5.僅かな希望
「……どういう意味だ」
自分でも思いがけないほど低く、かすれた声が出る。
「そのままの意味だよ。この前、イオに金貨を見せたじゃん。あの後、うちのメイドに聞いたら微妙な顔をされてさ。困ってるからって友人に大金を出されて嬉しいですかって。僕、そんなつもりじゃなくて……」
「分かってる。あの時は俺も悪かった」
落ち込むクルスに悪意がないと分かっていた。
お貴族様ゆえに金銭感覚が違うのだろう。
「それで、イオが本当に喜ぶことって何だろうって考えてたんだ」
「それがシェリーに会わせることってか?」
「……うん」
「馬鹿にすんな!!」
確かにシェリーに会えれば嬉しい。それが物言わず柱の中で眠るシェリーだろうと。
だが、シェリーが居るのは教会のど真ん中だ。おいそれと入れる場所じゃない。もし貴族のクルスが入れたとしても俺は無理だ。必ず止められる。
「馬鹿になんてしてない! イオが僕の従者の振りをすれば入れる」
「……従者?」
言われて初めてクルスに従者がついていたことを思い出した。
クルスはお坊ちゃまだ。ひとりに見えても本当に一人のことは少ない。姿は見えないが、今も近くに従者が居るのだろうか。
気になって辺りを見まわすが、護衛すら見当たらない。
「今は僕の振りをしてもらってる」
俺が辺りを見まわしたことで誰を探しているのか想像したらしい。
クルスが自慢げに胸を張った。
「なんていうか、可哀そうだな」
クルスの髪は少し緑がかった綺麗な金髪をしている。お貴族様ではたまに見かけても、一般人では染めることすら難しい色合いだ。見る人が見れば身代わりだとすぐにバレてしまう。
そもそも魔法属性の分かる髪色を染めるのは良くないこととされている。これだけ見事な金色に成り代われる人なんてそういない。
「大丈夫。最近ずっとお願いしてるけど、見つかってないから」
「はっ?」
バレて怒られるのがクルスなら良いが、従者も罰を受ける。従者だと鞭打ちどころか物理的に首が胴体から離れる危険性もある。
こいつはそのことを理解しているのだろうか。平民の命なんぞ貴族の指先1つだと。
「イオに謝ろうと思って毎晩見に来てたんだ。イオが出てこないかなって」
「いや、それならうちに来て呼び出せば良かっただろ。昼間は外に出てたかもしれないけど夜は家に居たぞ」
もはや不審者のように入り浸っていたと知り、驚きが隠せない。
こんなお坊ちゃまが家の周辺に居たら既に拉致されていそうだ。
「いやぁ、呼び出すほどの勇気が出なくて……。でも信じて。僕は強いんだからね」
言われてクルスが緑梟騎士団の団長を務める家系だと思い出した。身体強化のスキルも持っているのだからそこら辺のチンピラには勝てるのかもしれない。
「それで、シェリーに会ってみる?」
問いかけるクルスの表情は暗闇に隠れている。これでは本当か嘘か分からない。
でも、クルスを信じたい。シェリーにも会いたかった。
「無理じゃないなら連れて行って欲しい」
これを逃したらチャンスはもう訪れない。そんな気がした。
「任せて!」
嬉しそうに笑ったクルスはそのまま俺の手を引っ張る。
まさかこのまま教会に連れていく気か?
一瞬父の顔が脳裏をよぎったが、父まで連れて行ったら流石にバレてしまう。いくら緑梟騎士団の団員とは言え、クルスの護衛をするのはおかしい。護衛は別に雇うのが普通だ。
一緒に行くには長年騎士を務めている父は顔が知られ過ぎていた。
「おい、夜だぞ」
いくらクルスがお貴族様でも教会は特権だ。特にここは教皇様が主となる聖教国。国の運営を担っているのは神官たちだった。
夜に訪問するなどもってのほか。不審者扱いされて牢屋に入れられてしまうかもしれない。
「問題ないよ。正面から行っても会わせてくれないから」
クルスはそう言うと俺を抱え上げる。
「なっ、はぁぁ!?」
自分より身長の低いクルスに持ち上げられるとは思ってもいなかった。しかもクルスはそのまま飛び上がって屋根の上を駆ける。
横抱きにされて屋根を走るなんて初めての経験だ。
驚いて悲鳴を上げそうな口を自分で押さえる。走るスピードが早いので口を開けたら怪我をしそうだ。
口の中を噛むだけで済めば良いが、3階の高さから落ちれば命はない。
俺は体を縮こませてクルスが止まるのを待った。
***
しばらく屋根を走り、クルスが立ち止まったのはどこかの建物の影だった。
「おい、おまっ!」
「しー!! 見つかっちゃうよ」
文句を言ってやろうとした俺の口を慌ててクルスが塞ぐ。その後、警戒したように辺りを見回しているので、既にシェリーの眠るセントレア教会の中なのかもしれない。
「お前、いつもこんなことをしてるのかよ」
俺を抱えて走るクルスは明らかに慣れていた。
こんなルートを使っているのなら屋敷から抜け出すのも簡単だろう。最近やたらとクルスが俺の前に姿を見せるのもスキルを使いこなしているからか。
クルスがスキルを使いこなす為の練習台として見逃されているものだと思っていたのに、真実はクルスの暴走のようだ。
俺がため息をつくと、対照的にクルスは胸を張る。
「身体強化のスキルを使えばほとんどの人を振り切れるからね。そのせいか護衛がどんどん強くなってて困るよ」
困ってるのはお前じゃなくてお前の周りだ。そう思ったけれど毒気のないクルスにため息が尽きない。
こいつに身体強化のスキルが発現したのは良くなかったかもしれない。少なくとも護衛たちは甚大な被害を被っていそうだ。
「さて教会にも入れたし、行くよ」
慣れた足取りでクルスが歩き出す。
いくらクルスでも公式な用事でセントレア教会に来ることは少ない。なのに何故足取りに迷いがないのだろうか。
明らかにスキルを悪用していそうなクルスの背を睨む。
俺にはクルスが何を知っていて、何をしようとしているのか分からない。ただ、妹のように教会に連れ去られることだけはしないで欲しかった。
「無理はするなよ、クルス」
もう俺にはクルスくらいしか友人が残っていない。クルスまで教会の犠牲になったら耐えられる気がしなかった。
ぽつりと呟いた声も夜の暗闇に消えていく。
「何か言った?」
「……何も」
辺りを警戒しながら進むクルスの耳にも届かなかったが、願いは不安となって俺の中に残った。




