港町交易 — 潮風と銀貨の行方
王都から南へ三日の街道を下ると、潮の匂いが混じりはじめる。
白い灯台を目印に栄える港町――フォルネア。
石畳の広場には、色とりどりの帆布、干した魚、異国の香辛料。喧騒は王都より荒く、笑い声は大きい。金貨よりも銀貨が軽やかに飛び交う場所だ。
「……塩の価格が、昨日より三割高い?」
俺は市場の掲示板を見上げながら呟いた。
「昨日、沖で海賊まがいが出たらしいぞ」
横から声をかけてきたのは、商会付きの若い書記官だ。目の下に薄い隈。どうやら徹夜らしい。
「海賊“まがい”か」
「正式な旗は掲げていない。だが、船足が速い。拿捕はしていないが、通行税を“勝手に”取っているとか」
なるほど。交易量が落ちれば、塩と干物はすぐ値上がりする。港町は正直だ。
俺は市場を一周し、価格を書き留める。
塩、干物、香辛料、麻布、樽酒。特に樽酒が妙に安い。海上の緊張で遠方へ出せない在庫が溜まっているのだろう。
「……よし」
「何が“よし”なんだ?」
背後から低い声。振り向けば、潮風に黒髪を揺らす女騎士リディアが腕を組んで立っていた。鎧姿だが、港の子供たちに囲まれてさっきまで笑っていたらしい。妙に馴染んでいる。
「酒を買い叩く」
「は?」
「いや、正確には“適正価格で大量購入”。代わりに塩と麻布の輸送路を守る」
俺は広場の地図を指でなぞる。
「海上は荒れているが、陸路はまだ無事だ。港から内陸へ、酒を運ぶ。代わりに内陸の塩をまとめて買い戻す。価格差で利益が出る」
「つまり、危険な海を避ける、と」
「そう。今は守りの交易だ」
リディアはしばらく黙ってから、口角をわずかに上げた。
「王宮の連中は、港の値上がりを嘆いていたぞ。“民が困る”とな」
「困る前に動けばいい」
俺は商会の親方に声をかける。
恰幅のいい男は最初こそ疑ったが、具体的な数量と銀貨の即金を示すと目の色が変わった。
「本当にこの量を買うのか?」
「代わりに、陸路の護衛を王国が引き受ける」
「……ほう」
そこでリディアが一歩前に出る。鎧の肩当てが陽光を弾いた。
「私の名で保証する」
その一言で、商人たちのざわめきが収まった。
交渉は思いのほか早くまとまった。
港の酒は内陸へ。内陸の塩は港へ。価格はゆるやかに戻る。民の不満も抑えられる。
問題は――。
「樽酒三百本!? 倉庫が足りんぞ!」
若い書記官が青ざめる。
「空いている修道院の地下を借りろ。湿度も悪くない」
「勝手に借りられるわけが――」
「手紙はもう出した。今ごろ承認が届いている」
「早すぎる!」
リディアが小さく吹き出した。
「お前は、剣より速いな」
「剣は振れないからな」
そのとき、広場の奥で子供たちが騒ぎ出した。
「見ろよ、あの樽! でっかい!」
「転がせー!」
次の瞬間。
ごろり、と嫌な音が響いた。
傾斜のある石畳を、巨大な酒樽が転がり出す。
「止めろ!」
俺が叫ぶ間もなく、樽は一直線に――
――リディアへ。
「っ!」
彼女は咄嗟に踏み込み、肩で受け止めた。鎧越しとはいえ、衝撃は相当だろう。
だが勢いは殺しきれない。
ぐらり、と体勢を崩す。
反射的に、俺は彼女の腰に手を回して引き寄せた。
どさり、と二人で石畳に倒れ込む。
上に落ちてきた樽は、寸前で商人たちが押さえた。
広場に静寂。
そして。
「……いつまで抱きついている」
耳元で低い声。
気づけば、俺の腕は彼女の腰に回ったままだった。鎧の隙間から、わずかに体温が伝わる。
「すまん」
「助かったがな」
彼女は立ち上がり、手を差し伸べる。
その手を取ると、港の喧騒が一斉に戻った。
「おおー! 騎士様すげえ!」
「参謀もな!」
子供たちの歓声に、リディアは照れくさそうに視線を逸らす。
「……港町は騒がしいな」
「悪くないだろ」
潮風が強く吹き、帆がはためく。
交易はうまく回りはじめている。
だが海上の“まがい者”は、まだ姿を消していない。
次は――少し規模が大きくなるかもしれない。
俺は灯台の先、水平線を見つめた。




