第3話 迫りくるウッドチッパー
馬乗りになった四衣凪がシャツを脱ぎ、上半身が下着だけになった。
俺は放心状態のまま、ぼやけた視界で顔を横に背けている。
「続けていいよね」
「……好きにしろ」
四衣凪が俺のシャツのボタンに手をかけ、一つずつ外してゆく。
――と、途中で止まる。
「……思ったけど、この状況。私が柊くん襲っているよね」
「誰がどう見てもそうだろ」
「そっか……男子視点ではこういう感じか……」
「どうすんだよ。俺はもう、どうでもいいよ。今からマグロに生まれ変わります」
「……余裕ありそうね」
はだけたシャツの下に手を伸ばす四衣凪。
沈黙。
四衣凪は電源が切れたかのように、動かない。
「どうすんだよ。手が止まってるけど」
「え、えっと……。やっぱり私が責めないといけないのかなぁ、なんて思ったりして」
「何だそれ? 面倒くさいならやめればいいじゃないかよ」
「いや……ここまできて、途中で止めるのもかっこ悪いし」
「はぁ……」
体が熱い。
マグロに生まれ変わると言ったものの、どうにも若い身体が、勝手にその気になってしまっている。
見上げると四衣凪の顔が真っ赤に染まり、潤んだ瞳で恥じらいを浮かべていた。
ドクン、と胸が鳴った。
肉体に精神が引っ張られているのか、妙に彼女が可愛く思えてきた。
俺は、ほぼ無意識に四衣凪の腕を思い切り引き、その勢いで逆に覆いかぶさるような体勢を取る。
「え……? え――っ!?」
四衣凪は指先を迷わせながら、揺れる瞳をぱちぱちとさせていた。
――これは、やばいな。もう止まれん。
「今の俺、退廃的ダウン系男子だから」
「ど、どういう意味――っ!?」
ふと、彼女が刺客だったら殺されるの確定だな、と脳裏に浮かんだが、宣言通り今の俺は自暴自棄なので、迷うことをあえてやめた。
「嫌なら……いつでも殺していいから」
四衣凪の濡れたように潤んだ唇に引き寄せられ、至近距離まで顔を近づける。
薄く開いたままの口元から、かすかに吐息が漏れ出すのを感じた。
拒むように瞳を大きく揺らしていた彼女だが、唇同士が触れ合う僅かな境界線に達した時、観念したかのようにそっと目を伏せた。
ブー。
唐突に、振動音が響く。閉じていたはずの四衣凪の瞳が開いた。
「スマホ……私じゃない」
「俺じゃない。ということは、お前だ」
両手で思い切り押され、突き飛ばされるように距離を取られる。
「私のは鞄の中! 絶対近くの音でしょ」
振動音は鳴り続けている。
強引に弾かれた四衣凪の手の感触を名残惜しく感じながらも、ベッドから起き上がり音の発信源を探す。
至近距離――後ろのポケットが揺れていた。
間違いなく俺のスマホだ。
ちらりと四衣凪を見る。彼女も気持ちが切り替えられていないのか、妙に色っぽく胸を揺らしながら息をしている。
「……無視して続けていい?」
「嫌」
完全な否定に、俺はため息で肩を落とし、スマホの画面を見る。
熱が急速に引いていき、頭がみるみる冷静になっていく。
液晶には副委員長という文字が浮かび上がっていた。
俺は姿勢を正し、身構えながら電話に出る。
「――お前っ! 裏切っといて、よく電話してこれたな!!」
『やっと出た! 何ですぐに出ないの!?』
「……え?」
ちらりと、横で寝そべったままの四衣凪を見る。
あらためて冷静な頭で、下着姿の彼女を見ると、本能と倫理観が混ざり合い、残念のような、ほっとしたような、言葉にし難い感情が胸の奥から湧いてきてしまった。
「ちっ! ……まだスマホに慣れないんだよ。で、何用ですか? 今、重要なやり取りの最中なんだけど。というかお前のせいで自暴自棄に走っているんですけど?」
『重要? やり取り? まあ、柊くんの訳が分からないのは、いつもどおりだとして……四衣凪さんはそっちに来た?』
再び四衣凪へ視線を向ける。ベッドの上で、グラビアアイドルのようなポーズで、つんとした顔でこっちを見てる。
もう少し電話が鳴るのが遅ければ……と、奥歯を噛みしめる。
「……来ましたよ。というか今、すぐそこにいますよ!!」
『なんで怒ってんのよ。――まあ、それならよかったわ。四衣凪さん、口には出さなかったけど、追い込まれてる感じがしたから、助けてあげて。柊くんなら大抵のこと、どうにでもできるでしょ?』
「……話が見えないな。四衣凪が追い込まれている? お前が差し向けた刺客なのに?」
『はぁ? 刺客? ――柊くん、まさか、また勘違いで変なことしてる? 言っとくけど、君がいた異世界でやっていたことのほとんどはこっちでは犯罪だからね。取り返しのつかないことになったら、私ももう手助けはできないよ』
三度、四衣凪へ目をやる。無意識の動き、柔らかく揺れる胸と、腰や太もものラインの艶めかしい動き。
何だろう。見ようによっては事後の恋人が、側でくつろいでいるように見える。
ん? ――あれ? なんか、この状況やばくない?
四衣凪からゆっくりと視線を外す。
急に腹がぎゅっと締め付けられるように痛くなってきた。
「……」
『何で黙るの!? もしかして、もう何かしちゃったとか? ちょっと、四衣凪さんに代わって!』
「誰? 副委員長?」
四衣凪はいつの間にか起き上がり、俺のすぐ横に移動していた。
『あれ? そこに四衣凪さんいるの?』
俺は必死になって彼女に、あっちにいけ、とジェスチャーで伝える。
四衣凪はそんな俺を首をかしげながら不思議そうに、ただただこちらを見つめている。
「四衣凪は……今、ちょっと電話に出られる状況じゃない」
「別に、出られるけど」
彼女の横やりに、身体の中心がひゅっと凍りつく。
『今、出れるって声した! いるんでしょ、すぐそばに! 代わりなさい!』
心臓の鼓動の強まりが止まらない。このままでは、はじけ飛んで死んでしまいそうだ。
『早くしなさい! どの道明日、四衣凪さんに聞けば、何をしたか全部わかるんだから。少しでも罪を軽くしたいなら、今すぐ白状して』
……確かに。
冷静にこれまでの流れや、俺と四衣凪の立ち位置を考えてみるが、別段問題がないように思えた。
何も悪いことはしていない。
ちゃんと状況説明すれば、案外副委員長も納得してくれるかもしれない。
「わかった。言うよ。正直に。でも約束して。……絶対、怒らないでね?」
『怒らないから。早く言いなさい。柊くんの奇行には、もう慣れているから』
「えっちしようとしてました」
『そこから動くな』
プツリ、と通話が切られた。
――背筋が凍りついた。
俺はようやく気づいた。この腹の痛みと吐き気は、体調不良なんかじゃない。
本能が逃げろ! と、悲鳴を上げていたのだ。
俺は、すぐに立ち上がり、四衣凪が脱いだ衣服を拾い上げ、彼女に手渡す。
四衣凪が不思議そうな視線でゆっくりこちらを見る。
「どしたの、慌てて」
「今すぐ服を着ろ」
突然の台詞に、彼女は怪訝そうな様子で、口を歪めている。
「早くしろ。相談があるんだろ? 移動しながら聞く。急いでここから逃げるんだ」
「え……何で?」
「奴がくるからだよ。このままだと、俺は半殺しどころか、ウッドチッパーで体を粉砕されかねない」
「うっどちっぱー? 誰のこと?」
俺は深呼吸し、はっきりと、四衣凪に伝える。
「副委員長に決まっているだろうが!」




