9.近寄る闇
俺が立ち尽くしている間に女は立ち去っていった。
メイドが慰めても泣き止まず、鼻をすすりながら歩く女はちゃんと帰れるか不安だ。治安の悪い街に女2人で居たら危ない。下手をすれば金目の物を奪われ、乱暴され、娼館で朝を迎えることになる。
でも、俺はその場から一歩も動けなかった。
クルスが捕まった。
俺のせいで。
そのことだけが頭をループする。
俺のことなんてさっさと売ればいいのに、自分一人で耐えるなんて馬鹿だ。俺はシェリーの兄なんだから俺がそそのかしたことにすればいい。そうすればクルスは解放されるのに。
なんで一人で我慢しているんだ。
俺は胸が熱くなって歯を食いしばる。
クルスをまっすぐ見たのはいつが最後だろうか。
貴族だから。会わないと約束したから。騎士の家系だから。様々な理由でクルスを遠ざけた。
最近の俺はクルスの目を見ているようで見ていなかっただろう。
いつからかクルスを見る目にフィルターがかかっていた。
きっとクルスも気づいていたはずだ。
あいつは俺みたいに馬鹿じゃない。優しくて真っすぐで、それでいてとても頭が良い。
俺に近づいても良いことなんて何もないと分かっていたはずなのに、あいつは俺の前に姿を見せ続けた。
それがいけないことだと分かっていたはずなのに。
「……なんで、あいつばっかり」
「あいつばっかり? どうして俺ばっかりの間違いでしょう?」
暗い路地裏から見知らぬ男が俺を見て笑う。
女と見間違うほど綺麗な顔をしているのに、浮かんでいる笑みはどこか気味が悪い。耳が短く尖っているから妖精族か。
「……誰だ」
嫌なところを付いてくる男に警戒が勝る。
この下街では見ない顔だ。着ている服も先ほどの女同様立派なものだ。
さっきの女の護衛か?
それにしては俺が手を掴んだ時に出てこなかったのがおかしい。
俺は不審な男を睨んだ。
「そんなに怯えないでください。私たちは貴方と同じですよ。生まれつき闇を持ち、闇に魅入られ、神に嫌われる、ね」
「俺は闇と関わったことなんてない!!」
神の生み出す光によって生きるこの世界において闇は最も忌み嫌われるものだ。だから黒髪の人は存在せず、神も色とりどりの魔法属性に適した髪色を与える。
闇なんて以ての外だ。
「本当にそうでしょうか。貴方は神を憎んだことはない? 他人を妬んだことは?」
笑みを深める男は大きな帽子を撫でる。
俺はこの男のことを何も知らない。初めて会ったはずなのに男は心に刺さる言葉で、俺の醜悪さを暴いていく。
他人を妬んだことなんて山のようにある。
神を憎んだことも同様に。シェリーが人柱として選ばれた時なんて、絶対に許さないと思っていた。
それが闇に魅入られているというのなら俺も闇に近いのだろう。
だが、それを暴こうとする男が気に食わない。たとえ俺が闇に魅入られていたとしてもこの男には関係ないはずだ。
「なんで俺にそんなことを言う? この街に妬んだことがないやつや憎しみを持ったことがないやつなんていない。生まれつき闇を持ってるやつは見たことがないが」
そう、黒髪なんて見たことがない。
一番黒に近くてもこげ茶だ。よくある土属性の髪。それでも闇に近いとして貴族から嫌がられる。土で好かれるのは明るい茶色だ。白や金が混じればなおのこと良い。
「あはははは!! それはそうでしょう。貴方たち地上の人々は黒が生まれる度に殺すのだから。存在自体が悪として。殺しても墓に入れず、その辺に捨てる。下手をすれば生んだ親ごとそうする。ねぇ、そうでしょう」
狂ったように笑う男は路地裏から出てきて俺の顎を持ち上げる。ふんわりと香る花の香りはこの男のものだろうか。
あまりにも場違いで、次の行動が読めない。
男の手を振り払おうにも、なぜか体が動かなかった。男のスキルにしては強力だ。
口と目は動くようなので、俺より頭1個高いところにある男の目を睨む。
「そんな話は聞いたことがない」
「一般には教えられませんから。ただ、生まれれば秘密裏に処理する。地上に住む方々がお得意なことでしょう?」
愉悦に光る男の目からは真実か読み取れない。口調も丁寧なようで、聴きいると危ない雰囲気がある。
この男は何を知っているのか。一体何者なのか。何も分からない。
俺は初めてこの男が怖いと思った。
「貴方、本当に良い目をしますね。これほど待ち遠しいと思ったのは久しぶりです」
「お前に好かれても気持ち悪いだけだ」
この男は一体何を伝えたいのか。微妙にかみ合わない会話のせいで、男の放つ言葉に翻弄される。
だが、男も俺に理解させるつもりがないのだろう。ただ笑みを深めた。
「ええ、私たちはお待ちしておりますよ。貴方が我々の同胞となる日を」
最後まで良く分からないことを言いながら男が俺の顎から手を離し、空を見る。
忌々しそうに天を仰いだ男の帽子から零れた髪の色は黒だった。
「なっ、お前!!」
慌てて男の腕を掴もうとしたものの手は宙を切り、男は闇にまぎれるように消えていく。
元々存在しなかったかのように男が消えたところで、ようやく辺りの音も戻ってきた。
俺は震える手で自分の腕を掴み、立っているだけで精一杯だ。男の消えていった場所を見ても何もない。
ただ、背筋に冷たいものが走るような感じがした。




