5-10「そんな人生、肯定させてたまるか。」
(何なんだコイツ、さっきから………!)
とし子はぶら下げた餌にことごとく食いついて来ず、尋問の様な質問ばかりを返して来る阿松幸子に心底イラついていた。
この女ときたら自分と同じ卑しい貧民……否、ヘンテコな男との駄縁を断ち切る事も出来ずこのまま野垂れ死ぬ未来が確定しているド貧民のくせに、とし子の熱弁を死んではらわたを食い荒らされた後の草食動物の様な、恨みがましく反抗的な表情で聞いている。
これ程までに簡単で確実な成功が約束されているプロジェクトに何故乗ってこないのか。この愚鈍女に内心を全て見透かされているのではないかという不安と焦りがムクムクと膨らむ。
おい、ド貧民。
アタシはアンタにチャンスを与えてやってんだぞ。
何ボサッとしてやがる。
勘が悪いのか案外プライドが高いのか知らないが、ガタガタ抜かさずサッサとアタシに縋り付いてアタシの思うままに働け。
気は利かねえし頭も悪いから営業にもパシリにもまるで使えそうにないが、それでもアタシの大願の成就には取り敢えずアンタの体と声が必要なんだ、手間かけさせんじゃねえ。
「私ね。」
「………うん?」
阿松が唐突に口を開いたのでとし子は若干慌てた。
「今の生活に、それなりに満足してるんだ。」
「…………!?」
阿松が次いで口にした言葉に、とし子は目を剥いて驚いた。お前、本気かよ。そんな物乞いみたいなナリで何に満足してるって!?
「まあ生活は苦しいし夫は怒りっぽくて困った人だけど、その中で小さな幸せと楽しみを見つけながら、一歩一歩歩いていく。そんな人生を歩んで行けたらなと思ってる。」
つまりコイツはこれまでの不幸で惰弱な人生を、これからも送っていくつもりなのだ。
ずっとずっとずっと、その身に降りかかる不幸や災いを受け入れたり諦めたりしながら、その合間合間にまれに訪れるちっぽけな幸せを心の拠り所にして。とし子は困惑を超えて恐怖さえ感じた。
「……そんな生産性のない負け犬人生、アタシは嫌だよ!」
当たり前だ。
そんな人生、肯定させてたまるか。
もしそれをよしとしてしまったら、今苦境を脱しようと足掻いている自分の存在はあっという間に否定されてしまう。そんなバカな事があるものか。
「阿松さん、落ち着いて聞いて。もう一回言うよ。このイベントを成功させれば、声優活動の再開の目処が立つかもしれないし、そうすれば生活ももっと楽になるんだよ?分かるよね?」
「私はもう今以上の生活を望んでいないの。声優としての活動も、もう20年以上前にやり切った。私には勿体無いくらいの充実感に満ちた、幸せな時間だったわ。」
阿松は『NO』と返事をする為の助走に入った。ふざけんな、お前の望みや充実感なぞ知った事か。ブチ殺すぞ。
「ねえ、頼むよ!アタシはアタシを虐げて見下してハブったりして今もギョーカイの上の方でのうのうとしてる連中を見返したいんだ!協力してよ!」
「そんな魂胆で立ち上げたイベントなんか、絶対上手くいかないよ。」
「………!」
阿松はここで初めてピシャリと明確にとし子を糾弾した。
その佇まいは、普段はおっとりしていながら有事には明晰な頭脳と優しい心で魔法少女達を導く勇気の使徒……かつて彼女が「魔法少女キューティ☆フレイル」で演じた、あのエペの勇姿を思わせた。
相対するとし子の胸中には憤怒の炎が燃えたぎっていた。
稼ぎもなければバカな旦那とも別れられない惰弱な女が、事もあろうにチャンスを与えて下さっているとし子様に逆らったのだ。冗談ではない。
頭に血が上り、脳細胞がものすごいスピードで死んでいく。押し寄せる不規則な情緒のうねりが心拍数を上げる。
「因果律、って知ってる?」
「……何の事よ?」
「全ての出来事には、必ずそうなった原因がある…って考え方の事だよ。人を思えば相手も自分を思ってくれる。人を呪ったり恨んだりすれば、それもいずれ自分に返ってくる。」
「今はそんな話をしてるんじゃないでしょ!?話を逸らさないで!」
「いいや、そういう事だよ。昔あった事も、今のももえさんの状況も。」
コイツ……アタシの事を、アタシの今を、アタシの全てを否定しやがった!
弱っちい虫ケラのクセに!
「そんな事ばかり言ってたら、またその報いが自分に降り掛かってくる事になるよ?」
「………なら………。」
「何?」
「なら、アタシにありとあらゆる罵詈雑言をぶつけて虐げて、今ものうのうと生きている奴らはどうなんだよ。」
とし子にしてみれば、阿松の解釈は余りにも楽観的で性善的で、すなわち愚かだった。徹底的に抗わねばならなかった。
「アイツらはこの社会の何処かに溶け込んで、家庭を気付いて、ガキを産み育てて、何不自由ない暮らしをしてる。もしその因果律ってヤツがあるのなら、そいつらに天罰が下っていない事に大きな矛盾があるじゃない………!」
「そうだね。」
「それなら、そういう奴らに足蹴にされたアタシの報われなさにも、救済があって然るべきだよ!アンタの言い草は間違ってる!」
幼稚な考えである事は百も承知だ。が、今はどんな強引な論法を用いてでも阿松を否定したかった。コイツの言い草を認める訳にはいかなかった。
「それはそれ、これはこれよ。」
阿松はとし子以上に強引な……しかし強力な一語で、とし子の駄々を一蹴した。
とし子は悟った。
コイツは手駒として使えないばかりか、アタシの向上心と上昇志向に嫉妬し、反目し、アタシを不愉快にさせている。
堕落に堕落を重ねて当たり前に貧困に堕ちた果てに、アタシの敵になったのだ。
ならばもう、救済してやる義理も余地も価値もない。
とし子は俯きながら小さく「ふう」と息を吐いた後ゆっくりと立ち上がり、テーブルを両手で大きな音を立ててぶっ叩いた。テーブルが小さく跳ね上がり、とし子と阿松のグラスが倒れ、阿松の飲み切っていないアイスティーが勢いよくこぼれた。
顔を上げると、阿松が怯えた顔で絶句している。その目が「言い過ぎました、ごめんなさい」と訴えている。
そうだ。それがお前の本性だ。
何が勇気の使徒だ、ド貧民が。
とし子は二、三発もブン殴ればそのまま昇天してしまいそうな程に生気の無くなった阿松のマヌケ顔を見下ろしながら、
冷たく、
重く、
「腐れ旦那とドブの水を啜り続けて、そのまま死ねば?」
と言い放つと、そのままカバンを肩にかけて阿松に背を向けて歩き出した。
背後をにいる阿松は声を掛けても追い掛けても来ない。怖気に打ち震えているのか、呆気に取られているのかも分からない。いずれにしてもどうでもいい。
あと、喫茶店の代金はアタシの分もまとめてお前が払え。アタシの温情をフイにした非礼の罰だ、迷惑料だ。ボケ。
次のフェイズには、アタシだけで進む。
とし子は阿松幸子の存在を、今後金輪際関わる事のない無価値な存在として記憶の中から消去した。25年前に在籍していたゴミの様な劇団の、無能で無個性で無価値な団員どもをそうした様に。
尚、浅川奈央の事務所に送ったメールの返事が返って来る事は無かった。
どうやらイタズラだと判断されたらしい。
こうして、雛沢ももえプロデュースの魔法少女キューティ☆フレイル25周年記念イベントはあっさりと、そしてひっそりと頓挫したのであった。
◆ ◆ ◆
三ヶ月後。
バイトの帰りにボルケーノから掛かって来た電話で知らされた内容に、とし子は驚愕の余り心臓が飛び出しそうになった。
「キューティ☆フレイルの……25周年記念イベントの出演オファー!?」
とし子自身がやろうとしていた企画だ。
「一体、どこの誰が………!?」




