10.綻び行く日常
黒髪の男と会った翌日、天のヒビが拡大した。
あの男が何かしたのではないかというタイミングだ。でも、俺の直感があいつじゃないと告げている。あの男にそれ程の力はない。こんなことができるとしたら神くらいか。
自分たちを支えるために人柱を欲し、自らは天に居ると言う神に唇を噛みしめる。
地上をパニックに陥れても神は気にしないのだろうか。
天が落ちてくる。そんな聖書にも残っていない事態に街全体が恐れおののいていた。
「どうして!? 人柱様が交代したばかりじゃないの!」
「こんなこと今までなかったぞ!!」
普段は動じることの少ない下街の人々も表情を強張らせて天を見上げる。
おかげで足早に外を歩く人が増えた。聖都から逃げ出そうとする人も多い。なにせヒビの発端がセントレア教会の人柱なのだから。
逃げたところで天が崩落すれば被害は広範囲に及ぶ。いくつも国を超え、影響の及ばない場所へ逃げるのなんて至難の業だ。
俺も天を見上げ、ヒビの状態を確認した。
今朝一気に広がったヒビはそれ以上広がらず、今は小康状態を保っている。それでも天から落ちてくる粉が止まらない。人柱の光に入ったヒビも同様だ。
「なんでこうなったんだろうな」
懲罰房に入れられたというクルスを思う。
クルスなら何か知っているのだろうか。
ぱらぱらと降り注ぐ粉は恐怖でしかない。
こうなった原因が分からないことが更に恐怖を加速させていた。
人々の感情が今にも爆発しそうな嫌な雰囲気だ。
シェリーはどうなったのだろう。
交代したのなら墓に埋葬されたのか?
人柱を務めた歴代の聖人たちの墓がセントレア教会にはある。
でも、人柱は役目を終えると風化するらしい。それなら散るまで見届けたかった。
墓があってもただの飾りなのだから。
俺は俯き、家に戻る。こんな状態では日雇いの仕事なんて見つかりそうにない。逆に他の街へ移動する為の護衛依頼はひっきりなしだろう。
父も忙しいようで、ずっと家に帰ってきていない。
何か嫌なことが起きそうな、そんな予感がずっと頭をよぎる。あの男に会ってから体の震えが止まらない。
最初は闇に属する者に会ってしまったからかと思ったが、そうじゃない。何らかの危機が俺に迫っている。そんな予感がした。
「いや、今はクルスを助けることを考えないと」
助けられるのならクルスを助けたい。
俺のせいで捕まっているのだ。どんな扱いを受けているのかも分からない。平民の入る牢屋とは名前も違う。ただ、懲罰房なんて碌な場所じゃないだろう。
拷問を受けていないと良いが……。
クルスは伯爵家の跡取りだ。さすがに下手な扱いをされていないと信じたい。だが、天に再びヒビの入った今、どういう扱いを受けているか分からない。
ヒビが入った時、人柱を見ていた何て犯人にされても可笑しくない状況だ。
「へぇ、この状態で友人を助けようとするのですか。貴方にとっては見捨てた方が都合が良いと思いますけど」
昨日に引き続き、突然現れた男が俺を惑わす。
ひんやりとした空気や花の香りは昨日と変わらない。
この男が黒髪を持っているのなら、これが闇のささやきというやつなのだろう。頷いたら魂まで抜き取られるのかもしれない。
「うるさい! 助けると言ったら助けるんだ!!」
元々クルスは俺のせいで捕まっている。
俺を庇わなければ牢になんて入れられることもなかったはずだ。
「まぁ、それならそれで構いませんが。彼の居場所は知っているのですか?」
「……うっ」
痛いところを突かれ、思わず唸る。
この男はどうして俺の嫌なところばかり見抜くのだろうか。
「お前には関係ないだろ!」
八つ当たりのように叫ぶと男が詰まらなさそうに帽子のつばを触る。
俺にとっては重要なことでもこの男にとってはどうでも良いことなのだろう。しかし、口を開いた男は予想外のことを告げた。
「……貴方のご友人はセントレア教会にある東側の一室に居ます。ご案内しても良いですよ」
「どうして……」
闇に属する者がなぜ俺を手助けするのか分からない。それに、本当のことを言っているのだろうか。
信じるには男のことを知らなさ過ぎた。
「それを望んだ人が居たのです。これも前魔王様のお導きというものでしょう」
「信用できない」
「では、闇雲にご友人の居場所を探しますか? 私はそれでも構いません」
どちらにしろついていくだけだという男の瞳が興味なさそうに逸らされる。
この男は本当にどっちでも良いのだろう。昨日は楽しそうにしていたのに、今日はどうでもよさそうだ。
こんなに興味がなさそうなのになぜ俺の前に姿を見せる?
そもそも黒髪なんて実在するのか?
前魔王の導きという発言も気になる。地下に住む魔族を治める王がいると聖書には書かれていたが、この男は妖精族だ。魔族とかいう化け物ではない。
この姿も擬態なのか?
それとも妖精族は闇に落ちたのか。
じっと男を見ても本当のことを言っているのか分からなかった。ただ、アイスブルーの冷たい瞳が俺を見返してくるだけだ。
「分かった。お前を信じる」
どの道、クルスの情報なんてない。この男が知っていると言うのなら着いていくのも良いだろう。
黒髪の持ち主が教会に属しているとは思えない。
「ふーん、意外と警戒心がないのですね」
なぜか急に笑い始めた男が俺を抱え上げる。
クルスと良いこの男と良い、どうして俺を持ち上げるのか。言われれば着いていくし、クルスに至っては俺より少し高いくらいの身長差しかない。この男は高身長だが、ひょろりと痩せていてクルスより筋肉がなさそうだ。
さすがに暴れると、男が俺を見る。
「抵抗できないようにされたいですか?」
邪魔だと言わんばかりの態度はクルスと大きく違う。薄ら笑いの目も本気だと物語っている。
「…………」
どんな手段で無力化しようと考えているのか分からないが、闇に属する男にそんなことを言われると怖い。俺は黙って男にしがみついた。




