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病弱な幼馴染の嘘がバレた日  作者: 月雅
第3章

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第6話「一人で立つ」

――私は、何を答えればいいのだろう。


クラウス・ヴァルターが辺境公爵領に到着したのは、レオンハルトが出陣してから二日後の昼過ぎだった。


王家の紋章が刻まれた馬車が門前に止まり、御者が扉を開けた。降り立ったのは、痩身の男だった。四十代半ば。灰色がかった髪を短く整え、仕立ての良い上着に王家の徽章を留めている。表情は平坦で、目は何も映していないように見えた。


セシリアは門前に立ち、深く一礼した。


「お待ち申し上げておりました。王家の侍従官クラウス・ヴァルター様でいらっしゃいますね。辺境公爵家の代理として、お迎えいたします。セシリア・ヴァイスフェルトでございます」


クラウスは一礼を返した。所作に無駄がなかった。


「ヴァイスフェルト嬢。ご丁寧に。公爵閣下のご不在は承知しております」


事務的な声だった。感情の色がなかった。好意も敵意もない、ただ事実を確認する声。


「国境防衛にてご出陣中でございます」


「ええ。公爵が国境防衛に出ているのは職務です。審査の延期理由にはなりません」


淡々とした言葉だった。セシリアの答えを評価するでも否定するでもなく、制度上の事実を並べている。


「ただし、公爵ご本人への面談は帰還後に追加で実施いたします。本日はヴァイスフェルト嬢への面談を行わせていただきます」


セシリアは「承知いたしました」と頷いた。


エレオノーラが、城館の玄関に立っていた。


セシリアがクラウスの到着前に同席を申し出た際、エレオノーラは少し驚いた顔をした。だがすぐに「もちろん」と答えた。


クラウスがエレオノーラに気づき、足を止めた。


「エレオノーラ様。お久しぶりでございます」


「クラウス。変わりないようね」


短いやり取りだった。旧知の間柄であることが、その呼び方の距離に表れていた。エレオノーラは「クラウス」と呼び、クラウスは「エレオノーラ様」と敬称をつけた。先代公爵の未亡人に対する礼と、旧知としての慣れが同居していた。


審査は、城館の客間で行われた。


丸い卓の上に、クラウスが書類を広げた。羽根ペンとインク壺を手元に置き、記録の準備を整えている。


セシリアが向かいに座り、エレオノーラが少し離れた椅子に腰を下ろした。マルガレーテが部屋の隅に控えている。


クラウスが口を開いた。


「まず、領地への貢献について伺います。ヴァイスフェルト嬢が辺境公爵領で手がけた事業の内容と、その成果を具体的にお聞かせください」


セシリアは背筋を伸ばした。


「燻製の製法を確立し、継続取引契約を締結いたしました。その後、発酵食品の開発に着手し、量産体制を構築いたしました。現在、量産第一弾が王都に出荷されております。また、グレーヴェン商会との事業提携を正式に成立させ、交易路の拡充を進めております」


数字を添えた。出荷量、取引額、領民の雇用数。帳面は持ち込まなかった。全て頭に入っていた。


クラウスは無表情のまま、ペンを走らせた。質問は的確だった。取引の条件、品質管理の手法、領民との関係。一つ一つに答え、セシリアの声は安定していた。


自分の仕事について語ることには、もう迷いがなかった。


「次に、公爵家の夫人としての資質について伺います」


クラウスの声は変わらなかった。同じ事務的な調子で、話題だけが移った。


「辺境に留まる理由は何ですか」


セシリアの口が開きかけた。


そして、止まった。


頭の中で、言葉が渦巻いた。


事業のため。領地のため。公爵家の発展のため。


どれも嘘ではなかった。だが、どれも本当ではなかった。


公爵家の夫人としての答え。王家の記録に残る言葉。宮内省に送られる報告書に書かれる一文。


完璧な答えを出さなければならない。この場にふさわしい、公的な言葉を。


セシリアの指先が、膝の上で冷えた。


言葉を探していた。頭の中で、「求められる答え」が次々と浮かんでは消えた。事業の継続のため。領民への責任のため。公爵家と侯爵家の結びつきのため。


どれを並べても、胸の奥に届かなかった。正しい言葉のはずなのに、自分の声に聞こえなかった。


沈黙が長くなった。


クラウスのペンが止まっていた。セシリアの答えを待っている。表情は変わらない。だがその無表情が、沈黙の重さを際立たせていた。


マルガレーテが部屋の隅で、わずかに身じろぎした。


セシリアの中で、古い声が囁いた。


相応しくなければ。


その声は、三年間の傷の底から這い上がってきた。役に立たなければ、必要とされなければ、ここにいる意味がなくなる。あの頃の焦りとは形が違う。だが根は同じだった。


完璧でなければ。相応しくなければ。求められる答えを出さなければ。


「クラウス、少しお待ちなさい」


エレオノーラの声だった。


穏やかだった。だがその奥に、芯があった。


クラウスの手が止まった。ペンを置き、エレオノーラを見た。


エレオノーラが椅子から立ち上がり、セシリアに向き直った。


「完璧な答えなど要りません」


声は静かだった。


「私にも聞かせてください。あなた自身の言葉を」


セシリアはエレオノーラの目を見た。


あの鋭い目。息子と同じ形の、人の内側を見通す目。だが今、その目の奥にあったのは値踏みではなかった。


待っていた。


この人は、セシリアの言葉を待っていた。


セシリアは一度目を閉じた。


深く、息を吸った。


胸の奥にあるものを探した。完璧な言葉ではなく、自分の言葉を。王家の記録に残すための答えではなく、自分自身の声を。


目を開けた。


「この土地に根を下ろした者として、この土地と共に歩む覚悟があるからです」


声は静かだった。飾りはなかった。


それは公的な言葉であると同時に、自分自身への宣言だった。


クラウスは無表情のまま、ペンを取り直した。紙の上に文字を書き始めた。何の反応も返さなかった。だがその沈黙は、否定ではなかった。記録に値する言葉として受け取った、という事務的な承認だった。


エレオノーラの目に、光が宿った。


あの日、「自分で選んだ場所です」と答えた時に揺れた目。今は揺れていなかった。静かに、確かに、光っていた。


審査はその後も続いた。婚約の政治的影響、公爵家と侯爵家の関係、王家への忠誠の確認。クラウスの質問は事務的で、セシリアは一つ一つに答えた。


全ての質問が終わった後、クラウスは書類をまとめた。


「審査の記録は宮内省に送付いたします。現時点で問題は認められません。ただし、公爵ご本人への面談は帰還後に実施いたしますので、私は数日間こちらに滞在いたします」


「承知いたしました。ご滞在中のことは、何なりとお申しつけください」


クラウスは一礼し、客間を出ていった。


部屋に残ったのは、セシリアとエレオノーラと、隅に控えるマルガレーテだった。


沈黙が落ちた。


エレオノーラがセシリアの方を向いた。


「あなたは私とは違います」


声は静かだった。


「この土地に、あなた自身の根がある」


セシリアの胸が詰まった。


この人が「私はこの土地を好きになれなかった」と告白した日のことを思い出した。途中で止まった帳面。果たされなかった努力。五年前に去った母の背中。


「お母様にも、ここに根がありました」


声が出た。考えて選んだ言葉ではなかった。


「途中で止まった帳簿が、その証拠です」


エレオノーラの目が伏せられた。


唇を噛んだ。薄い唇の端が白くなった。


数秒の沈黙。客間の窓から差し込む午後の光が、二人の間に落ちていた。


「……ありがとう」


小さな声だった。掠れていた。


セシリアの目が熱くなった。


「お母様こそ、来てくださってありがとうございます」


深く頭を下げた。


エレオノーラは何も答えなかった。だがその沈黙は、冷たいものではなかった。


自室に戻ったセシリアは、窓辺に立った。


日が傾き始めていた。辺境の大地が、夕暮れの色に染まりつつある。


審査は終わった。自分の言葉で答えられた。エレオノーラが助けてくれた。


だが、胸の中に安堵だけがあるわけではなかった。


レオンハルトがまだ帰っていない。


出陣から三日目。国境の状況は不明だった。斥候からの報告も、セシリアの元には届いていない。


公爵本人への面談という条件が残っている。クラウスは数日間滞在する。だがレオンハルトの帰還が遅れれば、審査は完了しない。


セシリアは窓の外を見つめた。


街道の先は、夕暮れの中に霞んでいた。国境の方角だった。


あの人は約束を守る人だ。


それは知っている。体の奥で、確かに知っている。


だが、知っていることと、不安を感じないことは、違った。


マルガレーテが部屋に入ってきた。


「お嬢様、お夕食の支度が整いました」


「ありがとう。すぐに参ります」


窓から離れた。


街道の先に、馬の影は見えなかった。

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