76.沙月の叫び
沙月はランドン伯爵家別邸の廊下をバタバタと走り、ルルと同室である部屋に飛び込み、ベッドに潜り込みブランケットをかぶった。
「性欲処理」のための奴隷。
結構酷い話だ。
沙月は、そのために買われたのだ。
でもそれは、最初からそうなんだろうと思っていた。
分かっていたから、最初はビクビクしていた。
でもガレシアもユレシアも、沙月には触れなかった。
せっかくお金を出して買ったのに手を出さないなんて、普通だったらあり得ない。
理由は簡単だ。
「子ども」だったからだ。
見た目が子どもでユレシアの趣味では全くなく、そんな気がおきなかったということだ。
これは、あの時はいい事だったけど、ユレシアの恋人になった今となっては致命的だ。
沙月はユレシアの年齢を追い越すことはない。
アリエノールを好みといったユレシアの趣味から、サツキは永遠に外れているのだ。
ユレシアはどうして沙月を選んだのだろうとずっと思っていた。
そして最近それが、何となく分かってきた。
「可哀想な女の子」だからだ。
ユレシアは優しい。
人の痛みに寄り添って、何とかしてあげようとする。
カロリーヌの研究の功績を何とかしようとしているのもそのためだ。
でも沙月はもう「可哀想な女の子」ではない。
本当の母親と会えたし、身元を証明されたら、エミールの娘になれる。
この、身分が大切な世界で、「伯爵令嬢」になるのだ。
ユレシアは沙月と結婚してくれるだろう。
でもその後に、ユレシアの趣味にピッタリの「可哀想な大人女性」が現れたら?
あの緑の瞳に別の女性が映るのだ。
「サツキはもう大丈夫だよね」と言われるのだ。
耐えられない。
そんなの、耐えられない……!
「サツキさん、どうかしたのですか? ユレシア様の怪我の手当ては終わったのですか?」
ルルは沙月が戻ってきた音を聞いて、続きのカロリーヌの部屋から顔を覗かせた。
「サツキが戻ってきたのでしたら、妖精に会わせていただける日を打ち合わせしたいですわ!」
カロリーヌはそう言いながら、ルルと沙月の部屋に入ってくる。
「サツキさん?」
ルルは沙月のベッドのブランケットをばさりとめくる。
そこには、誰もいない。
「サツキはいませんの?」
「戻ってきた音は聞こえたのですが、どこにもいませんね……」
カロリーヌとルルは首をかしげたのだった。
沙月はまた「妖精の国」にいた。
前回と同じ、ひらけたお花畑だ。
どうやらベッドで悩んでいるうちに、眠ってしまったらしい。
沙月はあたりを見回した。
水色の空と、カラフルなお花畑が広がるのみで、前と同じく誰もいない。
仕方ない。
沙月はまだ自分のことを「ルナベル」だとは思えていないのだ。
「まあいいか。そのうち目が覚めるよね……」
なんだかいろいろ考えるのが面倒くさい。
というか、考えても何も変わらない。
世の中は、仕方ないことだらけだ。
沙月はお花畑にごろりと寝転がった。
虫がいたり土が付いたりしちゃうかなと思ったけれど、意外と快適だ。
お花の香りも、アロマみたいで心が静まっていく。
沙月は目を閉じて、心地よい眠気に身を任せていた。
どのくらい経ったのだろう。
沙月が目を開けると、そこはお花畑と水色の空だった。
「え? 夢の中で寝てた……?」
そんなこと、あるのだろうか?
いや、あるかもしれない?
しかし困った。
完全に時間の感覚がなくなってしまった。
これは、何とかして「ルナベル」と思い込んで、妖精と話をしなくてはならない。
「私はルナベル、私はルナベル、アイアムルナベル……」
呪文のように言ってみたけど、どうやらダメみたいだ。
前に妖精が見えた時は、ユレシアがルナベルも可愛いと言ったからだ。
「ほんと口が上手いっていうか、誰でも口説けちゃうっていうかさ。ガレシア様やお兄さんたちも、ユレシアの何か憎めない感じにやられちゃったんだろうね! ユレシアはさぁ、会ったときから無駄に優しくってさ、片言で話しかけても嫌な顔を絶対しないし、服や小物もいっぱい買ってくれたし、あんなの誰でも勘違いしちゃうんだよ!」
沙月は誰もいない空間に向かって、日本語で文句を言う。
「こっちはね、初恋だし、ファーストキスだったし、初体験だったの! もう体も心もユレシアしか知らないの! ユレシアみたいな女ったらしには分かんないよね! 大体さ、カロリーヌ様ともやたら仲いいよね! カロリーヌ様と話す時の距離近いし! あ、お母様が趣味なんだよね! じゃあ今度はエミール様と戦えっての!」
沙月は大きく息を吸った。
「ユレシアのバッカやろー!!」
「あのさぁ、ここで大声で悪口言うの、やめてくれないかなぁ。みんなビクビクしてるよ!」
突然の声に沙月が振り向くと、そこには「バラの妖精」が浮いていた。
いや、バラの妖精だけじゃない。
黄や白、紫や青、いろいろな妖精が浮いていたのだ!
「よ、良かった! 妖精さんに会えた!」
沙月はバンザイをする。
「良くないよ! ルナベルは二代目なんだよ! 妖精の国を今度こそ作ってくれなくちゃ!」
バラの妖精は怒ったように言う。
沙月は首を傾げた。
「えーと、妖精の国は、ココだよね?」
「ココは国じゃないよ。人間に分かりやすくいうなら、休憩所、かな」
分かりやすいか? と沙月はさらに首を傾げる。
「人間みたいな居場所が欲しいんだ。初代ルナベルは作ってくれようとしたんだけど、寿命で死んじゃったんだ。ルナベルの子どもたちは全員男で妖精の声をきくことも出来ないし、うやむやになっちゃったんだよねー」
バラの妖精がペラペラと話す内容に、他の妖精たちがウンウンと頷いている。
沙月は小さく手を挙げた。
「あのさ、それってフィロリア公国のことだよね。公国は今、内乱? が起きていて……」
「うん、もう、あの国はいいんだ」
バラの妖精は、沙月の言葉にかぶせるように言う。
「え、いいって……」
「だって、500年待ってもダメだったし、なんかごちゃごちゃしてるし、もういらないよ」
い、いらない……!?
たくさんの人が住んでいる国を、いらない呼ばわり!?
「だからね、二代目ルナベルが新しく国を作ってよ!」
笑顔の妖精たちとは真逆に、沙月は呆然としていた。
ちょっと、おかしくない?
国ってそんなに簡単に作れるものなの?
というか、他力本願すぎじゃない?
「あの、一度起きてもいいかな? この話、私1人で何とかできるレベルじゃないし……」
言いたい事はあるが、とりあえずみんなに相談しよう。
仕事でも、勝手に判断しないでまず相談しろって言われていたしね。
「ルナベルはもう起きてるよ?」
「え?」
「体ごとココに連れて来たから、みんなでお願いしようってことになったんだ」
体ごと?
ということは、あの屋敷に、沙月はいない!?
「ルナベルの事は今まで見守ってきたし、『移動』も頑張ったんだよ! だから……」
「ごめん、私、帰る! ユレシアが心配するし、その話、また今度ね!」
沙月はサッと右手を挙げて、踵を返して、2〜3歩踏み出して、立ち止まった。
「あの、これ、どうやって帰るの……?」




