと出演を固辞した阿松、声優という仕事や肩書きへの嫌悪感も露わに断りを入れてきた赤波、返事を返してさえ来なかった浅川………自分の誘いをけんもほろろに断った3人が、どんな理由や心境でこのオファーを受けたのか気になったのだ。
まず、バックがタイタニアレコーズというしっかりとした会社である事は理由の一つだろう。後はたまたまスケジュールがあったのか、ギャラが良かったのか。
「作品への思い入れの強さゆえ」というセンは、根拠こそ無いが多分ないと踏んだ。引退した阿松はともかく、それなりに仕事が充実している浅川と赤波の2人はこんな古臭くてマイナーな過去の仕事の事なぞロクに覚えちゃいないだろう。もしとし子自身が浅川や赤波の立場なら、必ずそうなると断言できる。
「……いや、僕もよく知らないんスけどね……」
ADは「さっさと終わらして帰りてえのに足止めする様な質問すんじゃねえよバカが」という空気丸出しで気だるげに話し始めた。あと1〜2回会話の進め方を間違えたら問答無用で殴りかかって来そうな雰囲気だ。
「まず阿松さんは『もう一般人だから』って一回断られたんですけど、ギャラを上げて再オファーしたらあっさり受けてくれたらしいっす。」
やはり阿松は金に困っていた。
とし子に生意気にもグダグダと能書きを垂れておきながら、目の前に小銭を置かれりゃこの体たらくである。ド貧民が。
「あの人の打ち合わせも自分がやったんスけど、全身安っぽいファストファッションで出て来て、うわあ……ってなっちゃってねぇ。当日あの感じで来られても困るんでそこら辺はキツく言っといたんですよね、へへっ。」
先程まで不機嫌一途だったADの顔に、決して好きにはなれない下卑た笑みが浮かんだ。どうやら人の悪口を言うとイキイキするタイプらしい。
ふと、とし子は自分の会った時と阿松の装いを思い浮かべた。恐らくこのADと会う時もあんな格好でノコノコ出て来やがったのだろう。自分の二回り近く年下であろう若造から「イベント当日はもっとマシな服着て来いよボケがよぉ」と指摘されて、どんな気持ちになったのだろうか。想像するだけで滑稽さと背筋が凍る様な気恥ずかしさが入り混じった、妙な笑いが込み上げてくる。
「赤波さんの方は一回打ち合わせで話聞いてから決めるってな回答だったんで自分が説明に行ったんスけど、そしたら『何でADが出て来るんだ、プロデューサーが直に出て来るのが筋だろう』っつって本題に入る前に怒り出しちゃって。」
……まぁ、そりゃそうだろう。何なら当のとし子だって今目の前にいるのがコイツである事が不満で仕方ない。
自分がさほど上等な人間でないと自覚しているとし子でさえ軽視されていると感じるのだから、プライドの高い赤波にとってはさぞ屈辱であったろう。
「で、仕方なく後日プロデューサーが出てって改めて話をする事になってるんですけど、もう今のうちからメチャメチャメンド臭いらしくってー。」
にしてもこのAD、さっきから恐らく本来喋ってはいけないであろう事をよくもこう簡単にベラベラと喋るものだ。口が軽いにも程がある。とし子はこの打ち合わせの中で、自分が他者に漏らされると困る身の上話なぞをしてしまっていなかったかを脳内で慌てて逆算した。
「パンフレットとかサイトに載せるプロフィールの内容がメチャクチャチェックが厳しいんですって。肩書きを『女優』にしろとか、出演作にアニメやゲームを載せるな、舞台のタイトルを載せろとか。そもそもまだイベントへの出演を決めてもいないのにですよ。何様なんすかね、あの人。もう自分は声優じゃなくてアーティスト様でーす、みたいな気分なんスかね。」
ADはヘラヘラしたトーンの喋りと目だけ笑っていない奇妙な笑顔で赤波をなじりつつ、とし子に同調を求めた。とし子が気の利いた答えを返せずただ黙っていると、ADはつまらなそうに一回鼻を鳴らし、言葉を続けた。
「……ってな感じで、実は赤波さんだけまだ本決まりじゃ無いんです。最悪、赤波さんはコメントだけになるかもって想定の進行台本も、並行して今準備してます。ま、そん時ゃそん時なんで。」
とし子は赤波の事務所から返送されてきたトゲトゲしいメールとこの不潔ADの証言から改めて確信した。やはり赤波は声優という職業とアニメというカルチャーやそのファンのオタクをとことん見下し、嫌悪していたのだ。
「じゃあ浅川……さんは?」
「あー、浅川さんは仕事断んない事で有名じゃないですかー。」
……そうなのか。
先立って自らが企画したイベントへの誘いを彼女にガン無視された事は、もちろん黙っておいた。




