13.飲み込まれる闇
「はっ! なんで!?」
さっきまでクルスと話していたはずだ。
それなのに振り返ってもいつもの下街がある。懲罰室の豪華な部屋と格子なんて存在しない。
まさか、夢を見ていた?
それにしては妙にリアルで感触のある夢だった。握りしめていた拳を開くとクルスから貰った紋章入りの懐中時計がある。
物の受け渡しができる夢なんて聞いたことがなかった。
カチリ。カチリ。時を刻む秒針の音が夢でも嘘でもなく現実だったと告げている。
多分、あの男が何かしたのだろう。それでも、セントレア教会から下街に俺を飛ばすなんて現実味が全くない。
俺は驚きを含めて男を探す。
勇者だというクルスも俺を抱えてシェリーの元へ連れていったくらいだ。もしかしたらクルスよりあの男の方が強いのかもしれない。
あの男は一体何者だ?
ずっと繰り返されている疑問が頭を埋め尽くす。
あの男に関しては分からないことだらけだ。
「そもそも、こんなことができるのならなぜ……」
わざわざ俺を抱いてセントレア教会に侵入した理由が分からない。リスクを取る必要がどこにあったのか。
俺はしばらく路地裏の影を眺めていたが、あの男は気配すら感じられない。
鬱陶しいくらいに感じていた視線も、いつの間にか感じなくなっていた。
気味の悪い男だ。
顔こそ中性的で非常に整っているものの、どこか歪んでいる。
あの男はなぜ俺に声をかけてきたのだろうか。
初めて会った時、何と言っていた?
クルスが処刑されないと知って落ち着いたからか、男のことが気になって仕方がない。普通に生きていたら出会うことのない黒髪の持ち主だ。
迫害されて育ったから歪んでいるのか?
自分でも黒髪は存在が許されないと言っていた。
だが、許されないのならなぜあの男は生きているのか。あれこそが噂に聞く魔族というものなのでは?
様々な憶測が浮かんでは消える。
しかし、男が魔族なら耳が尖っていたことが気になる。あの耳の形は妖精族の特徴だ。妖精族にしては身長が高かったが、中性的な美貌も高い魔力も妖精族の特徴に当てはまる。
もしかして、髪を黒く染めているのか?
俺はどこか壊れていそうな男を思い出す。
出会ったのは昨日だと言うのに、男の印象が記憶にこびりついていた。
鮮明に思い出せる男の姿から何か読み取れないかと思っていたが、首を横に振る。
情報がない中でこれ以上考えても無駄だ。
俺は男のことを考えるのを辞め、クルスを思う。
気になることが多すぎて頭が痛い。シェリーが人柱になった時とはまた違った悩みだ。
優しいやつだと思っていたが、まさか勇者だったとは……。
お貴族様と平民ですら立場が違い過ぎるのに、勇者はもう…………届かない。
そこまで階級が異なれば気安く話しかけることなんて、できないだろう。例えクルスが許しても周りがそれを許さない。
そのくらいは俺も理解しているつもりだ。
もうクルスには会えない。
その現実が重くのしかかっている。
気づかないふりをしていたが、俺はどれだけクルスに救われていたのだろうか。かけがえのない友人だった。
貴族とは思えないほど正義感が強いところも、真面目過ぎて逆にとぼけているのではないかと疑いたくなるところも、思い返せば全てが懐かしい。
シェリーが人柱に選ばれて母が切られた時、自分事のように悲しんで奔走してくれたのはクルスだ。あいつが友でなければ、俺は道を踏み外していたかもしれない。
本当に救われていた。
なのに、お前は遠い存在だったんだな。
天にヒビが入ってもクルスのせいにはならないという。俺が犯人だったら既に拷問の上、処刑されていたたろう。
そうされないだけで、いかに教会から特別視されているか分かる。
今回は怪しい人物が貴族でも罪に問われるだろう。
皇族でも疑わしい。
なにしろ天にヒヒが入っているのだ。
余程力を持っていなければ貴族でも犯人扱いされた時点で命の保証がない。そのくらい重大な事件だ。
そんな中で怪しい人物として勇者が浮かび上がってきて、一番困っているのは教会かもしれない。
そんな楽観的なことを考えた俺はそのまま家に向かう。
クルスとはもう会えないという未来が足を重くすると同時に、処刑されることはないという現実が俺の歩みを軽くしていた。
2つは相反するようで、安堵が勝る。
死ななければまたどこかでクルスに会うこともできるはずだ。
例え、その時に俺が頭を下げる側の存在だったとしても。
苦笑しながら家に近づいてきた時、焦げ臭い何かの焼ける臭いが鼻についた。
聖都で失火は大罪だ。特に下街は家が密集している分、燃え移りやすい。
俺は嫌な予感がして家まで走った。
不安を胸に家に近づくと、火事だけでない。
想像よりも酷い状況だった。
「えっ……、なんで……」
妹が連れ去られてから引っ越した安い家が滅茶苦茶に破壊されている。
近づくにつれて煩くなると思っていたら、大勢で俺の家を襲撃していたらしい。
一体何が……。
こんなこと、治安の悪い下街でも滅多に起こらない。
何かとてつもないことが起きたのか。
混乱していたが、家から下街の人が出てきたので咄嗟に路地裏に隠れる。隠れると自分の荒い呼吸が路地裏に響いた。
静めようとしても呼吸が速く、浅くなってしまう。嫌な予感が絶えず襲いかかってきて落ち着かない。
深呼吸をしても落ち着くことなんてできなかった。
そんな俺の前で襲撃者たちは憤りを露にする。
男だけでなく女もいるようだ。20人近い人が家から出てくる。
木の窓を破壊し、ドアを滅茶苦茶にした犯人たちは更に家のレンガに八つ当たりをしながら家の前に集まった。中には唾を吐き捨てた人までいる。
「まさかロイドの娘がヒビを入れた張本人だとはな」
「騎士だと聞いていたが、それも疑わしい。身分詐称じゃねぇのか」
「最後まで死にかけの女を庇ってバカみたいだね」
襲撃者たちが何を言っているのか分からない。
ただ、男たちの言っていることが本当なら何か、大きな悪意が父と母を襲ったらしい。
「あの家にはもう一人ガキがいたよな? イオとか言う」
「……逃げた?」
「そんなこと許される訳ねぇだろ! あいつらんとこの娘が人柱になったせいで天にヒビが入ったんだぞ!!」
探せと叫ぶ男たちは目が血走っていて、握りしめたナイフには血がついている。
それは、誰の血だ……?
とても嫌な予感がして目の前が暗くなる。それでも今飛び出せば負けてしまう。
いくら下街の人とはいえ、あの人数を相手にするのはキツ過ぎる。
俺は胸を押さえながら襲撃者たちが居なくなるのを待った。
普段は何ともない時間が途方もなく長く感じる。
やつらは俺を探すために散開したようだ。口汚く罵りながら下街に散っていく。
急に静かになった家の周辺はしんと静まり返っていた。
まだ、やつらの仲間が居るかもしれない。
何人いるか分からない。
警戒しながら家に入ると、家の中はぐちゃぐちゃに荒らされていた。
あちらこちらが破壊された家は料理中だったのか、竈から煙が出ている。焦げ臭く感じたのは少し燃えたからのようだ。幸いにも臭いの割に大きな火災にはなっていない。
いつもと違う家の様子に衝撃を受けながら、ふらふらと2階へ上がる。
人気のない家が怖い。階段を上っても俺が立てるギシギシという音がするだけ。2階に居るはずの母の気配が全くなかった。
恐る恐る扉に手をかけて中を覗く。
普段であればノックをしないことに怒られたはずだ。
もう恐怖がピークを越している。
見たくない。
でも確認しなければ母の安否が分からない。
震えながら中の光景を見て、体が硬直した。
手の離れた扉だけが勝手に開いていく。
「あ……、あぁ…………」
もし神が居るのなら目の前の光景を嘘だと言って欲しい。
それくらい凄惨な光景が目の前にあった。
「父さん!! 母さん!!」
どれだけ貧乏になっても見捨てることの出来なかった2人が重なり合うようにして倒れている。その下にはおびただしい量の血が、海のように溜まっていた。
力一杯ゆすっても2人が反応を返すことはない。
父は最後まで母を庇ったのか、深い刺し傷が何か所もあった。母も首に深い傷がある。
苦しみに耐えるかのように歪んだ表情が残酷な現実を突き付けてくる。目も開いたままだった。
虚ろな眼差しが俺を見ることはない。
もう二度と、視線が交わることもない。
「なんで!! なんでなんだよ!!!」
俺たちが一体何をした!?
妹を人柱に取られ、天にヒビが入ればシェリーのせいか!!
冷たい両親の死体が受けた暴行の後を示している。
ただ殺されただけで済んだ。凌辱はされていない。でも、そんなことは救いにはならない。
どうして父さんと母さんが殺されなければならないんだ!
何も悪いことなんてしてないのに!
のうのうと暮らしてるだけの奴らがどうして!!
自分たちから人柱を出したこともない。子どもを庇って切られたこともない。切られた母を助けるために借金に追われたこともない。
そんな奴等が父さんと母さんを殺すなんて!!
「……許せない。あり得ない」
憎い!!
憎い!!
憎い!!
感情が溢れて止まらない。
目の前の父と母も見えなくなるくらい、俺は負の感情に囚われていた。
そそのかしたのは誰た?
きっと元凶がいる。
実行者はただ、踊らされただけだ。
下街の連中に考える頭なんてない。
俺の日常を奪ったのは誰だ?
父さんと母さんを殺したのは?
脳裏に会ったこともない教皇が浮かぶ。見たことがないせいで顔は黒く塗りつぶされていた。
絶対に許さない。
同じ目に合わせてやる。
家族を目の前で切り割いて、何度も刺して。
庇っている姿も嘲笑ってやる!!
当然実行者も許さない。
誰一人、逃がしたりなんてしない。
覚えてろ。
拳を握りしめ復讐を誓う俺は目から血の涙が流れ落ちる。
群青色だった髪もいつしか黒に染まっていた。




