第14話 どうしようもないクズ
キィン――!
放たれた銃弾は、四衣凪の背中へ届く寸前、目に見えない障壁に阻まれ火花を散らして消え去った。
俺の胸に飛び込んできた四衣凪。
その体は、張り詰めていた糸が切れたように、激しい嗚咽とともに崩れ落ちそうなほど震えていた。
「信じてたぜ四衣凪。お前ならあんなクズの言いなりになんてならないって」
「バカ――バカ――本当に――死んじゃったらどうするのよ、このバカぁ!!!!」
パンッ! パンッ! パンッ!
九条が、なりふり構わず残りの弾丸をぶちまける。
しかし、放たれた銃弾は、俺たちと奴の間を阻むように展開された魔法障壁に衝突し、無残にもひしゃげたクズ鉄となって床へと落ちていった。
カチッ!
乾いた作動音が、虚しく響く。九条の顔から、余裕という名の仮面が剥がれ落ちていった。
「――くそっ! なんだってんだよ、これはぁぁぁぁぁ!!!」
「オムニレクス」
俺の静かな呟きに応じるように。背後に控えていた異界の王が、闇から滲み出る様に姿を現した。
「悪い、四衣凪をたのむ」
震える彼女の肩をそっと押し、俺はオムニレクスに預けて一歩前へと踏み出した。
元カレは震える手で、新しい弾丸をシリンダーへ押し込もうと必死に指を動かす。
「……このような児戯に、俺を駆り出すとはな」
オムニレクスが背後で不満を漏らす。
「そう言うなよ。本当に助かってるんだぜ、異界の王」
「フン……」
俺は更に一歩、元カレとの距離を詰める。
「それにしても、元カレさん。あんた、すげえよ」
「く、くそ! 何で、俺が――」
震える指先は、弾丸をシリンダーに差し込むことすらままならない。
「俺はとっくの昔に感情が枯れ果てたと思っていたんだけどよ。久々に腹の底が煮えたぎっているんだわ」
カチャ。
ようやく元カレが銃弾の補充を完了させた。
「よし! 死ねやぁ!」
勢いよく銃口を跳ね上げる。――が、元カレの視界は影に塗りつぶされていた。
「へ――?」
すでに俺は、拳が確実に届く間合いへと移動していた。
「こんなにも、お前をぶん殴りたい気持ちにさせてくれた。……おかげで若返った気分だ」
「ひ――」
元カレが引き金に指をかける。
しかし、遅い。
引き金を引き切る、そのコンマ数秒前。
俺は自身の拳を、銃を握る元カレの手を粉砕するように振り下ろした。
「がっ! て、手があああ!」
肉と骨がひしゃげる音が響き渡った。
カランと音を立てて転がる拳銃。
元カレの指が、生物学的にありえない方向へと折れ曲がっていた。
「ぎぁぁぁっ!! くっそぉぉ!!!」
残された腕を、唯一の希望である拳銃へと伸ばす元カレ。
案外しぶといな。
俺は、ゴミ掃除の時のような無心と無造作の動作でもう片方の手を強引に掴み、一気に捻り上げた。
確かに、元カレの指先は拳銃に触れていた。
それなのに、彼がいくら力を込めても、鉄塊は一向に持ち上がる気配を見せない。
「あれ!? 何で!?」
俺は必死に指を這わせる元カレに、優しく助言してやった。
「手の甲と平が逆さまになってるのに、まともに動くわけないだろう」
俺の言葉をなぞるように、元カレがまじまじと自分の手を見つめる。
「こ、これは!?」
右手の指はバラバラの方向に折れ曲がり、左手は手首の関節から180°回転し、不気味な形に変貌していた。
自分の体の状態を意識した瞬間、遅れて地獄のような激痛が元カレを襲った。
「いてぇぇぇぇ――っ!! くそがぁぁぁぁ――っっっ!」
俺は床に転がる鉄塊を蹴り飛ばし、すぐに元カレを殴るために身構える。
「おいおい男の子だろ。本番はこれからだぞ」
振り下ろす。拳を。
逃げ場のない一撃が、元カレの顔面を捉えていた。
「――!?」
拳が届く瞬間。
肌を焼くような、あまりにも異常な熱波が全身を逆なでした。
俺は無理やり軌道を修正し、後方へと大きく飛びのく。
「ちっ!!」
激痛に顔を歪ませながらも、執念を宿した瞳で、元カレはこちらの動きを射抜いていた。
「お前、まさか」
周囲の空気が、焦熱によって歪み始める。
「ちくしょう、痛ぇ! ……絶対。絶対にお前たちは殺す!」
元カレの目の前に、空間を焼き焦がしながら拍動する、炎の球体が現出していた。
「ただじゃ殺さねぇ! 俺の苦しみよりもはるかにきつい苦しみを与えながら殺してやる!」
「魔法……使えるのか」
ダンサー――陽斗だけではなかった。
予測はしていたが、やはり、この男も魔法を会得している。
しかも、先ほどの陽斗とは、魔力の密度がまるで違う。より高度な魔法。
「死ねよ! ファイアァ!!」
狂った咆哮と共に、凝縮された熱源が、歪に膨れ上がる。
「ボール!!!」
ため込まれた魔力が一気に解放され、集熱の塊が、空気を切りながら一直線に撃ち出された。
――さすがにこれは、真正面から受けられないか。
俺は全神経を研ぎ澄ませながら、最小限かつ最小の動きで体を逸らした。
直後、主を失った炎の弾丸は、衰えない勢いのまま背後の四衣凪とオムニレクスへと牙を剥く。
「きゃあ――!」
四衣凪が叫び声と共に身を塞ぐ。
しかし、オムニレクスの展開した透明な障壁によって、呆気なく炎は霧散させられた。
「ほう……独学でここまで精度の高い術を組み上げるとは、這いつくばるだけの鼠にしては上出来ではないか。賞賛するぞ、下俗」
オムニレクスが愉悦を孕んだ笑みで口角を吊り上げる。
視線を戻せば、元カレの膝は無残に震えていた。
最後の拠り所であったはずの奥の手。最終手段が、赤子の手をひねるように、今まさにあっけなく破られたのだ。
あまりの絶望に、元カレの瞳から光が消え、心が音を立てて折れていくのがわかった。
どうしようもないクズとはいえ、流石に相手が悪すぎた。
異界の王を前に、一介の人間が心を折られるのは、さすがに不憫に思えてしまう。
俺は、そんな元カレを哀れに思い、つい、助け舟を出してしまった。
「大丈夫だ、元カレ。オムニレクスじゃあ分が悪かったけど、お前の才能は本物だ。現に俺はお前の魔法を避けたんだ。どうしてかわかるよな?」
九条は黙ったままこちらを見据える。
「直撃すれば、俺も無事じゃ済まなかったからさ。だから避けたんだ。大丈夫、自信を持て」
俺の言葉に応じるように、九条の周囲に十数個の小型の火球が、浮かび上がっていく。
「……ッ」
男の唇が細かく震えていた。
「どうした? 何か言ったか?」
俺が聞き返す。
その言葉に反応するかのように、九条がキッと顔を上げ、憎悪に満ちた視線でこちらを睨みつけた。
「だったら……避けられないように、数で押し潰してやるよ! 行け! 俺の! ファイアボール!!」
指揮者のように、勢いよく腕を振り下ろす。
再び殺意を燃え上がらせた彼の姿を見て、俺は安堵した。
「ああ……よかった。まだまだ元気じゃないか」
九条が腕を振り下ろしきる、瞬き一つに満たない刹那。
俺は奴との距離をゼロにする。
「……はい?」
九条の口から、緊張感のない抜けた声が漏れた。
「それだけ元気ならまだ殴られても大丈夫だな」
言い捨てると同時に、俺は容赦なく九条の顔面に拳を叩き込む。
「ぎゃはぁ――っ!」
九条の体は糸の切れた人形のように宙を舞い、地面を無様に転がった。
しかし、すぐに這い上がるようにして立ち上がった。
再び周囲の空間を焦がし、歪な炎の球体を形作っていく。
「当てれば俺が勝つんだ――当てさえすれば」
鼻血と埃にまみれた顔で、九条は未だ俺を呪い殺さんと睨みつけていた。
俺は危うく吹き出しそうになる。
ここまでしぶといとは、本当、敵ながらあっぱれな奴だ。
「ファイア――ッ!」
魔法の名を叫びきるその前に、俺の足先が元カレの腹部へと深々とめり込んだ。
「んだっぱら――っ!!!」
情けない絶叫。再び無様に床を転がる。
しかし、それでも、震える膝を立てて、三度立ち上がる。
「やれやれ、本当にしぶといな」
俺は呆れ混じりに、移動速度のギアを一段階引き上げた。
すでに九条の動体視力は、俺の動きを捉えることができなくなっていた。奴は焦燥に駆られながら、あてもなく周囲をキョロキョロと見回しだす。
「どこだ! どこに隠れた卑怯者! 俺の魔法と正々堂々勝負しろ!」
「あのさ、お前なんか勘違いしているみたいだけどさ」
九条の脇腹を拳で深く抉るように打ち抜く。
「がぼぱ――っ!!!!」
魔法が、霧が晴れるように儚く四散した。
それでも奴は止まらない。
もはや形すら保っていない、指の潰れた両手を振り回し、俺への抵抗を試みる。
俺は最小限の動きでかわし、そのままがら空きの反対側から、その頬を拳で抉り飛ばした。
「本気の殺し合いで詠唱を待ってやる奴なんているわけないだろう。俺を倒したいなら、思考した瞬間に放つぐらいの芸当を見せなきゃ、当たってやれねえぞ」
吐き捨てる言葉と共に、俺は九条の膝裏を容赦なく蹴りつける。
さすがに限界が訪れたのか、無様に膝から地面へと崩れ落ちた。
「まあ、落ち込むなよ。俺と違って、才能はあるんだからさ」
地面に這いつくばる九条の視線に合わせて腰を落とし、その震える肩を、ぽんぽんと叩いてやった。
「――は、はは」
絶望に沈んだはずの口から、笑い声が漏れだした。
敗北のショックで精神が崩壊したのか、とも思ったが、肌を刺すような違和感に苛まれた。
「どうした。初めての人生の挫折に、生きていくのが嫌になったか?」
「……これ以上、俺を殴ることは……許さない」
「負け犬のくせに上から目線だな。今までやってきたことを思い出せよ。お前の命令に、俺が従うとでも思っているのか」
「は、はははは――勘違いしているのはお前だよ陰キャ野郎。むしろ、お前たちは俺の《《慈悲》》に助けられているんだぜ?」
「本当に何を言って――っ!?」
言葉を遮るように、九条が震える手でスマートフォンの画面を突きつけてきた。
予想外の出来事に俺は息を呑む。
そこに映し出されたのは、無防備な下着姿で横たわる四衣凪の姿だった。
「これ以上、俺に逆らえばこの動画をネットに流す。俺からの無事の合図が途切れた瞬間、外に待機している仲間たちが一斉にアップロードする手筈になってるんだよ」
目の前の男が、さっきまでの負け犬とは思えないほど醜悪な歪んだ笑みを浮かべていた。
奴の発する一言一言が、俺の奥底で眠っていた、どす黒い感情を呼び覚ましていく。
「……やるなぁ。その若さでド級の畜生野郎だぜ、お前」
「形成なんて最初から逆転してないんだよ――さあ、どうする!? こんなとき! Sランクハンターさんならよぉ!」
勝ち誇ったゲス野郎の叫びが、醜く響き渡った。
ちらりと、視線を四衣凪へ向ける。
不安に顔を強張らせ、震えながら事の成り行きを見守っていた。
……やれやれ。本当にどうしようもないクズに捕まっちまったんだな。四衣凪瑛瑠は。
俺はゆっくりと、頭の後ろに腕を回した。




