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病弱な幼馴染の嘘がバレた日  作者: 月雅
第3章

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第3話「迎える手」

セシリアは城館の門前に立ち、街道の先を見つめていた。


初夏の午前の陽が、石畳を白く照らしている。風は乾いていたが、冬の鋭さはもうない。門の両脇に立つ近衛が、街道の向こうに目を凝らしていた。


馬車が見えた。


街道の緩やかな起伏の向こうから、一台の馬車がゆっくりと近づいてきた。質素だが品のある造り。車体に紋章はなかった。だが、御者の装いは明らかに王都の仕立てだった。


セシリアの隣に、レオンハルトが立っていた。


腕を体の横に下ろし、背筋を伸ばしている。いつもの姿勢だった。だがその肩に、わずかな硬さがあった。執務室で書類に向かっている時とは違う、意識的に姿勢を保っている硬さだった。


馬車が門前で止まった。


御者が降り、扉を開けた。


最初に見えたのは、手だった。薄い手袋に覆われた細い手が、扉の縁を掴んだ。


次に、姿が現れた。


エレオノーラ・ヴェルクマイスター。


品のある容姿だった。五十を過ぎているはずだが、背筋はまっすぐで、所作に一切の無駄がなかった。銀の混じった髪を丁寧にまとめ、旅装の上に薄い外套を羽織っている。


目が、レオンハルトに似ていた。


鋭く、冷静で、人の内側を射貫くような目。だがレオンハルトの目が感情を隠すものだとすれば、この人の目は感情を巧みに制御するものだった。同じ形の器に、違う使い方をしている。


エレオノーラの視線が、まずレオンハルトに向いた。


一瞬だった。息子の姿を認め、その隣に立つセシリアを認め、門の前に整列する使用人たちを認めた。全てを一息で把握する、鮮やかな視線の動きだった。


セシリアは深く一礼した。侯爵令嬢として、先代公爵の未亡人に対する正式な礼。


「お待ち申し上げておりました。遠路のお越し、誠にありがとうございます」


声は落ち着いていた。震えてはいなかった。


エレオノーラが一歩近づいた。


「ご丁寧に。セシリア・ヴァイスフェルトさん、ですわね」


穏やかな声だった。だが、言葉の端に薄い刃のようなものがあった。敵意ではない。鮮利さだった。


「お噂は伺っています。辺境の特産品事業、見事なものですわね」


エレオノーラの目がセシリアの顔に止まった。穏やかな笑みを浮かべている。だがその目は笑っていなかった。セシリアの顔、姿勢、衣服、手の位置、目の動き。全てを測るように、静かに動いていた。


セシリアはその視線を受け止めた。


怯まなかった。


この目は知っている。王都の社交界で、貴族たちが相手の値踏みをする時の目だ。だが、あの頃のように壁際で微笑みを作って立ち尽くす自分はもういない。


「恐れ入ります。皆様のお力添えあってのことでございます」


声は丁寧だった。謙遜は本心だった。だがその声に、実績に裏打ちされた落ち着きがあった。


エレオノーラの目が、ほんの一瞬だけ動きを止めた。


レオンハルトは母の到着の間、口を開かなかった。セシリアの隣に立ち、母と、母に対応するセシリアを見ていた。


「母上。長旅で疲れただろう。部屋に案内させる」


簡潔だった。息子から母への言葉として、最低限の言葉だった。


エレオノーラは「ありがとう」と短く答えた。その声に、息子への距離があった。敵意ではない。踏み込めない距離だった。


使用人が荷物を運び始めた。エレオノーラが城館の中に入っていく。


その瞬間、近衛の一人がレオンハルトの傍に歩み寄った。


低い声で何かを告げた。


セシリアの位置からは聞こえなかった。だがレオンハルトの表情が、わずかに変わった。眉間に皺が寄り、顎が引かれた。


近衛から小さな封書を受け取り、外套のポケットに収めた。


その仕草は滑らかだった。エレオノーラの目を気にしている様子はなかった。だがセシリアは見ていた。レオンハルトが封書を受け取る瞬間の、目の奥の光の変化を。


国境の報告だ。


斥候からの続報。隣国の辺境伯の動向。レオンハルトが前から気にしていた件だった。


セシリアの胸に、小さな影が落ちた。


午後、エレオノーラの城館案内が始まった。


セシリアが先導し、マルガレーテが後ろに控えた。レオンハルトは執務があると言い、同行しなかった。


城館の広間、食堂、客間。順に案内しながら、セシリアはエレオノーラの反応を見ていた。


エレオノーラは礼儀正しく頷き、時折質問を挟んだ。城館の構造についての質問は少なく、領地の運営に関する質問が多かった。燻製の出荷量、領民の数、作業場の規模。


かつてこの城館に住んでいた人の質問にしては、実務的に過ぎた。この場所の記憶よりも、今この場所がどう変わったかに関心があるようだった。


作業場に差し掛かった時、エレオノーラが足を止めた。


「こちらが、特産品の作業場ですわね。見せていただいてもよろしいかしら」


「もちろんでございます」


セシリアは作業場の扉を開けた。


発酵食品の樽が整然と並んでいる。壁には温度と色の記録を書き留めた帳面が掛けられ、作業台の上には次の仕込みのための道具が揃えられていた。


エレオノーラの目が、作業場の隅々を見た。


樽の配置、帳面の数、道具の手入れの状態。全てに目を通し、一つ一つを確認するように視線を動かした。


「見事ですわ。これだけの規模を、あなたが整えられたのですね」


声に嘘はなかった。だがその奥に、評価とは別の何かがあった。確かめている。この人の事業の質を。そしてそれを通じて、この人自身を。


セシリアはそれを感じ取っていた。


案内の終わり際、城館の廊下を並んで歩いている時だった。


エレオノーラが不意に口を開いた。


「辺境の暮らしはお辛くありませんか」


声は穏やかだった。世間話のような口調だった。だがその問いの奥に、別の層があった。


侯爵家の令嬢がこの辺境に耐えられるのか。


セシリアにはわかった。この問いは、事業の話ではない。暮らしの話だ。そしてそれは、かつてこの辺境に暮らし、王都に戻った人が投げかける問いだった。


セシリアは足を止めなかった。廊下を歩きながら、真っ直ぐ前を見て答えた。


「辛いことがなかったとは申しません。ですが、ここは私が自分で選んだ場所です」


声は静かだった。飾りはなかった。


エレオノーラの目が揺れた。


一瞬だった。穏やかな笑みの下で、目の奥に何かが走った。驚きとも、痛みとも違う、名前のつかない揺れだった。


すぐに消えた。エレオノーラは「そうですか」と短く答え、歩き続けた。


セシリアの後方で、マルガレーテが二人の背中を見ていた。


そしてマルガレーテは、もう一つのことにも気づいていた。セシリアが「自分で選んだ」と言った瞬間、廊下の角の向こうに、レオンハルトの気配があったことに。


聞こえていたかどうかはわからない。だが、角の向こうで立ち止まっていた気配は確かにあった。そしてその人の手が膝の上で握りしめられていたことを、マルガレーテは見なかった。見る必要はなかった。想像がついたからだ。


夜。


セシリアは自室に戻り、窓辺に立った。


エレオノーラとの対話を反芻していた。


あの人の真意は、まだわからない。事業を確認しようとしている。セシリアという人間を見極めようとしている。それは確かだ。だが、その奥に何があるのか。


「辺境の暮らしはお辛くありませんか」


あの問いの声音を思い出した。穏やかだったが、温かくはなかった。だが冷たくもなかった。どこか、自分自身に問いかけているような響きがあった。


扉を叩く音がした。


マルガレーテではなかった。使用人が、レオンハルトからの伝言を持ってきた。


「執務室にお越しいただけますかと」


セシリアは廊下に出た。


執務室の扉は開いていた。レオンハルトが机の前に立っていた。書類を整理し終えたところらしく、机の上は片付いていた。


「母と何を話した」


レオンハルトの声は低かった。平坦だったが、その奥に硬いものがあった。


「お母様のことを、少しだけ教えていただきました」


セシリアは答えた。嘘ではなかった。エレオノーラの問いは、エレオノーラ自身のことを語っていた。


レオンハルトの目が揺れた。


「……何を聞いた」


声が、わずかに掠れていた。


セシリアはレオンハルトの顔を見た。冷静な目。だがその奥に、五年分の距離が影を落としている。


「レオンハルトが大切にされていたのだと思います」


言葉は自然に出た。考えて選んだのではなかった。エレオノーラの目の揺れを見た時に感じたことが、そのまま声になった。


レオンハルトの手が動いた。


右手がゆっくりと上がり、セシリアの肩に向かって伸びた。


途中で止まった。


指先が空中に留まっていた。あの日、庭園で涙を拭おうとした時と同じ。触れていいのかわからない。この人は、いつもそこで止まる。


数秒の後、手が下ろされた。


「そうか」


短く言って、レオンハルトは歩き出した。セシリアの横を通り過ぎ、廊下に出ていった。


セシリアは執務室に残り、触れかけた手の残像を見つめた。


あの手が、いつか止まらなくなる日が来るだろうか。


胸が痛かった。だがその痛みは、以前のものとは違った。自分の痛みではなく、この人の痛みだった。


この人の傷を、受け止めたい。


その感情が、静かに輪郭を結び始めていた。


王都。ランツァー伯爵邸。


ギルベルトは書斎の机の前に座っていた。


広げられているのは、伯爵家の領地経営に関する書類だった。収穫量の報告、年貢の計算、使用人の配置表。父が以前から管理していたものを、ギルベルトが引き継ぐ形で目を通し始めていた。


従者が書斎に入ってきた。


「旦那様、少しお顔色が良くなりましたね」


ギルベルトは書類から目を上げた。


「……そうかな」


曖昧な答えだった。自分では変化がわからなかった。ただ、机の上の書類に手をつけようと思えたことは、以前にはなかったことだった。


従者は微笑み、茶を置いて退室した。


ギルベルトは書類に目を戻した。


数字を追いながら、ふと手が止まった。


変化は微かだった。だが、止まっていた足が、一歩だけ動き出している。それが何に向かっているのかは、まだわからなかった。

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