猫、片付けはしたくない
僕の描いた模様を猫がじっくりと見つめる。
細かく描いたところは顔を近づけて、よりじっくりと見つめている。
「ふんふん、興味深い。それにしても随分としっかり描いたのだな。床が真っ黒けなのだ」
「それは焦げてるから」
「ん? なんで焦げるのだ?」
猫の言葉に僕が答えを返す前に、一人の女の子が猫を抱き上げた。
「先生、もう次の時間が来そうになるよ」
女の子は部屋の壁に描いてある、のんびり動く渦巻きを見上げながら早口めに告げた。
子供たちはその言葉に反応して、少しだけ動きが早くなる。
「もうそんな時間なのかの。 しかたなし、まだ描き終わってない子は居るか!」
猫の言葉に子供たちはみんな首を振る。 ついでに僕も振る。
「よし、なら最後に動かしてみるのだぞ。 動かし方のわからぬ子は居るかの」
「大丈夫でーす」
「平気だよ」
「今更わからない人なんていないよ、先生」
猫の確認に子供たちは元気よく答えた。 けれどその答えを猫は良しとしない。
「ダメだぞ。 そんなのはダメなのだ」
「何がダメなの、先生」
みんなが困惑する中、一人が猫に質問を返した。 あの賢そうなメガネの女の子です。
「いろいろダメなのだ。 わからぬ子のことを勝手にわかっている子が返事をしてしまったのもダメだが、そもそもわらしがはじめに喋ったことをちゃんとわかってないとこが一番ダメなのだ」
「はじめに喋ったことですか?」
「そうだぞ、覚えてないのか? それともピンと来てないのか?」
「ピンと来てないほうです」
メガネの子に続いて同意の声がいくつか上がった。 猫はその声に一回だけ頷いて、子供たちに了解の意を示す。
「ふむ、わらしは「理解することは学ぶ者の義務」と言ったのだ。 覚えておるか?」
「そういえば言ってたー」」」
「うん、そうなのだ。 この学ぶ者の義務とは何も君ら自身だけの事ではないぞ。 学ぶ者皆のことを指しての言葉なのだ。 それはつまり、皆で学ぶ時にはちゃんと皆で学ばねばならぬということなのだぞ」
「先生! それでは理解の遅い人に合わせろということですか?」
手を挙げて質問したのはまたもやメガネの女の子。
「間違ってはいないが、理解の遅い子に合わせてみんなが暇になることはないのだ。 そんなことにならぬようにするのも先生のお仕事だからの。 ちゃんと授業を進めはするが、置いてきぼりにはせぬということだ」
猫の答えにメガネの女の子は少し不満そう。
「先生! それでもやっぱり出来てしまった人は先を進めた方が良いと思います」
やっぱり女の子は、また手を挙げて自身の意見を述べた。
「先生ー、わかるけど今回はみんなわかってるんだからもう言わなくてもいいんじゃないの?」
「そうだよ。わからなかった人が出た時にすればいい話じゃん」
メガネの女の子以外からも声が上がる。
でもそれに対して猫は首を横に振るだけで、一切の同意の意は示さない。
「メガネっ子、済まぬの。 まずはこっちを諭さねば」
「いいえ、構いません」
「皆もちゃんと聞くのだ。 こういう事は理解しやすく話せる時に早めにする方がいいのだ」
「なんでー?」」
「うむ、 なぜなら誰かが槍玉に挙げられる事なんて少ない方が良いからの。 誰かの為の話だと「自分は出来ている。関係ない」と考える者が出るのが世の常。 今ならみんな全くの他人事だろう。 だが誰でもないと、誰か一人の時よりも自分のことに反映しやすいのだ。 明らかな他人ではないからな」
「どういうことですか?」
「人の指定をしていなければ、その中に自分も入る余地を少なからず考えるということなのだ。 「誰でもない」は「自分かも」という事だぞ」
子供たちが少しだけ納得の顔を見せると、それだけで猫は満足な顔をした。
ここだけの話、僕には少しわかりにくかった。
「よし、メガネっ子」
「グラスプです」
「そうか、グラよ。 続きを話そうかの」
「はい」
「と言っても簡単な話なのだ。 どんどん先に行ける子は授業のちょっと先なんかをやっても時間のムダなのだ」
「無駄……ですか?」
「そう、ムダなのだ。 だって次の授業を受けたら同じことを学ぶのだぞ? 二回聞きたいのならそれでもよいが、そうではないであろう?」
「そうですね」
「なら、授業のちょっと先ではなく、授業のもっと深いところを学ぶ方がよいのだ」
「深く、ですか」
「そう深く」
「より専門的で高度なことを学べということですか?」
「ずっと先に関連してくる専門的で高度なところも深いが、それではやっぱりただの先なのだ」
「では?」
「簡単なのだ。 自分で疑問に思うところ、不思議だなと思うところを自分なりに考えて調べるだけで良いのだ。 調べてもわからなければまた自分で考えて、好きなことを好きにやればいい。 その為の場所に居るのだからな」
猫の言葉に何かを感じているメガネの女の子は、しきりに頷いている。
でも、それももう終わりみたい。
「先生ー? もう時間来たみたいだよー」
男の子が壁の渦巻き模様を指差して声をあげた。
「なぬ? それはいけないのだ。しかたなし、ここの部屋は次までそのままにしておくしかないの。 しかたなし、しかたなし」
「先生? もしかして片付けしたくないから長い話してたの?」
「そんな事はないのだぞ? 必要な話をしただけなのだ……ぞ?」
子供たちは少し不審な目で猫を見てる。
「さあ、そんな事よりも早く行くのだ! 走らねばならなくなるぞ!」
「はーい」」」」」
子供たちは次々と部屋を出て行く。
あ、変な子供だけお辞儀をしてから出て行った。 変に丁寧だな。 変な子供はやっぱり変な子供なの。
「ん? ちこく人間。 おぬしは行かぬのか? 次の授業に遅れるぞ?」
猫が僕に早く行くようにお尻を押してくるけど、別に行くところがあるわけじゃないし、どうしようかな。
白薔薇は唸りすぎて、もう声も出てない。
僕が言うのもなんだけど、僕の名前でこんなに悩む事ないのに。
白薔薇もこんなだし、みんなのところに戻ろうかな。 でもどこから来たのかちょっとわかんない。 追いかけるのに夢中で、二階に上がったくらいしか定かじゃない。
「ちこく人間? どうしたのだ、行くところがわからぬのか?」
ミトラルカちゃんのところにどうやって戻ろうかなと思っているところに声をかけて来た猫に、なんとなく頷いて返す。
「そうか。 なら、わらしについてくるのだ」
猫がペタンパタンと足音を鳴らして扉に向かって歩いて行く。
「ほら、置いて行ってしまうぞ。 早く来るのだ」
振り向いた猫に促されて、僕は白薔薇を抱えて猫の後をついて行くことにした。




