90.沙月の採血
沙月の夜這いが成功した3日後、カロリーヌ推薦の医学チームの2人がランドン伯爵家別邸にやってきた。
ちなみに夜這いは、速攻でエミールにバレて、禁止となった。
禁止になったにも関わらず、ユレシアは何故か沙月用の夜着を、こっそり何着かカロリーヌから購入していた。
そもそも、沙月の夜着をカロリーヌが所持している事自体不思議だし、ユレシアが買った夜着を沙月に渡さないことも不思議である。
もしかして、自分で着るつもりだったらどうしようか。
いや、サイズが合わないか……。
まさか他の女の子用!?
「サツキ? どうかしましたか?」
カロリーヌは顔色を変えた沙月を覗き込む。
「だ、だいじょぶ!」
「そうですか? 紹介いたしますわ。今回こちらの意向に同意していただいた医学チームのテオさんとジェシカさんです。テオさんとジェシカさんは、ご夫婦ですわ!」
テオは黒髪黒目の30歳くらいの男性で、ユレシアより5センチほど背が低い。
ジェシカは明るい茶髪の女性で、沙月と同じくらいの身長だ。
40歳くらいに見えるので、年上の奥様なのだろう。
テオとジェシカは、エミールの厳しい面接とユレシアの細かい契約書を突破した貴重な人材である。
2人とも平民で、身分を気にしないカロリーヌらしい人選である。
まあ、そういう沙月は未だに「奴隷」なのだが、ランドン伯爵家の使用人たちは、誰も沙月を奴隷とは思っていないようだ。
ここへの滞在も長くなってきたので掃除を手伝おうとしたら、お願いだからやめて下さいと止められたぐらいだ。
「初めましてサツキさん。これからよろしくお願いしますね」
ジェシカがにこやかに挨拶をする。
「はい。よろしくお願いします」
沙月はペコリと頭を下げる。
面会場所である応接室には沙月とカロリーヌと医学チームの2人以外にキサラとルルがいる。
エミールとユレシアは、エミールの部屋で何やら打ち合わせをしており、テシアとエルレンはそれぞれの持ち場を警備している。
そして、アリエノールは、昨夜熱を出して倒れてしまったのだ。
「あの、お母様、どう、ですか?」
沙月はジェシカにたどたどしく尋ねる。
ジェシカとテオは、沙月に会う前にアリエノールを診察してくれたのだ。
「大丈夫ですよ。2〜3日ゆっくり休めば良くなります。伯爵様にもお伝えしましたが、ようやく気が抜けたのだと思います」
ジェシカは微笑む。
沙月はホッと胸を撫で下ろした。
公国で内乱が起こって、家族と別れ、亡命をして……。
今まで倒れなかったのが不思議なくらいだ。
「サツキ、今日は顔合わせだけにしましょうか? アリエノール様が心配でしょう?」
カロリーヌの言葉に、沙月は首を横に振った。
「血、とってください。わたし、できることします」
沙月は両腕の袖をまくる。
実は沙月は献血マニアである。
献血をすると、ジュースが飲み放題なのだ。
注射針にも慣れている。
「こんなに潔い女性は初めてですね。皆さん針を怖がるのですよ」
テオは驚いている。
沙月はテオの取り出す針を見てギョッとした。
明らかに、地球の注射針より太いのだ。
もしかして、この世界では、針を細く作れない!?
しかし、今更、やっぱり怖いのでやめてくださいとは言えない……!
ジェシカは手際良く沙月の左腕を紐で縛り、血管を浮き上がらせる。
「この辺かしらね」
「はい、チクッとしますよー」
嘘だっ!
これは、チクッとどころではないはずだ!!
怖い!!
沙月はギュッと目をつむった。
そして、その瞬間、沙月の姿は消えたのだった。
驚いたのは、テオとジェシカである。
「え、ええっ!?」
「き、消えたっ!?」
「あー、本当は怖かったのですね……」
ルルは呆れたように言う。
「どこに出るかな? ユレシアのとこに行くか……」
キサラは沙月の護衛なので、現れそうな場所に移動しようとする。
「テオさん、ジェシカさん、申し訳ありませんわ。この事は契約書の10の項なのですけど、他言無用でお願いいたしますね」
カロリーヌはにこやかに説明をする。
「た、対象者が消えたり、別の何かが見えたりしても……」
「取り乱さず、他言無用とし、契約終了後も秘密を保持すること……」
テオとジェシカは順番に契約書を復唱する。
「そのとおりですわ! お願いいたしますね」
ん? 痛くない?
沙月が恐る恐る目を開けると、そこは水色の空とお花畑だった。
「い、移動した……!」
沙月はガクッと膝をついた。
「大丈夫? ルナベル?」
バラの妖精は沙月の顔を覗き込む。
「い、今すぐ戻して! 怖くて逃げたと思われちゃうよ!」
沙月はバラの妖精に掴みかかる。
「えー? 怖いって聞こえたけど……」
「そうなんだけど、注射針を怖がるなんて、献血マニアの名がすたるじゃん!」
「ええー? よく分かんないけど、さっきの部屋でいい?」
「ま、待って!」
沙月は少し考えた。
さっきの部屋(応接室)に戻ったら、即注射である。
ここは沙月自身の精神のためにも、少し気分を変えた方が良い。
「ユレシア様のところで!」
キサラはエミールの部屋をノックした。
すぐに「入っていいぞ」とエミールの声がしたのでドアを開けると、ソファでユレシアが沙月に押しつぶされているところだった。
「なんで上!? ユレシア様、ごめんなさい!!」
沙月は急いでユレシアからどいて謝る。
「だ、大丈夫。ちょっと驚いたけど……」
ユレシアは右手を挙げて答える。
「何があったのだ?」
ユレシアの向かい側に座っていたエミールは、キサラに尋ねる。
「採血しようと注射針を刺そうとしたら……」
「こ、怖いない! 平気! 妖精、間違い!」
沙月はキサラの言葉を遮るように叫ぶ。
ユレシアとエミールは全てを察したように頷いた。
「ちょうど話が終わったところだ。ユレシア君、サツキと一緒に行ってくれ」
「はい。サツキ、手を握っていてあげるから、頑張ろう?」
沙月は真っ赤になった。
「怖いない! 手……、手は握る!」
「うん、大丈夫だからね」
ユレシアは沙月と手を繋いで部屋を出ていく。
「お騒がせしましたー」
キサラは会釈してエミールの部屋のドアを閉めた。
結局沙月は、ユレシアに手を握ってもらいながら、無事に採血を済ませることが出来たのだった……。




