ニャンコ武勇伝
そーっと昨日の、草ぼーぼーの部屋の扉を少し開けて中の様子を覗き見る。
「うん、だいたい昨日とおんなじだ」
「ちょっと、それより話の続きがまだよ」
小声で話す僕につられたのか、エミが大きくない声で僕に詰め寄る。
エミの言う話の続きっていうのは、もちろん紺碧ちゃんのこと。
あんまりにエミが諦めないので、話は歩きながら話すと言って出て来たのだ。
道すがらにだいたいを話して聞かせたのにエミは「ちょっとどういう事よ」を連発してくるので全然話は進まなかった。
そんな事をしているうちに昨日の部屋に着いたので、今僕はエミを無視しつつ昨日と何かが変わってないかを細かく確認していっている途中なのだ。
僕が少しだけ開けた扉の隙間からは僕の上からミトラルカちゃんと白薔薇が部屋の中を覗いてる。
水色ちゃんだけはどこか全然違う方を見ながらちっっちゃな水の球を通路の窓から外へと飛ばしてた。
「あんたさ、人の話ちゃんと聞かないっていうのは結構失礼な事なのよ。 わかってる?」
エミにそう言われてその声に振り向いた時、白薔薇に肩を揺すられた。
「動いたの。 あそこになにかいるよ?」
「茂みに潜んでいるものがいるみたいですね」
白薔薇の言葉をミトラルカちゃんが部屋の中から視線を外さずに追従する。
「エミー、なんかいるって。 話は後にしよ」
「やだよ、気になるもの」
そう言いながらもエミは僕と一緒に扉の隙間を覗く。
覗いた先では確かに草がカサカサと音を立てて揺れている。
「へぷしっ」
そのまま観察していると、草がクシャミした。
「すごく聞き覚えがあるわね」
「主任でしょ」
「ええ」
エミとミトラルカちゃんの言うように、クシャミの声は猫の声だった。
クシャミの後からは尻尾が草の間からチラチラと顔を出しては揺らめいているのが見え隠れしている。
「主任おはよう! 主任も調査ですか?」
エミが声を大きく猫に声をかけた。
そこで大きく扉を開けて、エミに続いて水色ちゃん以外がおはようと挨拶をしていった。
もちろん僕も。
「うぬ? なんだお主ら、集まるように言われておらぬのか?」
ニュッと顔を出した猫は口の周りが真っ赤に染まっていた。
「あーっ! 主任何したのさ! もしかしてまたやった?」
「また?」
エミの言葉に聞き返すと、エミは頷いて教えてくれた。
「また」とは猫が恥ずかしがって嫌がる話のことらしい。
それは同道した人の口から発信されて、猫が訂正するために詳しく話したりしてだんだんと広がり、ここで学ぶ人間には広く知られている話だという。
話は三年前の春、猫が大量発生したネズミの駆除をしてほしいと近所の農村から頼まれた時のこと。
猫が当時熱心に創り上げていた技法を試すのに丁度いいと快諾して、三人の同僚と向かった穀物倉庫の前で起こった。
いざ襲わんとするネズミの大群と搗ち合わせたのだ。
倉庫に蓄えられた収穫物を狙うネズミの軍、その数二万五千。
今襲おうという、その時に猫が率いるは三人。
猫を入れても一人あたま、六千と二百五十を相手しなければならない。
いくらネズミといえど、その数になると普通の人間では手に負えない一匹一匹が自在に動く波となる。
それは猛獣などよりも難敵であるかもしれない脅威なのだ。
猫は不意な接敵にも冷静に対処しようとした。
猫にはやれること、退治する方法がちゃんと頭の中にあったからだ。
猫は連れてきた同僚、正確にはいつも研究を手伝ってくれている部下に指示を出した。
「落ち着いて距離を置き、集合知を崩せ」と。
しかしそれは上手くいかなかった。
部下がうねるネズミの大群に、悲鳴を上げて逃げ出したからだ。
けれどそれも仕方がない。
猫の部下たちはみんな、うら若き乙女ばかりだったのだから。
そうして猫は一対二万五千の戦いを余儀なくされた。
ここで逃げれば頼みにしてきたここの住民たちに大きな被害が行ってしまう。
そもそも一度引き受けたからにはこなさねば、とその時の猫は考えたからだ。 そういう気分だったからというだけの、信念とかご大層な心持ちではないと猫は後で話したらしいが。
猫はネズミの前に躍り出た。
自身を迂回させることで僅かな時間を得て、倉庫へ向かうネズミたちの背後から攻撃。 先頭を転ばせることで団子にして、次の手の時間を作ろうと考えたのだ。
しかし、それも失敗に終わる。
猫は自分がちっちゃい事を考慮に入れ損ねていたのだ。
ネズミは猫を踏み越えて、どんどんと押し寄せてくる。
猫は面食らった。
手で払おうとも払いきれず、自分なんか居ないかのように地面を進むのと同じスピードで顔も何もかもを踏みつけて止まらない。
猫は焦った。
その焦りに飲み込まれそうになりながらも必死にどうにかしようと考えている時、箍が外れる前触れが起きた。
悲鳴を上げて混乱していた部下たちが猫の現状を見て奮起し、猫に当たらない距離の地面を野方式と言われる小石やデコボコした地面に欠損なく記すことのできる術式により爆裂され始めたのだ。
ネズミは直撃を食らった者は動きを止め、それでもすぐそばでは動ける者たちが何事もないかのような動きで進行を止めることがない。
あまり効果的でないその攻撃はネズミよりも猫に大きく影響を及ぼした。
猫は混乱の中、突如鳴り響いた爆音に心を触れられた。
猫の心は重く暗く淀んで、理性がほんの少し押さえ付けられる。
そこで悲劇が起きた。
情報を得たいとほんの少し開いた猫の目にネズミの足が触れたのだ。
それはネズミたちにとっての悲劇。
手始めに猫の身体を走っていたネズミたちが血を零しながら吹き飛んで行った。
ネズミたちが飛ばされた下から現れた猫はいつもと様子が違っていた。
眼光は鋭く、体毛は逆立ち、足元には陣が。
そこからの猫は凄まじかったと部下の三人が言っている。
猫自身はそんな事ない、大げさだと否定しているらしい。
その部下たちの目の前では、猫の走った後の地面はネズミたちが通った途端に爆裂し、猫の前を行くネズミたちは一瞬で追いつかれては触れられもせずに裂傷を与えられて動かなくなっていく。
猫は四つん這いの猫らしい体勢で、後ろ脚で遅延発動術式を地面に刻み込み、尻尾で空気を爆発的に押し出す陣をどうやったのか部下たちにはわからない方法で空中に描いていたと話していたそうだ。
猫はまさしく一騎当千の戦いを見せて、ネズミはたちまち数を減らしていった。
さすがにここまで来るとネズミも仲間がやられていくことに無関心ではいられなくなり、戦局は変化が起こらなくなった。
形勢が逆転するまでにかかった時間はほんの僅かだったらしい。
ネズミは白旗を上げて降伏。
チョロチョロと倉庫へ忍び込んでは略奪を繰り返すといったことをしないネズミだから、本当に白い旗を掲げたらしい。
そしてネズミのリーダー格が旗を振りながら敗北宣言。
ネズミはこのリーダーだけが普通に話せたことに驚きを隠せなかった猫は継戦態勢を解除。
無事和解したということだ。
「またっていうのはこの話のことよ」
エミがそう言うが、僕は全然納得できない。
猫を指差して「その話と全然関係ないじゃん」と提示した。
すると、エミは僕の耳に口を寄せて小さな声で訳を教えてくれた。
「その時の主任はね、返り血で所々赤く染まっていたそうなの。 でね、口の周りにもそのシミがあったの。 だから主任が本当に怒った時は噛み付いて流血沙汰になるって言われてるのよ。 だからこうやって「また」って言われると主任は「そうじゃない、本当はこれこれこうで……」と全部話しちゃうから結構みんな言うことなのよ」
僕はエミの耳に口を寄せて同じように小声で話す。
「じゃあ何してたのか知るのに便利だからまたって言ったの?」
「そうよ」
そう言われて僕は、ちょっとだけ猫が不憫に思えた。




