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ACTorDIE!〜声優業界下層階級哀話〜  作者: 野乃々田のの
第3章 雛沢ももえの46才
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3-7 「ファンそのものをゴミ箱に棄てるように。」

「自伝の第二弾を考えていてな」


 ベランダに佇む権田原(83才)がとんでもない事を口にした。

 が、社員の誰も彼に視線を向けようとしない。皆、このボケうんこ社長のたわごとにはもう慣れっこなのだ。反応しようものなら不快で荒唐無稽なホラ話をマンツーマンで聞かされるハメになる。わざわざ進んでストレスを抱えに行くバカが何処にいるものか。


「第一弾では書き切れていないエピソードが沢山あるんだ。」


 権田原は誰かに語りかけるかの様に淡々と言葉を続けた。が、事務所内に居る誰も、やはり応えない。この『どうしたんですか待ち』に引っ掛かってしまってはいけないという緊張感と無視されても無視されてもうわ言を続ける老人の存在が、狭い事務所にじっとりとした不快な空気を充満させてゆく。


「18才の時にJAXAに入ってアメリカのスペースシャトルの建造に関わった事とか、23才の時にテレビドラマの制作現場に見学に行ったら事務所の力だけで主役を任された不甲斐ねえクソ役者に代わって主役を任された事とか、28才の時に外国の…何処だったかな……ナントカって国のカーレースのドライバーにスカウトされて初出場で初優勝してそのまんまアフターパーティーにも出ずに帰って来た事とか、歌が芝居のどちらに舵を切るか悩んでいたアイドルの四街道シズカの相談を聞いてやって事業を起こす事を勧めて夜は鍛えた性技を駆使してシズカを………」


 この日、用事はないがスタッフから忘れられない様にと顔を出しに来た雛沢ももえこと安沢とし子もこのじっとりした空気に巻き込まれていた。

 25年以上前に製本され大量に売れ残った自伝の在庫は、今も事務所の一角にホコリを被りながらうずたかく積まれている。今やこの事務所の最古参で権田原とは25年の付き合いになるとし子だが、彼のこの虚言(恐らく)癖が元々持って生まれた物なのか加齢による耄碌の結果なのかは未だによく分からない。あの自伝を執筆した頃……つまり50代後半の頃にはもう既にああいう人間だったという事になるが、ではそれ以前はもう少しまともだったのだろうか。



「権田原さん、そろそろ一回病院に連れて行った方がいいんじゃない?」


 とし子は柳瀬が比較的上機嫌(不機嫌ゲージ5パーセント程)である事を見計らい、声をかけた。


「あの自伝、私もちょっと読んだけどやっぱおかしいよ。」


 柳瀬は声で返事をせず、感情の読み取れない表情で目線だけをこちらに向けて「聞いてやる、続けろ」と意思表示をした。幾ら慕われていないとはいえ芸能事務所のスタッフが年上の所属タレントに取る態度ではないが、取り敢えず続ける。


「あんな物を書いただけじゃなく自分の経験談みたいに言いふらすなんてさ………やっぱりちょっと普通じゃないと思うんだけど?」


 実際、「虚言癖」という言葉をインターネットで検索すれば当てはまりそうな病名は幾つも出て来る。権田原の83才という年齢を考えれば、当然認知症の可能性も視野に入れなくてはいけない。


「行かせた事ありますよ。本人も思うところがあったみたいで。」

「え?」


 だとしたら、絶対に何かしら引っ掛かるレベルの呆け具合だろうに。何故ほったらかされて帰って来れて来ているのだろう。


「診察結果は?」

「『肝臓の数値が悪くなってたから、薬をちゃんと貰って来たぞ!』って意気揚々と帰って来ましたよ」

(いやいや、そうじゃねぇだろう。お前もイカれてんのかよ。)


『首に縄付けてでも精神内科に連れてけっつってんだよ!』というセリフが喉元まで上がって来たが、これ以上柳瀬の不機嫌ゲージを上げてしまうとまた痛烈なカウンターを食らいかねないのでこれ以上は止めておいた。


「お疲れ様でーす、ナツでーす」

「おー、お疲れ様でーす。」


 ボルケーノの若手女性声優【清都ナツコ】がドアを開けて入って来た。

 ナツコに挨拶を返す柳瀬の声のトーンは、とし子に挨拶を返す時のそれと比べてよりも3音程高い。とし子には柳瀬の不機嫌ゲージがギューンと下がって行く音が聞こえた気がした。

 そう、コイツらは年齢が近いのもあって仲がいいのだ。ちなみに柳瀬は25才。つまり、とし子は一回り以上年下の事務所のデスクの機嫌を損ねまいかと毎回気を揉まされているのである。

 清都ナツコは2年前にアニメ系専門学校でのオーディションを経てこの事務所に入所し、その翌年には人気のゲームアプリで当たり役を引き当てて現在バブルまっしぐらの22才。このボルケーノ一番の……否、現状唯一の稼ぎ頭である。

 入所直後こそとし子に緊張の面持ちで挨拶をして来たものの、仕事が増え始めてからは多くの売れっ子が纏う「売れてない奴は寄って来んな、負け癖が感染るだろうがオーラ」が身辺を漂い始め、「可愛げが無くなった」の段階を飛び越して「近寄り難い売れっ子」になってしまった。


 とし子はそんなナツコのいけすかなさを見て「20年前のアタシもあんな風に見えていたのかなあ」などと感じる事があるが、彼女ととし子の決定的な違いが一点ある。

 ナツコは今、大手事務所・ハーツプロダクト所属の超売れっ子声優・堀田裕樹(26才)と交際しているのだ。ナツコはとし子の約半分の年齢・約10分の1の芸歴にして、とし子が手に入れられていない&そして今後も手に出来ないであろう栄光と幸せを既に手に入れているのであった。


「あ、お疲れ様です先輩。お久しぶりです。」

「あ、ああ……お疲れ様。」


 ナツコはスタッフにひとしきり声をかけた後、とし子の方に向き直って挨拶をした。つまり、とし子はこの空間において一番優先順位が下と判断された訳だ。「雛沢さん」と名前を呼ばず「先輩」と呼び掛けたのは、顔を見ても咄嗟に名前が思い浮かばなかったからだろう。お久しぶりなのも当たり前だ。ナツコが沢山こなしているゲームやアニメの仕事にとし子は全く呼ばれていないのだから顔を合わせる機会自体がほとんどない。

 とし子は「先輩に挨拶するのに『あ、』を付ける奴があるか馬鹿野郎!」と怒鳴りつけたくなるのを堪えて応じたが、ナツコの側にこれ以上とし子とコミュニケーションを取る意思がなかったので、会話はここで途絶えた。

 ナツコは何の悪気も自覚もなくとし子の不機嫌ゲージを80パーセント近くまで上げてみせた。が、ここでナツコに小言の一つも言おうものなら「老害ゴミクズ風情がウチのホープにナマ言ってんじゃねえ」とばかりに、柳瀬に下駄箱に置いてあるこけしで後頭部をぶっ叩かれかねない。根拠はないが、アイツは多分そういう人間だ。

 スタッフの目線が一斉にとし子から外れ、ナツコに向いた。とし子は一瞬にして、この空間において最も無価値な路傍の石にも等しい存在へと転落した。



 ナツコは大きめの段ボールに入れられた、ファンから届いたプレゼントをテーブルに広げてSNS用に写真を撮ると、それらを「いる物」「いらない物」とに分別し始めた。

 オタク共のセンスのないプレゼント(二束三文の日用品やどんな異物を混入されているか分からない食品、盗撮カメラや盗聴器などが仕掛けられている恐れがあるぬいぐるみなど)が続々と「いらない物」の段ボールに溜まっていく。


 25年前、ほんの僅かな期間だがとし子にもあんな時期があった。「キューティ☆フレイル」は僅かながら幼年層のファンもいた為、子供がなけなしのお小遣いを使って買ったのであろうレターセットや携帯ストラップなどを「何だこれ使えねぇなあ」などと言いながらポンポンゴミ箱に放り込んでいた事を思い出す。まるでファンそのものをゴミ箱に棄てるように。


「あ、そうだ。笹本の件、どうなりました?」


 ナツコは唐突に傍らのマネージャーに尋ねた。


「おーはいはい、ちょっと待ってね。」


 マネージャーはカタカタとPCのキーボードを叩いた。モニターに何が映っているのかは、今とし子が居る位置からは見えない。


「そうだねー、どうにか他の人でちょっと……」


 マネージャーは数秒天を仰ぐと突然「ねえちょっと、雛沢さん!」ととし子に声を掛けてきた。


「えっ?あ、はい!」


 不意に呼び掛けられたとし子はブザマにビクッと体を震わせたあと、声がした方に向き直った。


「元々ナツコに来てたゲームの仕事なんですけどね、ちょっとコレ雛沢さんにお願い出来ないかなあ。」


 何と、仕事だ。

 事務所に足を運んだら棚ぼたで仕事が貰えた。


「17歳の女子高生役。物語の本筋に絡むキャラじゃないんでワード数はそんな多くないんですけど、ちょっとナツコがアレで……雛沢さんさえよければ、どうスか?」


 なるほど。多忙なナツコのスケジュール調整が出来ないので、彼女の仕事が自分に回って来たわけだ。どうスかもこうスかもない。受けない手はない。


「んーと、どんな感じ?」


『是非お願いします!』と縋り付きたい気持ちをどうにか抑え、努めて余裕綽々の態度でマネージャーの側に歩み寄った。あくまで「まぁ大した仕事じゃないけど、そう言う事なら仕方ない。受けてあげよっかな」というスタンスを崩さない。


「ああ、こういう感じね。やるやる、全然やるよ。」


 モニターに映し出された白黒のキャラクタービジュアルを一瞥し、本当は10代の役なんて久しく演ってないので不安なのをどうにか悟られぬ様、努めて落ち着いた口調で返事をした。まあ尺やワード数がさほどでもないのならどうとでも誤魔化せるだろう。


「笹本音響監督の現場は初めてでしたっけ、雛沢さん。」

「………そうだね。」


 少し頭を捻り、答えた。全く知らない名前だ。

 ……笹本。

 さっきナツコはこの音響監督の名前を呼び捨てで呼んでいた。という事はナツコとは懇意の仲なのだろう。全くの初対面ではあるが「ナツコの先輩」というバッジを付けていけるならコミュニケーションのツカミは楽だ。それに今回の仕事で顔と声を売れれば次に繋げられる。ナツコがいつも受けている様な仕事を、今後コチラに回して貰えるかもしれない。

「じゃあ、今の時点で勝てる資料を取り敢えず送ります。台本も来次第すぐに送りますんで。」

「到着したら爆速でお願いね。私、台本は一日でも数時間でも数分でも数秒でも早く受け取ってチェックしたいタイプだから。」

 柳瀬が一瞬、とし子からは見えない角度で『何プロぶってんだよ、バカ』とばかりに苦笑いを浮かべた。


 柳瀬とナツコには苛立たさせられたが、やはり事務所には来てみるものだ。

 数ヶ月ぶりに口にした「台本チェック」の響きに、少し心が躍った。

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