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病弱な幼馴染の嘘がバレた日  作者: 月雅
第1章

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第3話「約束の重さ」

セシリアは、村の納屋の前に立っていた。


領地巡回の二日目。 昨日訪れたのとは別の集落だったが、抱えている問題は同じだった。 干し肉は黒ずみ、保存した穀物の一部には虫がついている。 冬を越すための食料が、毎年足りなくなる。


「今年は夏が短かったから、もっと厳しくなるだろうね」


老いた農夫がそう言って、痩せた頬を歪めた。


セシリアは頷きながら、納屋の中を見回した。 乾燥させた肉、塩漬けの根菜、布で包まれた穀物。 どれも保存の工夫はされているが、この土地の湿気と寒暖差には追いつかない。


頭の奥で、昨日からちらついていた記憶の断片が、少しずつ繋がり始めていた。


煙に包まれた魚。 あれはただ煙に当てていたのではなかった。 煙で燻すことで、表面に膜ができる。 水分が抜け、腐敗を遅らせる。


塩をまぶした肉。 あれも、ただの塩漬けとは違った。 塩の濃度と時間を調整し、肉の内部まで浸透させることで、長期の保存が可能になる。


燻製。 塩蔵。


その言葉が、頭の中で初めてはっきりと形を結んだ。


自分のものではない記憶だった。 どこでそれを知ったのか、なぜ知っているのかは説明できない。 けれど、知識としての輪郭は確かにそこにあった。


城館に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。


レオンハルトは執務室にいた。 書類に目を落としていた顔が、セシリアの入室で上がる。 近衛の一人が扉の脇に控え、マルガレーテがセシリアの後ろに立った。


「レオンハルト様。領地巡回で気づいたことがございます」


セシリアは姿勢を正し、一礼した。


「言え」


短い許可が落ちた。 レオンハルトは羽根ペンを置き、椅子の背にもたれた。


「食料の保存についてです。現在この領地では天日干しと簡易な塩漬けが主な方法ですが、それでは冬を越す量を確保できません」


レオンハルトは無言で頷いた。 それは彼自身がよく知っている事実だった。


「別の方法があります。燻製と塩蔵です」


セシリアの声は落ち着いていた。 だが、心臓は速く打っていた。


確信があるわけではなかった。 頭の中にある知識は確かに感じるが、実際に試したことはない。 この体では、一度も。


「燻製は、煙で食材を長時間燻すことで表面に保護膜を作り、水分を抜く手法です。塩蔵は、塩の濃度を調整して食材の内部まで浸透させることで、腐敗を大幅に遅らせます」


言葉にしながら、セシリアは自分の中の知識が確かな手触りを持っていることに驚いていた。 曖昧だった記憶の断片が、口にするごとに明瞭になっていく。


「ただし」


セシリアは一度言葉を切った。


「確信があるわけではないのですが、試す価値はあるかもしれません」


正直に言った。 嘘はつけなかった。 確証のない提案を、さも確実であるかのように語ることは、この人の前ではできなかった。


レオンハルトの目が、セシリアを真っ直ぐに見た。


「根拠は」


「以前読んだ書物と、実際に似た手法を見たことがあるような……」


曖昧な答えだった。 自分でもそう思った。


かつての婚約者なら、この時点で話を聞くのをやめただろう。 セシリアが何かを提案しようとした時、ギルベルトは決まって柔らかく微笑んで言ったものだ。 「難しいことは僕が考えるから」と。 聞いてもらえなかった。 一度も。


だからセシリアは、レオンハルトの次の言葉を待つ間、無意識に拳を握っていた。


沈黙は数秒だった。


「試す価値はある」


レオンハルトは短く言った。


「三日後に素材を揃える。燻すための木材と、質の良い塩、それに保存を試す肉と魚。量はどの程度必要だ」


セシリアは一瞬、言葉を失った。


聞いてくれた。 それだけではなく、即座に実行の計画に移った。


「……肉は豚か鹿で、それぞれ両腕に抱えられる程度。魚は川魚で同量。塩はできるだけ粗いものを。木材は果樹の枝が最良ですが、なければ広葉樹で」


気づけば、口が勝手に動いていた。 頭の中の知識が、必要に応じて次々と浮かび上がってくる。


レオンハルトは頷き、傍らの紙に何かを書き留めた。


「三日後だ」


それだけ言って、レオンハルトは再び書類に目を落とした。


三日後。 約束。


セシリアは執務室を出た後、廊下でふと足を止めた。


三日後に、本当に揃うだろうか。


三年間、約束はただの一度も守られなかった。 「次はちゃんとする」は、いつも空の器だった。 だから体が覚えてしまっている。 約束という言葉を聞くと、同時に裏切りの予感が胸に差し込む。


信じたい、とは思う。 けれど信じることが怖い。


セシリアは廊下の窓から外を見た。 灰色の空は変わらない。 でも、あの人は「三日後」と言った。 疑問の余地のない声で。


三日が過ぎた。


朝、セシリアが城館の裏手にある作業場に向かうと、そこには全てが揃っていた。


鹿肉の塊。 川魚の束。 粗塩の入った木桶。 切り揃えられた広葉樹の枝。


そして、その傍らにレオンハルトが立っていた。 腕を組み、無表情で。


セシリアの足が止まった。


呼吸が詰まった。 視界の端が、かすかに滲んだ。


「本当に……来た」


声が震えた。 自分でも驚くほど、小さく、頼りない声だった。


レオンハルトが怪訝そうに眉を寄せた。


「約束した。当然だ」


何を不思議がっているのかわからない、という顔だった。 本当にわからないのだろう。 約束を守ることが当然ではない世界を、この人は知らない。


涙が滲んだ。 こらえようとした。 だが一粒だけ、頬を伝った。


セシリアは慌てて袖で拭った。


「……煙が目に沁みただけです」


まだ火も焚いていなかった。 明らかな嘘だった。


レオンハルトは何も言わなかった。 ただ、無言のまま立ち位置を変えた。 セシリアと、作業場に積まれた薪の間に入る位置に。


風向きを遮るように。 煙が目に入らないように。


そのことにセシリアが気づいたのは、少し後のことだった。


セシリアは袖をまくり、作業を始めた。


まず塩蔵から取りかかった。 粗塩を手に取り、鹿肉の表面にすり込む。 手が自然に動いた。 頭で考えるより先に、指が塩の量を加減していた。


次に燻製の準備に入った。 広葉樹の枝を短く折り、作業場の隅に掘られた簡易な竈に組む。 火を熾し、枝を燻べる。 煙が白く立ち上った。


その煙を見た瞬間、記憶がさらに鮮明になった。 煙の温度。 食材との距離。 時間。 すべてが、手のひらに刻まれているように感じた。


魚を吊るし、煙の流れを確かめながら位置を調整する。


「お嬢様、お手伝いします」


マルガレーテが隣に来た。 セシリアは頷き、塩の分量を指示した。


レオンハルトは少し離れた場所に立ったまま、腕を組んで見ていた。 口は出さなかった。 ただ、領民の手伝いに来た男たちに「彼女の指示に従え」とだけ短く命じた。


時間が過ぎた。


煙が肉と魚を包み続けた。 油が滴り、脂の焼ける匂いが立ち上る。 セシリアは煙の色と匂いを確かめながら、火加減を指示し続けた。


夕暮れ近くになって、最初の試作品が完成した。


燻された魚を、居合わせた領民の一人が恐る恐る口にした。


噛んだ瞬間、男の目が見開かれた。


「……美味い」


その一言が、作業場に広がった。 他の者たちも次々に手を伸ばし、燻された肉と魚を口にした。


「これなら冬まで持つんじゃないか」 「こんなもの、食べたことがない」


声が重なった。


セシリアの胸に、温かいものが広がった。 自分の知識が、誰かの役に立った。 それが、こんなにも嬉しいことだと知らなかった。


「使えるな」


レオンハルトの声が、背後から聞こえた。


振り返ると、レオンハルトがセシリアを見ていた。 その視線がセシリアの上で一瞬止まり、すぐに逸らされた。 目線が横の木桶に移り、そこで固定された。


「……今後も続けられるか」


声がわずかに低くなっていた。


「はい。素材の確保さえできれば、手順は領民にも教えられます」


セシリアが答えると、レオンハルトは短く頷いた。 それ以上は何も言わず、作業場を離れていった。 その足取りが、ほんの少しだけ速いように見えたのは、気のせいだったかもしれない。


セシリアは作業場に残った。


煙の匂いが髪と服に染みついていた。 手は塩と脂で汚れている。 王都にいた頃の自分には考えられない姿だった。


けれど、胸の奥は静かに温かかった。


約束を守る人がいる。 ただそれだけのことが、こんなにも胸を打つ。


セシリアは空を見上げた。 夕焼けが灰色の雲の隙間から差し込み、荒野を薄い金色に染めていた。


三年間、ずっと凍えていた何かが、ほんの少しだけ溶け始めた気がした。

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― 新着の感想 ―
燻製って塩漬け・乾燥の工程が含まれるから、もしも生産量の増加が課題だとしたら、これはアンサーにはならない気がする。となると、腐敗が原因で冬の途中で食材がロストするというのが問題なのかな?なら、結局は乾…
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