23.逃げた勇者
獣人たちが見えなくなったところで膝から崩れ落ちる。何とかゼルファイアを地面に突き立てたものの、しばらく立てなさそうだ。
「……その様子だともう戦えなさそうね」
冷たく光る黒い目でマリーはそう言うと、班長に近づいて首にナイフを突き立てる。元々ピクリとも動いていなかったが、確実にとどめを刺す様は死神のようだ。
黒い軍服の裾が翻り、凛と立つ姿に見惚れる。
止まらない吐き気もその瞬間だけは消え去り、返り血に染まったマリーが視界に焼き付く。
俺は一体何度忘れられない記憶を持てばいいのだろうか。
茶色のツインテールが風にそよぐ様子も美しい。
この程度で立てなくなっている俺がとても情けないものに感じ、思わず目を背けた。
「まあ、初陣にしては上出来じゃない? 帰る?」
「……帰れるのか?」
ここに来た魔法陣は一方通行なのか送られた先に陣はなかった。
どうやったら帰れるかなんて分からない。それに、うつろに開かれた若い魔族の瞳が浮かぶ。
戦争で最も被害に合うのは普通に暮らしている平民だ。騎士や軍人が死ぬのは仕方がないが、略奪者が襲うのはいつも村や街。戦う術を持たない一般人程虐殺の対象になっていた。
「ひと段落着くまで隠れていれば帰れるわ。私も初戦は隠れて震えているだけだったもの。これだけ戦えれば悪くないわ」
肩をすくめるマリーにも戦場で震えていた時代があったらしい。
そんなことを感じさせないほど堂々と立つ今の姿は様々な歴史の積み重ねなのだろう。
俺はゼルファイアに縋りついたまま、よろよろと立ち上がった。
こんなことでくじけていては人に復讐することなんてできない。まして俺は今回誰も殺せていないのだ。今から戦えなくなっていたら情けないどころの騒ぎじゃない。
震えながらも立ち上がった俺にマリーが目を瞠った。
帰りたいと言うと思っていたらしく、俺が立ち上がっただけで嬉しそうに微笑む。戦場に不釣り合いな空気がそこには流れていた。
「貴方、良いわね」
「……貴方じゃない。イオだ」
これまでもバディとして認められているように感じていたが、それは偽物だったようだ。微笑んだマリーからは今まで感じたことのない信頼のようなものを感じた。
「そうね。イオ、戦えるなら行くわよ。私たち遊撃部隊は戦うのが仕事なんだから」
戦いの中心地の方を見たマリーは好戦的に顔を輝かせる。
軍という割に陣形がないと思ったが、遊撃部隊はバディで協力して敵を倒すのが任務らしい。剣を構えて立っていれば良いという優しい世界はそこにない。各自で考えて敵を倒していくのが遊撃部隊という特殊な部隊だ。
敵を翻弄し、少しでも多く倒す。
連携も取れない戦闘狂の集団なのだから一人でも多くの敵を倒すのが俺たちの使命だった。
狂剣ゼルファイアを地面から引き抜き、俺もマリーに続く。
情けない姿ばかりを見られているのだから少しでも挽回したい。
俺はゼルファイアを握る手に力を込めた。
道中も戦闘の痕跡があちらこちらに見える。倒れている大半が市民か赤鷲騎士のようだ。
遊撃部隊の黒い軍服が倒れている姿はほぼ見ない。規格外の強さを持っているのは本当らしい。
「勇者はどこにいるんだ?」
会いたいような会いたくないような気がする。
でもこの惨状がクルスによるものなら俺は見ない訳にいかない。
あいつは何を考えてこの惨劇を生み出したんだ?
こんなことをする性格じゃなかっただろ。
俺は服の上から懐中時計を触る。
クルスにも何らかの理由がある。そう思いたかった。
「……逃げたようね」
「逃げた!? 勇者だろ!?」
予想外のことに思わず大きな声がでる。
あのクルスが背を向けて逃げ出すところが想像できない。クルスは清廉潔白で最前線に立ち続ける。そんな姿しか似合わない。
「……聞いたことがあるの。勇者は隷属の首輪をはめていると」
「嘘だ!!」
隷属の首輪は犯罪者や奴隷に嵌められる枷だ。嵌められてしまえば命令に逆らえない。そんなの勇者としてあるまじき姿だ。
まさか、俺をシェリーの元へ連れて行ったからか?
あいつは大丈夫だなんて言っていたが……。
いくら勇者でも天にヒビを入れた罪から逃れることはできなかったらしい。
俺は歯を噛みしめた。
「どちらにせよ勇者が逃げたのなら後は残党狩りよ。逃げ遅れたやつらを殺す。この村をこんな姿にした責任を取らせないと」
死体が折り重なり、煙がくすぶる様子を眺めたマリーが吐き捨てる。
今回の襲撃は魔族にとってただの略奪に過ぎない。到底許せないことなのだろう。憎しみに瞳を染めたマリーが鋭く辺りを見やる。そんな時、悲鳴が響いた。
「きゃぁぁあああ!!」
「あっちよ!!」
声の聞こえた方に向かって俺とマリーは走る。途中で会う残党は皆、遊撃軍と戦っていた。




