8.蠢く闇
セントレア教会に侵入してしばらく経ったが、俺の日常は変わらなかった。
相変わらず近所の人には遠巻きに見られ、ひそひそと陰口を叩かれる。変わったことと言えばクルスが姿を見せなくなったことくらいだ。
どう謝ろうか。クルスが怒ってきたら。無視してきたら。逆に気にしてないような態度を取ってきたら。様々なパターンを考えたのに実践する機会がない。
「あいつ、大丈夫だよな……」
会えない日が続くほどに不安が増していく。
セントレア教会に忍び込んだのがバレたのではないか。
俺の代わりに何か罰を受けたのではないか。
気になってクルスの家の方を見てしまうことが増えた。
俺は平民だから、貴族の不祥事なんてよほど大事にならない限り分からない。父も職場のそういった話は家でしない。
だから余計不安になるのだろう。
下街にも伝わってくるほどの大事は処刑や御家断絶だ。小さな罰くらいならお貴族様の間でしか伝わらない。例え降爵しても俺が知ることはないはずだ。
それくらい俺とクルスの間には差があった。
でも、上司に当たるクルスの親父に何かあれば父の様子に違和感を覚えるはずだ。大恩のある人物の不幸に無反応なほど父は薄情じゃない。
となると恐らくバレていないのだろう。
あってもお叱りくらいか。
そうであったら良いと思いながら空を見上げる。
あの日ヒビの入った天はそのままの形を維持していた。それ以上ヒビが広がることもなければ修復されている様子もない。
おかげで不安そうな人が増えた。
この状況に教皇もマズイと思ったのだろう。珍しく人柱交代を発表したと聞く。
この状態でも俺たちが責められていないのは偏にシェリーが人柱になったと公言していないからだ。だから周りの人は妹が何かやらかして騎士団に連れていかれたと思っている。
あまりに不名誉で理不尽だ。
それでも、言わなかったことが今の俺たちを守っている。
黙っているように提案した時、伯爵は本当の事を知っていたのだろうか。知っていたから、貴族と揉めて消されないように言うなと言ったのだろうか。
余りにも遠い世界の考え過ぎて分からない。
言わなかった事が正解だったのかも俺には知る術がなかった。
俯き、いつも通り仕事を探そうとすると目の前に影が落ちる。
誰かが俺の前に立っているようだ。
顔を上げて正体を探ろうとした瞬間、頬を叩かれる。
「何をするんだ!」
反射的に俺を叩いた手を掴みあげた。しっかり顔を見て睨むと、少女とも言える年頃の女だった。
「痛いわ!!」
金切り声を上げ、暴れる女の手を離す。
近い場所から護衛と思わしき小柄な影が動くのが見えた。
なんだこの女。
年齢は俺より少し若そうだ。綺麗なドレスを着て日傘を差している。
明らかにこの街に不釣り合いで、ここに居る理由がわからない。
「お嬢様!!」
護衛が俺と女の間に立ち、細身のナイフを抜く。
遅くないかとも思ったが、荒事に慣れていないのだろう。護衛と思わしき女の手が震えていた。
「ちっ、なんなんだよ」
俺にこんな知り合いは居ない。
クルス以上にこの街から浮いているヤツなんて初めてだ。
「貴方がイオね! 許さないんだから!」
何故か俺の名前を知っている女が護衛の女のをどけようと暴れる。鬼気迫る様は闇付きのようだ。
「お前、誰だ?」
「お前なんて失礼ね!! あんたみないなのが! あんたみたいなのが居るからクルスが懲罰房行きになったのよ!」
「……懲罰房?」
聞いた事のない場所だ。
お貴族様用の牢屋か?
それにしては不穏な響きに嫌な予感がよぎる。
まさか、天にヒビが入った日に人柱を見ていたのがバレたのか?
俺には何もないのに。
真剣な表情でシェリーに会いたくないか聞いてきたクルス。怯えながらも慣れた足取りでセントレア教会を歩くクルス。最後の俺を呼ぶ悲痛な声まで蘇ってきて唇を噛んだ。
「クルスはまだあんたを庇ってるわ。もう一人は無理やり連れてきた従者だって。でも、あんたなんでしょ? だって、前の人柱はあんたの妹じゃない」
「どうして知ってる!」
俺はシェリーが人柱だなんて誰にも言ったことがない。父も言うような性格じゃないことは良く分かっている。
調べれば分かるのかもしれないが、得体が知れない。
思わず詰め寄ると、女がたじろいだ。
「クルスが……、クルスが言ってたのよ」
「……クルスが?」
軽薄そうに見えてもクルスは真面目だ。俺に言いふらすなと言っておきながら自分が話すことはない。
この女は嘘をついているのだろうか。
疑うように女を睨んだが、女は嘘をついているように見えない。
まさか本当にクルスが話した?
このよく分からない女に?
疑いながら女を観察すると、キツめではあるものの綺麗な顔立ちをしている。服装も貴族なのかレースの繊細なドレスを身にまとっていた。
それでもクルスが色気にやられて話したとは思えない。あいつはそんな奴じゃない。下街でも貧困している遊び相手なんて放っておけば良いのにそれができない優しい奴だ。
「…………私、クルスの婚約者だったのよ。今回の件で立ち消えたけどね」
「こんやくしゃ」
そう言えばあいつも貴族だ。婚約者の1人や2人居てもおかしくない。
そうか、婚約者なら隠し事をしてはいけないと思って話したのか。
優しさの塊のような奴だ。身内を疑うことなんてしない。
「それで、婚約者のお嬢様は俺に文句が言えれば満足なのか?」
本当に婚約者ならいくら殴られても良い。
クルスが捕まったのなら俺も罰を受けるべきだ。
目を閉じて頬を差し出すと、目の前の女が手を振り上げる気配がした。
「…………っ!」
いつまでも来ない衝撃に目を開けると、女が手を振りかぶったまま震えている。
さっきは勢いで殴ろうとしたけれど、そんなことをしたことがないのかもしれない。気が強くとも大切に育てられたお嬢様だ。
「……お嬢様」
護衛と思っていた女もただのメイドなのだろう。控え目に女に声をかける。
「あんたなんか! あんたなんか!!」
化粧が崩れるのも厭わずに泣きながらそれだけを叫び、その場にうずくまる。
「…………悪かった」
泣き崩れる女に俺は謝ることしかできなかった。
懲罰房というのがどういう場所なのか知らない。ただ、平民の牢屋と同じなら死んでもおかしくない場所だ。
俺は罪悪感から拳を強く握った。
クルスは貴族だから平民と同じということはない。
ただ裕福な暮らしをしている分、平民と同じ暮らしをするだけでもキツイはずだ。クルスは貴族以外の生き方をしらない。軽い刑罰でも憔悴しているに違いない。
だが、例え過去に戻れたとしても俺は同じことを繰り返す。シェリーに会えるのならクルスが罰を受けると分かっていても連れて行って欲しいと言うだろう。本当に自己中で婚約者だったという女にかける言葉もない。
俺は、ただ拳を握りしめながら嗚咽を溢しながら泣く女を見ていた。




