窓の外が見たい
「おっ、たっとっっ」
最後の階段を飛び降りた猫が勢いを逃せないままに僕の方へとたたらを踏みながらやって来た。
転んだらそれはそれで可愛らしいかなと思ったけれど、両手を広げて受け止める。
「はー、ちょっとびっくりしたのだ。 ありがとうの、ちこ……ではない、ちこく太郎ではないのだ、ちこくは違う……おお? ならば、ちこくを取って太郎かの?」
「たろう?」
「よし、面倒なのでわらしは太郎と呼ぶが良いかの?」
「あだ名?」
「そうだの。 わらしが勝手に呼ぶ名なので、あだ名という事かの」
「そっか、またあだ名かぁ」
「また? おぬしは呼ばれ慣れておるあだ名があるのかの?」
「うん、昔は天使って呼ばれたりしたり、いろいろ」
「天使とな」
「そう。「私の天使」って師匠が言ってたから、それを聞いてた何人かもそう呼んでたの」
「ほう、「天使」などという呼び名を使っているという事は、師匠とやらはこの近くの者かの。 その単語はここら辺でしかあまり使われておらんのだしな」
「あ、ちょっと違うよ。 暮らしてた土地での天使だから言葉が違うの。 ここだと天使だけど、師匠は天使って呼ぶから」
「なるほどの。 なら、その暮らして居た土地の言葉で「おやつの時間」とはなんと言うのかの?」
「「おやつの時間」だよ」
「ほほう、「おやつの時間」はそうなるのか。 言葉は全然わからぬが、おやつの概念が存在するということは文化的にはそんなに変わらぬのかもな」
「文化的」
「暮らしぶりという意味なのだ」
「あ〜」
「うむ。 ……ところでの」
猫が左側の窓を見た。
「外で何をしとるのだ?」
「そと?」
「耳を澄ましてみるといい、外からケンカでもしているかのような声が聞こえるのだ」
『……ぁぃ……ぇ、……』
耳を澄ますと猫の言った通り、たくさんの人が話している講堂内とは響き方の違う声が聞こえてきた。
なんて言っているんだろう。
声の元を探してみると、声は猫の言った通りに窓の外から微かに聞こえてきているみたい。
「ちょっと近寄ってみるのだ。 なんか知らぬおっさんの怒声と鰲赤の声が聞こえる気がするのだぞ」
猫が走って窓際まで行ってみたので後を追いかけたけれど、外が覗ける窓は位置が高くて外が見えない。
真下まで行ってみると大人の男の人の頭くらいの高さがあった。
入り口から階段ぶんだけ床が下がるせいか、高い位置に取り付けられた窓にはとても背が届かない。
「ふむ、やっぱりあやつの声なのだ。 一体何をしているのだ?」
猫は届かない窓を見つめて、聞き耳を立てて呟いた。
窓の他には何かないかと壁を見回してみると、少し先に大きめな背の高い外へ出られそうな扉を見つけた。
けれどそこまでは少し遠い上に人がいっぱいで、壁際も寄っかかる人がたくさん居て抜けられそうな道がない。
他に外に繋がるところは……見つからない。
外に出られないまでも外が覗ける隙間でもないかと壁を探していると、僕の横で猫がジャンプした。
飛んだ勢いで壁にギリギリと四肢の爪を立ててへばりついた猫が耐えてる。
しっぽを大きくゆらゆら振ってフンフン鼻呼吸。
「見にゆく。 少し待っておれ」
「えっ、僕も見に行きたい」
「ならばついて来るのだ!」
猫は足で壁を蹴飛ばして跳ね上がるように爪で引っ掻き上がって行った。
ついて来いって言われたけど、どうしようかな。
まわりには道具や足場になる物はない。
猫と僕の周りを人が避けてくれて場所が空いているだけ。
目指す窓はそんなに高くないから届くかも。
肩車してもらうのは迷惑だから一人でなんとかしよう。
少し壁から離れてしっかりと思い出す。
師匠のことを。
師匠はこういうときはどうしていたかな。
「んんん〜」
「どうしたの?」
「走るの。 いい?」
「うん」
一旦途切れたけれど白薔薇と話した後はまた頭の中で、動く師匠のイメージを固める。
想像する師匠の足の動かし方とか腕の位置を考えて違和感の無いように無いように補正する。
行動の意味を解きほぐして納得できる形にしていく。
師匠はいつもそんなふうなことを言っては、実際にも見せてくれた。
「人真似は見たままをやっても本質を伴わないので、輪郭がぼやけてしまう。 本当の真似は内側から、その行動の意味を捉えることができなくちゃダメ」
そう言っていた師匠を思い浮かべて……
踏み出すのは右足から一歩!
ダメ、右とか左とか考えない!
そんなのどっちでもいいから脳裏の師匠を思って!
短い助走で勢いをつけた僕は少し斜めに壁に向かう。 僕の頭の中の師匠は音をあんまり立てずに走るので僕もそれに倣って走る。
師匠のようには音を抑えきれないまま、壁の少し前で着地するための足を意識してジャンプ。
すぐに目の前の壁を蹴って駆け上がりたいけど我慢。
師匠は壁へと向かう力を無駄にしなければ登れるって言ってたから足で踏ん張りすぎないように、優しく移動する力の流れを殺さないように、足から壁へと伝えてっ!
感覚を頭で纏めながら出来た事は、要は走って壁を蹴って飛び上がっただけ。
師匠はこの感じで壁をすごく駆け上がれるけれど、残念ながら当然にして僕は大して距離を登れなかった。
出来たのは壁を二歩進めたことだけ。
いつかはあんな風に登れるとは思うけど、どのくらい練習すればいいんだろう。
そんなに高くないおかげで僕のジャンプでも届いた窓枠の縁に手をかけて、懸垂するみたいに体を引き寄せて猫の隣で外を覗き見る。
そこから見えた景色には、猫の言う通りに知らないおじさんとお団子頭がいるのが確認できた。
「おう、来たな太郎。 見ろ、鰲赤がおっさんとケンカしとるようだ」
「本当にケンカしてたの?」
「うーむ、多分な。 まあ、見てればわかるのだ」
そう言って僕と猫、それと白薔薇は窓の外に視線を向けた。
日曜日が暇無しだったから平日に上げるのです。




