第2話 異世界帰りの俺と、下ネタ好きのギャルとでは話がかみ合わない
俺は四衣凪に背を向け、部屋を後にした。
「ちょ、ちょっと! どこ行くの!?」
背後から声は聞こえるが、何かを仕掛けてくる様子もない。
――油断したな。これが、俺に襲い掛かる最初で最後のだったのに。
玄関の鍵を調べ、ちゃんと閉まっていることを確認する。
ヨシ。
安堵しながら玄関から部屋へと戻る。
「わざわざ鍵かけ直したとか。柊くん、結構ビビりなんだ」
四衣凪が首をかしげながら、冷たく鼻で笑った。
――フ。俺は内心、鼻で笑い返してやった。
バカめ。これで、簡単に部屋から逃げられなくなったことに気付いていないとは。
俺は次の行動として、部屋の四隅を確認する。
定置式魔法陣の形跡。監視や逃走の仕掛けは見当たらなかった。
「マジウケる。めっちゃ焦ってるし。……そこまでしたいなら」
閉め切られた部屋で暑いのか、四衣凪はシャツの襟元を掴んで、服の中に風を送り込み始めた。
広がった隙間から、真っ白な肌と、くっきりと刻まれた胸の谷間が露わになる。
……はしたない奴だ。娘じゃなくて本当に良かった。
「いいよ。今すぐしてあげても」
とはいえ、俺も男だ。
魅力的な女性に迫られれば、体は勝手に反応するし、判断も鈍る。
そのために編み出したA H TD T(Anti Honey Trap self-Defense Techniques)。
全身の筋肉を硬直させ、大地と一体化し、意識を無我の境地へと誘う。
急激に力んだせいで、筋肉が異常な収縮を開始する。全身を駆け巡る痛みに、つい「ゔ……っ!」と短い声を上げ、激しく身震いしてしまった。
――そして、到達する。無我の世界。何もない真っ白な地平線。
「ふぅぅぅぅ……」
腹の底から呼吸を吐き出す。
全ての雑念を追い出し、体中を爽やかな心地よさが駆け巡る。
これで準備は完了だ。今の俺に色仕掛けは通用しない。
あらためて四衣凪へ目を向けると、呆気にとられた様子でこちらを見つめていた。
「うそ……賢者タイム!? まだ何もしてないのにイクとか、マジでありえない」
「あ、ごめん話聞いてなかった何? え……行く? イクっ!?」
いきなりぶっ込まれた下ネタに、つい吹き出しそうになってしまった。
「ちょ! おま! ――急に何言いだすんだよ」
「はぐらかしたって無理よ。……表情で、分かりやすすぎ。処女じゃなくても、今どきの女子なら普通にわかるよ」
マジで何言ってんだ、こいつ。常時発情期かよ。
このまま性欲盛んなギャルに好き勝手喋らせると、下ネタトークだけで朝になっちまう。
――会話の主導権を取らなければ。
話が混乱する前に、この女――四衣凪瑛瑠の情報を引き出す。
異世界で学んだ毒婦を混乱させる鉄板の会話術。想定外の情報を叩きつけ、相手の思考を停止させてやる。
「俺、中年かつ屈強な戦士が好みなんだ」
「……はあ!? 意味わかんない! 私の下着見ただけでイっちゃったくせに!」
やれやれ。困ったな。思考を止めるどころか、変なスイッチを入れてしまったらしい。
この目の前の初心な乙女に、精神年齢三十六歳の俺がその程度でイクわけない、とどう説明したら納得してもらえるだろうか。
「だいたい誘い方が三流なんだよ。自分の顔とスタイルを過信しすぎ。俺をハメるつもりなら、もっと時間をかけて外堀を埋めて、警戒心を下げてからにするべきだろう。それに、場所選びもセンスがない。放課後の誰もいない教室とか。そういう背徳感の演出が足りてないんだよ。どんだけ俺がハニートラップ仕掛けられてきたと思ってんだよ」
しんと静まり返った室内。
四衣凪の顔が、見る間に引きつっていく。
「ゔ、……!! 酷いし、キモい!!」
瞬間、四衣凪の瞳が泳ぎだした。
その顔は赤面を通り越し、恥辱に悶える普通の女の子のように見えた。
「女子から誘うの、めちゃ勇気いるのに……っ!!」
酷いって……。げ――まさか、さっきの独り言。口に出してしまっていたのか。
ああ、やばい。娘の友達を正論で言いくるめて泣かせてしまったような気分だ。すぐにフォローしなくては。
「……ていうのは嘘で。さっきから四衣凪が淫靡に誘惑するから、今にも欲望のままに覆いかぶさりたいのを、必死の理性で押さえつけるの大変だったぜ」
彼女の目がみるみる見開き、顔が赤くなる。
そして、ふん、と顔を横にして、俺を視界から逸らした。
この反応はどっちだ――間違いか、正解か。
いや……どちらにしろ、会話が止まった今が好機。ここは素直に質問をぶつけて話を前に進めるべきだ。
「ふぅ――」と俺は気を取り直すために深呼吸をする。
「……正直に言う。お前の目的がわからない。俺を襲って何の得があるんだ?」
「襲う――。そっか、童貞の柊くんからすれば、私に襲われてる気分なんだ……」
「ん? ……俺、童貞じゃないけど」
「え!?」
四衣凪が今日一番の大きな声を上げた。
「う、うそ……柊くん……彼女いるの?」
しまった。それは異世界にいた時の話だった。
今の俺は童貞だ。
「ごめん。嘘。俺、童貞」
親指で自分を指して言い切る。
「チッ!」
舌打ちして、四衣凪がかかとで勢いよく床を蹴った。
「ああ……下は管理人室なんだ。響くからやめてくれ……」
彼女は顔を背け、小さく唇を動かす。
「……なんで私が、こんな役を」
「落ち着け四衣凪。俺が童貞で怒っているのかもしれないが、とにかく話だけでも進めないか?」
「話の腰折ってるのは、そっちでしょ!」
枕が投げつけられた。
顔面にヒットして、ポトンと落ちたそれを拾い上げ、ベッドの上の元の位置に戻す。
その際、彼女と急接近し、甘い香りがした。
四衣凪を見ると、ねだるような潤んだ視線で俺を見ていた。
不意に、脳内に過去の、殺し屋ごっこをする幼い頃の娘に迫られた時の台詞が再生された。
『横に座ってよお! すぐに、暗殺するから! お願い(はーと)。パパを殺さないと、組織のボス(ママ)に怒られるの(くすん)』
「はぁ……」
なんで今、あの時を思い出すのか。
俺は、四衣凪の横に並ぶ様にベッドに腰を下ろした。
「四衣凪、お前がなぜ俺の命を狙うのかは、あえて聞かない」
「――そう」
「でも、なぜ俺なのかは教えて欲しい。それはお前が望んでのことなのか? それとも、組織とかに依頼されてのことなのか?」
「組織?? 柊くんを紹介してくれた人ってこと?」
紹介……?? 犯罪ブローカー的な奴のことだよな?
「そうだ」
「副委員長よ。相談したら、柊くんが一番都合がいいでしょうって」
「副委員長だと……?」
その名を聞いた瞬間、心臓の奥が嫌な脈動を打った。
指先から熱が奪われ、どこか遠くにいる誰かへ命を吸い取られているような、あの不快な感覚。
「そんな……副委員長が。……俺を、売ったっていうのか……!」
「え? どうしたの? 副委員長となんかあったの?」
「さすがに、嘘……だよな」
「嘘って……本当よ。ていうか、副委員長に相談したのが嘘って、意味わからなくない?」
「……」
「え? 何? もしかして付き合ってるの?」
「一生……付き合うつもりだったよ!」
「??? それって、片思いってことだよね?」
ちっ――。このギャル。こっちが真剣に落ち込んでいるのに、片思いとか言って茶化しやがって!
くそっ――。
「そうだよ! 片思いみたいなものさ! なんたって副委員長自身は、俺が陰でやっていることを知らないんだからな!」
「……フラれたんだ。それで、距離取られて落ち込んでるんだ」
「落ち込むに決まっているだろ! 一生を捧げた女に、命を狙われているんだぞ」
「ああ――もういいよ柊くん。大体わかったから。童貞捨てられると思って迫ったら、副委員長ちゃんに拒絶されて落ち込んでいるんでしょ?」
「んん? 何言ってるんだ? 段々話の意味がわからなくなってきたんだが……」
突然、四衣凪が急接近して、俺に覆いかぶさった。
ベッドに沈む体。すぐ近くで、女の子特有の甘い匂いが鼻をつく。
「ちょ――四衣凪。お前、何やって――」
「だったらいいじゃん。私で童貞捨てちゃえば」
彼女はさらに、シャツのボタンを外した。はだけた胸元から、深い谷間が覗く。
本来なら、すぐに四衣凪を跳ねのける場面。しかし、副委員長の裏切りをどうしても受け入れられない俺は、ベッドから起き上がる気力すらも失ってしまっていた。
――もう、どうでもいい。
あいつを助けなくていいのなら、俺がこの世界で戦う理由なんてない。
四衣凪にトドメを刺されても、かまわない。
俺はただ、焦点の合わない、歪んだ天井を眺めるのが精一杯だった。




