4ー4「いつ逮捕されてもおかしくないバカが2人」
とし子のバイト先は家からひと駅ほど離れた場所にあるコンビニである。
声優としての知名度は皆無に近く顔バレする事など殆どあるまいとし子だが、5年前に「バレて後を付けられたりしたら嫌だから家から近過ぎる場所は避けたい」という自意識過剰極まりない理由でこの店をバイト先に決めた。今のところ勤続5年の中で付き纏われるどころか気付かれた事さえない。今後も恐らくないだろう。
最初は自転車で通っていたが、就業3ヶ月で盗まれて以来買い直すのも癪なのでそのままである。
バイト先周辺……というより、とし子が住んでいる沿線は治安も悪けりゃオマワリの質も悪い。出来れば引っ越したいがそんな金はないし、新居探しだの契約だの引っ越しの為の諸準備だのといった住み慣れた土地を離れる為の作業は、金も暇も体力も気力もない今のとし子にとって余りにも重労働だった。
店舗の裏口から入り、真っ先にタイムカードを押す。業務開始10分前出勤厳守だが、その10分ぶんの時給は付かない。とし子がこのバイトで抱える114の不満、第17頁である。
今の時代、こういう事は出るとこに出ればどうにかなりそうな気がするが、何せ学のないとし子なのでどこに何を訴えればいいのやら全く分からない。結局何も出来ず、ただただずっとこの「ずーっと何かを搾取され続けている様な感覚」に身をやつしている。
店舗に出るとレジカウンターに店長の品川がいたので「おあよござまーす」と湿っぽく声をかけた。品川はそれを更に上回る湿っぽさで「ゔぁい」と返答した。
このコンビニの店長はとし子が働き始めてから5年の間に2回変わっていて、品川は3人目になる。1人目は痴漢行為を働いて捕まり、2人目はコンビニ勤めの傍ら振り込め詐欺の片棒を担いでいたのだとかで捕まった。
で、3人目のこの品川はというと、最近鼻の下のシャブの吸引痕が目立ち始めたり、休日に未成年とのヤリモクデートに精を出していたりとこれまた発覚即逮捕待ったなしの破滅的な生活を送っている。ちなみに何故とし子が品川のヤリモクデート趣味を知っているかというと、デート翌日に品川がきっちりと「釣果」を自慢して来るからだ。
一度「セクハラではないか」ととし子がやんわり抗議したら「何いい年コいて恥ずかしがってんだ?」と冷めた顔で言われた。ババア相手の猥談はセクハラにあらずという訳だ。むしろ枯れかけているフェロモンを潤わせてやろうってのにナマ言ってんじゃねぇ、という圧力さえ感じた。
「店内BGM、また音量がデカくなってんな。」
「下げましょうかね。」
深夜バイトのマリファナ中毒大学生の仕業だ。
ここで週五で働いている深夜バイトの大学生は、夜な夜な客が来ないのをいい事にサイケデリックミュージックを爆音でかけながらたまにマリファナをキメている。ちなみに品川はその大学生からシャブと女を都合して貰っているので何も言わない。
警察官が夜回りに来でもしたらどうするの、ととし子が咎めるとマリファナ大学生は「大丈夫っすよ、ここいらのお巡りはみんなやる気ないんで」と全く悪びれる事なくそのくせ根拠も何もない事をしれっと言ってのけた。
つまり現在、とし子のバイト先にはいつ逮捕されてもおかしくないバカが2人もいる。かと言って、今更代わりのバイトを探そうにも学歴も資格もなければトシを食ってもいるとし子が就ける職業など極々限られていて探すだけでも一苦労なのにその上選考を経ねばならないなど冗談ではない。
イチから就職しそこで新たに人間関係を築く作業は、金も暇も体力も気力もない今のとし子にとって余りにも重労働だった。
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「おー、こんなもんこんなもん。こんくらいの音量でいいや。」
品川は満足げにバックヤードに引っ込んでいった。どうせまた携帯をイジって女を物色するのだろう。こっちとしては聞かされるだけで苦痛なレベルのつまらない無駄話を垂れ流されずに済むのは有難い。
店内でひっきりなしに流れているこの手のアナウンスの内容も、ここ数年の間に随分様変わりした。少し前までは名もなきナレーターが淡々と新商品の紹介やBGMの紹介をするだけの味気ない物が主流だったのが、最近は若者に人気のアーティストやアイドルやYouTuber本人が出て来て新曲やイベントの告知をしたり、そのままFMラジオで流れていそうなCMが聞こえて来たりする。宣伝手段が加速度的に多様化する中でこの店内アナとやらの費用対効果が如何程の物になるのかはよく分からないが。
そして、今しがた流れた海外アーティストとやらのコンサートの告知の声の主は……とし子がかつてデビュー作「魔法少女キューティ☆フレイル」でくつわを並べた浅川奈央であった。
16才でとし子と共にデビューした浅川は同作での快演を業界で絶賛され、放送開始とほぼ同時期に業界大手の事務所・クロスナインプロモーションからスカウトされた。その後もアニメ・ゲームを中心に順調にキャリアを重ね、35才を過ぎた辺りからはナレーション業に比重を置きつつ、アニメの準レギュラーやゲストキャラを演じる「中堅声優」というポジションに腰を落ち着けている。
「私、ももえさんに一生ついて行きます!」
25年前、キューティ☆フレイルの打ち上げの場で目を輝かせてそう言っていた浅川との縁は、その後ぷっつりと途切れた。
とし子側の仕事があの時期からパタッと途絶えたので現場で一緒になる機会もなく、ともなると連絡する理由もない。浅川はTwitterをはじめとしたSNSを一切やっていないので、ファンが見ている前で絡みに行ったり付き合いをアピールしたりといった事も難しい。
そしてこの間、浅川側から連絡をして来る事は一切なかった。とし子は最初の1〜2年こそそんな浅川の事を薄情者と逆恨みしたりもしたが、時間の経過と共にその感情も薄れていった。殿上人となってしまった浅川に対する、もはや追いつけまいという諦観からくる敬遠故であった。
声優同士、というのは共演者=ビジネスパートナーである以前に、仕事を食い合う個人事業主同士でありライバル同士である。レギュラー番組で1クール〜数年にわたって同じ釜の飯を食った間柄であっても、その番組が終わってしまえばその後数年にわたって全く顔を合わせない、なんて事はザラにある。
その垣根を越えての友情や交友……というのは、両者のキャリアや仕事量……平たく言えばタレントとしての「格」がある程度均等でなければ成立させる事・維持する事の両方ともが非常に難しい。
こと、とし子と浅川の様な「同作品デビュー」「同年度デビュー」、あるいは「養成所時代からの友人同士」「事務所の同期デビュー」といった「純粋な友情」だけで結び付いた縁は、片方だけが売れてしまうといとも簡単に破綻する。
理由は売れた側が売れっ子とばかりツルむ様になって付き合いの古い売れてない側をぞんざいに扱う様になったり、両者の生活レベルや業界経験値といったものがどんどんかけ離れてしまう事で生じる人生観・価値観のズレだったり、様々である。
そして、この様なタレントパワーの格差によって分断されてしまった縁や友情が元通りになる事は、まず無いといっていい。
売れていない側はどんどんスターダムへの階段を上がって行くかつての友人の活躍を歯噛みしながら目の当たりにせねばならぬ責め苦を味あわされて否が応にもストレスやヘイトが溜まるし、売れた側は売れた側で会うたびに不毛な昔話と不平不満と愚痴しか口にしない過去のツレとツルんだとて何一つメリットがないからだ。
そう考えると、仮にあの後とし子が浅川と密に連絡を取る関係になっていたとて、その後気の置けない親友に迄なれていたかは微妙だ。浅川がとし子の事を見限っていたかもしれないし、とし子の側がかつての妹分の躍進に嫉妬心を拗らせて距離を置いてしまっていたかもしれない。
一応当時教えて貰った携帯電話のメールアドレスはまだ携帯の電話帳に記録されているが、ドメインは既に合併によって消滅した電話会社の名前になっている。アドレスが生きているかどうかも皆目見当が付かない。
ふと、とし子は唐突に25年前のある日の事を思い出した。
たった一度浅川奈央と2人で食事に行き、腰を据えて他愛のない話をした時の事だ。




