7.偽の人柱
追跡されない為に蛇行しながら俺の家の近くまで来た時、クルスは一歩も歩けないほど消耗していた。
それでもクルスは俺を落とさず、安全な場所に下ろしてから地面に両手をついた。
もしかしたら尾行されていたのかもしれない。荒い息を繰り返すクルスには魔力欠乏の症状が出ていた。
普通、駆け寄って心配するべきだろう。命がけで逃げてくれた親友だ。
それでも、俺はクルスに聞かなければならないことがあった。
「なぁ、お前は人柱の話を知っていたのか」
シェリーに会わせてくれた恩人。母が切られた時、支援を渋る伯爵を説得してくれた友人。やさぐれてしまった俺のことも見捨てなかった優しい親友。その認識に疑いが生じた。
逃げる途中で聞こえてきた神官の言葉、たったひとつで。
その神官は俺たちに気づいていなかった。ただ、付き人と思わしき人に吐き捨てただけだ。身代わりとは言え、汚れた平民から人柱を選ぶべきではなかったと。本来は尊き貴族の血の流れるリシェリーナ・ロ・アンディウスが人柱だったのにと。
もしあの言葉が本当ならシェリーは人柱ではなかったことになる。
選ばれてもいないのに無理やり連れ去られ、命を終わらせられた。まだ7歳だったのに。世の中の汚さすら良く分かっていない純粋な子だったのに。
「ただ、都合が良いからシェリーにしたのかよ!! なぁ、どうなんだ!!」
俺が胸倉を掴んでもクルスは荒い呼吸を繰り返すばかりで視線も合わせようとしない。それどころか言い訳を探すように目が泳いだ。
「…………もう、良い」
その仕草が全ての答えだった。
俺はクルスを乱暴に突き放し、背を向ける。もうこいつのことは二度と信用できそうにない。
深い失望の中、俺は父と母の居る家を目指した。
「…………イオッ!」
遠くで呼び止めるようなクルスの声が聞こえたが、戻ったところで俺の口からは罵倒しかでない。
俺は血が出るほど唇を噛みしめ、日の昇り始めた下街を歩く。天に入ったヒビからは小さな粉が降り注いでいた。
***
「出かけてたのか」
家に帰ると腕を組んだ父がリビングに居た。母の世話をしていたはずなのに俺が家にいないことに気づいていたのだろう。
そのくせ咎めることもなく静かに俺を見る。
「……ただいま」
「おかえり」
普段通りに取り繕うとしても歪に歪む表情。明らかに様子がおかしい俺に、父は何も言わなかった。
「飯、作っといたから食って寝ろ」
ただそれだけの言葉に深い愛情を感じる。
ようやく家に帰ってきた。そう実感しただけで俺の表情は崩れる。不安。悲しみ。怒り。恐怖。安心。安堵。そして失望。様々な感情が吹き荒れて、子どものように泣き叫びそうだ。
ただ家に居て父が変わらず受け入れてくれる。それが俺には何よりも捨てがたい。
どれだけ借金で首が回らなくなろうとも捨てられなかった絆に涙が零れた。
そんな俺に背を向け、父は出勤の準備をする。この家にある唯一綺麗な騎士団の制服に着替え、剣を腰に佩く。
食事ももう済ませているのだろう。
「行ってくる。留守は頼んだ」
「……わかった」
非番のはずなのに出勤するのは天にヒビが入ったからか。
侵入者を捕まえるためだったらどうしよう。
ふと不安が沸いたが、今更どうしようもない。あのタイミングで人柱の交代サインが出たのは偶然だ。
それでも、苦痛に歪んだシェリーの表情が忘れられない。
シェリーは本当に死んでしまったのだろうか。
穏やかな表情で眠っていたシェリーが蘇る。連れ去られた3年前から成長こそしていなかったが、今にも瞳を開けそうな表情だった。
『お兄ちゃん』シェリーがそう呼びかけてくる幻聴まで聞こえてくる。
あの光の中から出せば生き返るのではないか。
そんな期待があった。
でも、あそこに忍び込むにはクルスのスキルが必要だ。俺だけではセントレア教会の中心部まで入り込むことはできない。
村くらい広大な教会の内部構造すら分からないのだ。いたずらに入り込んでも罰せられるだけ。命がいくつあっても足りない。
それに…………クルスのことも危険に晒してしまった。
シェリーのことを知っていて黙っていたのは許せない。
ただ俺がクルスの立場だったら、言えただろうか。
クルスは緑梟騎士団団長の跡取りだ。下手なことをして自分の家族を危険に晒すわけにはいかない。告発なんて以ての外だ。
誰が的かも分からない状況なのだから、声を上げると家族だけでなく騎士団全体に余波が及ぶ可能性がある。意図的に人柱を変更しているのが教皇なら、告発した段階で命に係わるかもしれない。
それなら、どうにか折り合いをつけて贖罪に動くのではないか。クルスが俺にシェリーを会わせようとしたように。
「あれは、クルスなりの詫びだったのか……」
そう考えれば納得できる。
むしろ随分と危険なことをしたものだ。
いくらクルスが小伯爵でも教会がそれを考慮するか分からない。思い返してみればセントレア教会に忍び込んだ時、クルスには常に焦りと怯えがあった。本当はあんなことをしたくなかったのかもしれない。
俺は今度クルスに会った時、謝罪をすることに決めた。
そんな日がしばらく訪れないと知らないままに。




