第11話 Sランクハンター
魔族の男――ハンターキラーが放った一言に、俺は思わず吹き出してしまった。
「ぷっ! 魔王軍だって! さすがに引きずりすぎだろ! いつまでそんな肩書き背負ってるんだよ!」
俺は影に手を突っ込んだままのポーズで、腹を抱えて笑う。しかし、周囲に笑い声は一つもなかった。
五メートル先のソファに座る四衣凪と元カレ、そして立ち上がったゾルダまで、全員が引きつった顔でじりじりと後ずさっているように見える。
「あれ? ……。ウケてるの俺だけ?」
「……気持ち悪いんだよ、陰キャ野郎」
元カレが吐き捨てる。
隣に座る四衣凪も、冷ややかな視線を向けるだけで、何も答えてはくれなかった。
ハンターキラーは、眉ひとつ動かさず、無機質な視線で俺を睨みつけている。
『オムニレクス! なんで俺がスベったみたいな空気になってるんだよ!』
『馬鹿か、主。魔王軍が零落した悲哀を、この世界の住人が知るはずなかろう。……それより、影の中で俺の髪を引っ張るな。貴様から先に殺すぞ』
『あ、ごめん。つい』
オムニレクスの言うとおり、俺の煽りは四衣凪や元カレには響かなかった。
だが、ハンターキラーだけは別だった。
当事者ゆえか、男は声を震わせながら俺を凝視し、カッと目を見開く。
「ランク――」
ぼそりと呟いた。
よく聞こえなかったので、俺は片手を耳に当て、首を傾ける。
「え、なんて? ランクがどうしたって?」
ハンターキラーの震えがさらに激しくなった。だが、彼はそれをねじ伏せるように拳を強く握りしめ、今度は周囲が震えるほどの怒号を叩きつけてきた。
「貴様はハンターであろう! まさか、己のランクを忘れたとは言わせないのである!!」
あまりの爆音にハッと我に返った俺は、オムニレクスの髪の毛を掴んだまま思考を深める。
『ど、どどどうしようか。本当のこと言ってもいいものかどうか』
『好きにしろ。どうせこの世界では意味のないランクだ。それよりも、俺を影から出すのか、出さないのかはっきりしてくれ』
「……先ほどの動きから見るに、Bランクだと予想する」
何も答えない俺にしびれを切らしたのか、ハンターキラーが先に断定してきた。
「我が名はゾルダ。Bランクハンターならば聞いたこともあろう」
誇るように含み笑うゾルダ。
まるで、その名を聞けば、俺が絶望するであろうという期待がびんびんに伝わってきて、いたたまれない気持ちになってきた。
正直ゾルダなんて名前聞いたことがない。そんなことより、いつまでも影に手を突っ込んだままのポーズでいるのも、客観的に恥ずかしくなってきたので、素直に、本当のことを端的に告げる。
「Sだよ」
俺の返答に、四衣凪と元カレはもちろん、男の表情からも一瞬で温度が消えた。
ゾルダは呆れ果てたように首を振り、冷え切った言葉を投げつけてくる。
「……お主、本気で言っているのか」
「そうだよ」
刹那、ゾルダが肩を激しく震わせた。彼は顔を手で覆い、天を仰ぎながら大声で笑い出す。
「ハハハ――ハハッ! これは面白い! Sランクか! そうきたか!」
「どうした兄弟……っ! Sランクってのは、弱いのか!? Bより!」
狂ったように笑い続ける魔族の男に、元カレが不安を隠せない様子で問いかける。
「ッククク――。何、この男があまりにも子どもじみた嘘を平然とついたのでな。つい、笑いが止まらなくなってしまったのである」
「おいおいおい、本当に俺はSランクなんだって!」
俺の返しに、再びゾルダの笑顔が凍りついた。
「……まだ言うか、無恥者。ここが異なる世界とて、怨敵たるハンターを貶めるその失言。我ら魔王軍への蔑みと同義であると心得よ」
男の視線に、研ぎ澄まされた明確な殺意が宿る。
その殺気に当てられたのか、元カレが冷や汗を流しながら、必死に話に乗っかってきた。
「ムキになりすぎだぜ兄弟……《《Sランク》》ってのはそんなにヤバい称号なのか?」
「ヤバいなどという言葉では到底収まらん! 世界にわずか七人しか存在せぬ《《至高の頂点》》である!」
ゾルダがびしっと俺を指さし、断罪するように叫ぶ。
「このような魔力のかけらすらもたぬ男が、その座にあるわけがないのである!!!」
今にも襲いかかってきそうな猛烈な怒気を、俺はひょいといなすように答える。
「魔力は関係ないだろ、魔力は」
そんな俺の態度が気に入らなかったのか、ゾルダはさらに凄まじい怒気を纏いだした。
「興ざめである!! 久々の死合える相手に出会えたと思ったが、Sランクの重みも知らぬ下種に興味は無いのである!! 今すぐこの世界から、その存在ごと消し去って――」
男が死の宣告を言いかけた、その時。
蠢く影からオムニレクスの手が伸び、俺の腕を強く掴んだ。波打つ影を裂き、生まれるようにして異界の王が姿を現す。
「……いい加減にしろよ、主。貴様の命令を待たずとも、この世界を灰燼に帰してやってもよいのだぞ」
上半身を影から這い出したオムニレクスの、魂を握りつぶすような冷徹な声が、その場にある全ての思考を凍りつかせた。
「か、影から人が出るのか――!?」
元カレは唖然と呟き、自分の影を二度見する。
この世界の法則を完全に無視した目の前の光景への困惑。まさに、開いた口が塞がらないという状態だった。
「影から人……魔法であるか!? い、いや、そのような術、我の記憶には存在せぬ!」
自ら放ったその否定。皮肉にもそれが、ゾルダの奥底に眠る記憶を呼び起こす。
「……あ、ああ、ま、まさか……」
急変した男の様子に気づき、元カレが声をかける。
「どうした兄弟。あの影から出てきたやつを知っているのか?」
ゾルダは力が抜けたように首を振った。
「し、知らないのである――しかし、思い出した。Sランクの中に、ただ一人、《《魔力無き男》》が存在することを」
目に見えて狼狽し始めたゾルダに、元カレが呆れた視線を向ける。だが、男はそんな視線などお構いなしに、生まれたての小鹿のように膝を震わせながら、ゆっくりと後ずさった。
「その男は、影を操ることができると聞いた。……そ、それは魔法とは一線を画す異能――ああ、そうである! 奴は! 奴こそがっ!!!」
誰の目にも明らかなほど、男の震えは常軌を逸していた。
「落ち着け! どうしたってんだ、何をそんなに怯えている!?」
元カレの必死な呼びかけもゾルダの耳には届いていない。
「あの影に潜む一人一人が、世界を破滅させかねぬ上位の存在……」
怯えきった視線が、すがるように俺へと向けられた。
せっかく目が合ったので、俺はあらためて事実を突きつける。
「だから。俺がそのSランクハンターだっつーの。言っとくけど、大変だったんだからな。Sランクの試験受かるの」
そう伝えた瞬間だった。
爆ぜるように広がった影から、オムニレクスが完全に姿を現した。
その姿はまさに威風堂々。一国ならぬ一世界を統べるのが当然と言わんばかりの佇まい。
あまりの神々しさと禍々しさに場が凍りつく中、オムニレクスは、真っ先に俺の胸ぐらを掴み上げた。
「貴様、この俺の髪を弄び続けるとは、今日をこの世界の終末にしたいと言うのだな? そうだな? そうだと答えろ、主!!!」
「ちょ、ちょい待て! 引っ張ったのは謝るけど、今はそれどころじゃない! あそこ、ハンターキラーがいるから、そいつが敵だから」
「くだらん! あんな雑兵どうでもよいわ! 今は不敬な貴様を肉塊と化すことが先決だ!」
そんな俺たちの不毛なやり取りを冷めた目で見ていた元カレが、傍らのハンターキラーへ声をかける。
「……兄弟。あいつら、あんなこと言ってるぜ。どうするよ?」
だが、帰ってきたのは死人のような沈黙だった。
数秒前までの苛烈な殺気は霧散し、男はもぬけの殻のように虚空を見つめている。
「兄弟――お前」
元カレに気づいたゾルダは、死人の足取りで、弱々しく振り返った。
「九条……悪いが我はここで降りる」
「え?」
「何っ!?」
想定外の敗北宣言が、俺とオムニレクスの耳に飛び込んできた。俺たちは同時に動きを止め、声を揃えて叫んでいた。
呆気にとられたオムニレクスが、自然と俺の胸ぐらから手を放す。
自由になった俺は、すぐさまゾルダに向き直り、信じられない思いで問いただした。
「おまえ、降参って……俺と戦うのは止めるってことか?」
今にも消え去りそうな掠れた声で、男は答える。
「……その通り。《《Sランク》》に挑むほど、我は愚かではない。……がしかしである。ランクを見抜けず無礼を働いたのも事実」
全てを諦めた者のような悟りの笑みを浮かべ、坐禅を組むハンターキラー。
「我の命、好きにするがよいのである。――もし、情けというものがあるのであれば、一撃。……一撃で我を殺してほしい」
ゾルダは力なく目を閉じた。
俺は困り果ててオムニレクスを見た。
「どうする? 何だか知らないうちに終わっちゃってるけど」
オムニレクスがフイと背を向け、不貞腐れるように吐き捨てる。
「――知らん! 二度と下らぬ茶番に俺を巻き込むな!」
静まり返るホール内。
とりあえず場を収めようと、俺はゾルダの方へと一歩足を踏み出した。
「ま、まあ、とりあえず、平和的に解決したってことで、一度ここはお開きに――」
パンッ!
乾いた破裂音が、ホールに鳴り響いた。
見れば、ゾルダの額に、ぽっかりと黒い穴が空いていた。
俺は、音の鳴った方へ視線を移す。
そこには四衣凪がいた。彼女は悲鳴すら上げられず、ただ喉を引きつらせ、絶望の表情を浮かべていた。
その隣に座る元カレ――九条。
片手には拳銃が握られていた。
その銃口は白煙を上げながら、動かぬゾルダへと向けられていた。




