5-9「嘘」
「お待たせいたしました」
ウエイトレスが阿松にアイスミルクティーを運んで来た。この店で一番値段の安いメニューであった。
「……じゃ、本題に入るね。メールは読んで貰えたかな?」
まずはとし子の意図と本気度を、阿松がどこまで理解しているのかを探る必要がある。
「うん、読んだよ。イベントやるんだよね?」
「そう。一緒に出てた……」
「『キューティ☆フレイル』。素敵なアニメだったね。」
阿松の中では、フレイルは今でも美しい思い出として残っているらしい。取り敢えずその言葉に嘘偽りはなさそうだ。コイツはこんな局面でおべんちゃらの嘘をつける程要領は良くない。
「何で今回こういうイベントをやろうと思ったの?」
「えっ?」
「当時のファンの皆さんに会ってお礼を伝えるのが目的?」
「いやいや、そんな訳ないじゃん。」
「…えっ、違うの?」
「違うよー、違う違う。」
「……そうなんだ。」
阿松は少し面食らった様子で顔をこわばらせた。どうも、自分の思いととし子の描いているビジョンに乖離を感じたらしい。
「じゃあ、少しぶっちゃけた話をするね。ここからは嘘も綺麗事もない、正直な話。」
とし子は声のトーンをグッと落とした。これから重要事項の説明に入る事を雰囲気で強調する。
「………うん。」
阿松はここでアイスミルクティーのシロップを開封してグラスに入れ、ストローで吸い始めた。別に構いはしないが、やや間が悪かった。場の空気や流れを読めない悪癖は25年前のままだ。
売れっ子声優だった頃にはそんなトコロが「天然」などと呼ばれて可愛がられもしたのだろうが、25年経ってしまえばただ愚鈍で空気が読めない貧乏中年女である。職場を転々とせざるを得なくなる訳だ。
「私が25年前、ある事ない事言われて仕事が無くなっちゃった……って事は知ってる?」
「ある事ない事……フレイルの達川監督との事?」
「……そう。」
阿松も知っていたか。……まぁ、そりゃそうか。
「噂では聞いた事ある。アレ、本当なの?」
「デマだよ」
ここからは嘘も綺麗事もない、と言った数秒後にとし子は早速一つ嘘をついた。
「私、あれからずっとアレからずっと干されてて。今もバイトしてるんだ。」
「そうなの……声優のお仕事は?」
「………ない」
中年貧乏女同士の貧乏話。こんな侘しく惨めな未来がやって来るなんて、25年前は予想だにしなかった。とし子の眉が意図せず屈辱に吊り上がる。
「私はこのイベントを成功させて、もう一回業界の第一線に舞い戻るつもりでいるんだ。ぶっちゃけファン云々は二の次。マズい?」
「うーん……でも、どうやって?」
「企画書には書いてないけど元々このプロジェクト、あるゲーム会社がフレイルをアプリゲーム化するって企画が水面下にあって、そこからの依頼なの。このイベントの成否次第で、大手の制作会社のプロジェクトに絡める事になってるんだ。…そうだ!勿論、阿松さんの事を口利きしてあげる事だって出来るよ!」
二つ目の嘘はやや大味だった。
まぁ後々追求されたら「ポシャった」などと言えばいい。言い逃れのしようは幾らでもある。
「でも、何でそれを雛沢さんがやってるの?」
もっともな疑問であった。
「私、こういう裏方的な事もやってるんだ。コーディネーターとか、キャスティングとか。」
三つ目の嘘は更に粗かった。
確かに副業として制作の手伝いをやっている声優は実在するが、コミュ力が低く社会的常識もないとし子に務まる仕事ではない。具体的に取引のある業界人や法人の名前を上げろなぞと言われたら早々に詰む、レベルの低い嘘だ。
「とにかくこのイベントで一旗上げたら今まで私を見下したり虐げたりハブったりした連中を、全員見返して………」
「見返す……?」
阿松の顔からスッと笑顔が消えた。醸し出す空気が「友好」から「警戒」へと急激に切り替わる。
「見返して………どうするの?」
次いで阿松の口から出た言葉はそれまでの穏やかでフワついた口調から一転、凛とした圧と熱を帯びていた。
「どうするの……って……」
「その先に何か目的があるんでしょ?何か創りたい作品があって、そういった物を通じて世の中に何かを訴えたい…だったり。」
「それは……」
「私はそれが聞きたいの。私も25年前、そういう気持ちであの作品に取り組んでいたから。」
「え………?」
「それをハッキリ聞いた上で、改めて判断したいの。」
元声優にして現貧乏一般人の阿松は突如、一丁前の芸能人の様な事を言い出した。
確かにキューティ☆フレイルで主演が決まった時にはとし子とて現場で共演者が役者風を吹かせているのを見てそれらしく振る舞いもしたが、25年の間にそんな面倒臭いマインドは跡形もなく風化した。
それは別にとし子だけが特別怠惰な訳ではない。役者・俳優としての矜持と理念をしっかり胸に秘めてデビューした声優も、キャリアを重ねて余裕が生まれるにつれ、その余裕が怠慢に転じ……そしてやがては「声優なんて気取った声で喋ってりゃどうにかなるっしょ」などと言う不届きな心得でマイク前に立つ腐れ声優に変容していく。
制作側としても妙なポリシーや哲学や役者論などを振りかざす事なく「ただオタクを釣る為のイイ声で喋ってくれる奴」の方が使い勝手がよかったりするので、そこで奇妙な供給と需要の一致が生まれてしまうのだ。
「だから声優の……」
とし子はここで言葉に詰まった。
仮に声優として第一線に取り敢えず返り咲けたとて、その後具体的に「役者としてどの様な活動を」「どの様な方向性の仕事を」といった展望などまるで無かったからだ。よもや20年以上前に引退した、しょぼくれた女からそんなハイカロリーなテーマを突きつけられるとは予想だにしなかった。
「で……でも!今はそこは問題じゃなくない?」
今この場で上辺だけの役者論だのプロフェッショナリズムだのを語ったところで仕方ない。まずは目の前のタスクをしっかりと達成させない事には、その先になど進めないしそこにある物など語れない。
そうだ。
それをこの物分かりの悪いド素人に分からせなければならない。
「このイベントを成功させさえすれば、絶対に何もかもが上向きになる筈なんだよ、25周年っていうキリのいいタイミングだし!」
「だとしたら、20年前の方が良かったんじゃない?何で5年前にやらなかったの?」
「それは……権利関係の交渉がまとまらなくて……」
嘘を嘘を重ねるとし子を見つめる阿松の目つきは、数分前に着席して自分の身の上話をしていた時の何かに脅かされているかの様なそれとは明らかに異なる……25年前、真摯に声優業と向き合っていた時のそれになっていた。
もっとも、近年「プロの現場」に立ち会う機会がめっきり少なくなったとし子が、その変化に気付く事は無かった。




