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病弱な幼馴染の嘘がバレた日  作者: 月雅
第3章

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第5話「剣と誓い」

先代公爵夫人が使っていた私室は、城館の西棟の奥にあった。


エレオノーラがセシリアを連れてきたのは、滞在四日目の朝だった。


「見せたいものがあるの」


それだけ言って、エレオノーラは廊下の奥へ歩き出した。セシリアはマルガレーテと共にその後に続いた。


私室の扉は、長い間開けられていなかったらしい。エルマーが鍵を持ってきて開錠し、扉が軋みながら開いた。


中は埃が薄く積もっていたが、荒れてはいなかった。使用人が定期的に管理していたのだろう。小さな机、椅子、窓辺に置かれた燭台。質素だが品のある調度品が、十年以上前の空気をそのまま閉じ込めていた。


エレオノーラは机の引き出しを開けた。


中から一冊の帳面を取り出した。


「これを」


セシリアは帳面を受け取った。表紙を開いた。


数字が並んでいた。収穫量、家畜の頭数、使用人の配置、季節ごとの備蓄量。領地経営に関する記録だった。筆跡は整っていたが、ところどころに修正の跡があった。慣れない手が、一つ一つ数字を確かめながら書いた痕跡。


ページをめくった。


帳面の途中で、記録が止まっていた。


最後のページに書かれた日付は、先代公爵が亡くなる数ヶ月前のものだった。


セシリアは帳面から顔を上げた。


エレオノーラが窓辺に立ち、外を見ていた。背中が静かだった。


「お母様も、この土地を良くしようとされていたのですね」


セシリアの声は穏やかだった。


エレオノーラは振り返らなかった。


「途中で止めました。私には、続けられなかった」


声は平坦だった。だがその平坦さの下に、長い年月をかけて固まった痛みがあった。


セシリアは帳面に目を戻した。途中で止まった記録。この土地で何かをしようとした人の、果たされなかった努力が、数字の中に残っていた。


胸の奥に、冷たいものが走った。


もし自分もこの帳面のように、途中で止まることがあったら。


その恐怖は、以前のものとは違っていた。「役に立たなければ」という焦りではない。「ここに根を下ろした自分が、根ごと引き抜かれるかもしれない」という、もっと深い場所から来る恐怖だった。


セシリアは帳面を閉じ、エレオノーラに返した。


「大切なものを見せていただき、ありがとうございます」


エレオノーラは帳面を受け取り、引き出しに戻した。


「あなたには見ておいてほしかったの。この土地で何かを始めることがどういうことか、知っておいてほしかった」


声が小さくなった。告白ではなかった。忠告だった。不器用な、心配から来る忠告。


セシリアは頷いた。言葉は返さなかった。返す必要がなかった。この帳面が語ったことを、体の奥で受け止めていた。


城館に戻ったのは、昼前だった。


廊下を歩いていると、執務室の方角から複数の足音が聞こえた。近衛の足音だった。


セシリアは足を止めた。


執務室の扉が開いていた。中から、レオンハルトの声が聞こえた。低く、鋭い声。指示を出している声だった。


近衛が二人、執務室から出てきた。足早に廊下を通り過ぎ、城館の外に向かった。


セシリアは扉の前に立った。


レオンハルトが机の前に立っていた。座っていなかった。机の上に広げられた報告書を見下ろしている。


「レオンハルト様」


レオンハルトが顔を上げた。


セシリアを見た。数秒の沈黙があった。


「国境を越える動きがある。放置すれば前と同じ規模になる」


声は簡潔だった。事実を並べている。だがその声の奥に、すでに決断した者の硬さがあった。


「出る」


一言だった。


セシリアの胸に、冷たいものが落ちた。


知っていた。覚悟はしていた。だが、実際にその言葉を聞いた瞬間、体が先に反応した。指先が冷え、呼吸が浅くなった。


「留守を頼む」


同じ言葉だった。以前、国境の巡視に出る時にも聞いた言葉。だが今回は重さが違った。


王家の立会人クラウスの到着が数日後に迫っている。レオンハルトが不在のまま、審査を受ける可能性がある。


「承知いたしました」


セシリアの声は落ち着いていた。


「立会人の対応は、私がいたします」


レオンハルトの目が、一瞬揺れた。


セシリアの言葉を聞き、何かを言いかけた。口が開きかけ、閉じた。


母に頼れ。


その言葉が喉まで来ていたことを、セシリアは知らなかった。だがレオンハルトはそれを飲み込んだ。母との関係が修復されていない自分に、それを言う資格があるのかと、この人は迷ったのだ。


「……わかった」


短い返答だった。


レオンハルトは机を離れ、窓辺に立った。セシリアと向かい合う形になった。


執務室の光が、二人の間に落ちている。


「母がこの土地を去ったのは、俺のせいでもある」


セシリアの呼吸が止まった。


レオンハルトの声は低かった。平坦さの下に、長い間抱えていたものが滲んでいた。


「父が死んだ後、俺は母に一度も『戻ってくれ』と言わなかった」


窓の外を見ていた。辺境の大地が、午後の光の中に広がっている。


「言えなかった。母が辛いことは知っていた。だから引き留めなかった」


セシリアの胸が痛んだ。


二十歳だった。父を亡くしたばかりだった。母が辛いことを知っていた。だから何も言わなかった。それは冷たさではなかった。


「言えなかったのは、優しさだと思います」


声が自然に出た。考えて選んだ言葉ではなかった。


レオンハルトの目がセシリアに戻った。


「……お前は何でもそう言う」


声が掠れていた。


「何でもではありません。あなたのことだから、そう思うのです」


セシリアはレオンハルトの目を真っ直ぐに見た。


沈黙が落ちた。


レオンハルトの右手が動いた。


ゆっくりと上がり、セシリアの頭に向かって伸びた。


指先がセシリアの髪に触れた。


一筋だけ。指の腹が、髪の表面を軽く撫でた。


すぐに離れた。


触れた時間は、息を一つ吸う間よりも短かった。だがその指先の感触が、頭のてっぺんから体の奥まで、静かに落ちていった。


セシリアは動けなかった。


レオンハルトの手が下ろされた。


「……行ってくる」


声は低かった。いつもの簡潔さだった。だがその奥に、戻ってくるという無言の約束があった。


セシリアの目が熱くなった。


堪えた。今は泣く場面ではなかった。この人を送り出す場面だった。


「お帰りをお待ちしております」


声は震えなかった。震えさせなかった。


翌朝、レオンハルトは近衛二人を従えて城館を発った。


セシリアは門前に立って見送った。馬蹄の音が遠ざかり、やがて街道の先に消えていった。


以前も同じ場所に立った。国境の巡視の時。あの時は、窓から見送った。今回は門前に立っている。


マルガレーテが隣で黙って立っていた。何も言わなかった。ただ、セシリアと同じ方角を見ていた。


馬の姿が完全に見えなくなった後も、セシリアはしばらくそこに立っていた。


やがて、息を深く吸った。


初夏の風が、乾いた土の匂いを運んできた。


「参りましょう」


セシリアはマルガレーテに言った。


「立会人の到着は明後日です。準備を仕上げなければ」


マルガレーテは「はい、お嬢様」と頷いた。


セシリアは門を背にし、城館に向かって歩き出した。


背筋を伸ばしていた。レオンハルトがいない。だが、やるべきことがある。


この人の傍にいたい。この人の傷を受け止めたい。その感情は、もう形を持っていた。


だからこそ、今は一人で立つ。


あの指先の感触が、まだ髪に残っていた。

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