30.ユレシア、ランドン伯爵に会う
スラサル商会の応接室で、ユレシアは姿勢を正していた。
今朝ケルバート伯爵に会い、今度はランドン伯爵に会う。
自領に引きこもっていたユレシアには少々荷が重い。
キリアンと若い男性職員は、ドアから急いで離れて頭を下げる。
「突然すまないね。ああ、カロリーヌ嬢、久しぶりだね」
長身のランドン伯爵は、カロリーヌを見て目を細めながら応接室に入ってくる。
「お久しぶりです、ランドン伯爵。紹介いたしますわ。今回わたくしの付き人をつとめてくださっている、ユレシア・イルベルト男爵令息です」
カロリーヌは軽くカーテシーをすると、ユレシアを紹介した。
「お初にお目にかかります、ランドン伯爵殿。ユレシア・イルベルトと申します」
ユレシアも頭を下げて挨拶をする。
「ああ、君が……。エミール・ランドンと申します。実は先程ケルバート伯爵から早馬で書簡をいただきましてね……」
エミール・ランドン伯爵は、ドア付近にいるキリアンを見た。
「このまま応接室を借りてもよいか?」
「も、もちろんでございます。只今お茶をお持ちします」
キリアンは声に緊張を滲ませて言うと、応接室を出て行った。
「立ち話もなんです。カロリーヌ嬢もユレシア君も掛けて下さい」
ランドン伯爵の言葉に、カロリーヌとユレシアはドアに近い方のソファに腰掛けた。
ルルとサツキは、応接室の壁際に立ち、目を伏せている。
ケルバート伯爵の書簡でわざわざ町の商会まで来るなんて、ランドン伯爵はケルバート伯爵と強い繋がりがあるということだ。
カロリーヌとも面識があるようだし判断を間違えたな、とユレシアは内心溜息をついた。
カロリーヌも、まさか兄が早馬で書簡を出すとは思わなかったようで、表情が暗い。
「ああ、しかし、カロリーヌ嬢もとうとうご結婚なさるのですね。ケルバート伯爵も、あんなに私からの求婚は断っていたのに、まさか男爵家に嫁がせるとは……」
ランドン伯爵は、ハァーと溜息をつく。
なんと、ランドン伯爵はカロリーヌに求婚していたようだ。
ユレシアがチラリとカロリーヌを見ると、カロリーヌは目を見開いている。
「……わ、わたくし、そんなこと、初めて伺いましたわ……」
カロリーヌの声が震えている。
どうやらケルバート伯爵、いや、前伯爵かもしれないが、カロリーヌには何も話さずに求婚を断っていたらしい。
同格の伯爵家に嫁がせては、婚姻時の契約書は操作出来ない。
これは、なかなか、黒い話である。
「そうでしたか。いえ、そうだと思っていました。聡明なカロリーヌ嬢とならば、ランドン領をもっと良く出来ると思ったのですが、ケルバート前伯爵も手放したくはなかったのでしょう」
ランドン伯爵は弱々しく笑う。
ランドン伯爵は、カロリーヌの才能を正しく理解し評価している。
なんてことだ。
カロリーヌの幸せな未来はあったのだ。
伯爵夫人として、研究を続けることが出来たのだ。
親兄弟がそれを奪う権利なんてあるのだろうか、とユレシアは奥歯を噛み締めた。
カロリーヌも表情を曇らせたまま、下を向いている。
「誤解しないでいただきたいのは、急ぎこちらに来たのは伯爵の書簡の件ではなく、カロリーヌ嬢にどうしても謝りたかったからです」
「わたくしに、ですか? ランドン伯爵に謝られることなんて何も……」
「いえ、あるのです。シャルモン侯爵令嬢をケルバート伯爵に嫁がせたのは私なのですから」
「……え?」
カロリーヌはかすれた声を出す。
シャルモン侯爵令嬢とは、きっと今朝会ったケルバート伯爵夫人だろう。
ランドン伯爵の差し金だったのか。
「元々は私に来た縁談だったのです。でもその頃の私はカロリーヌ嬢をどうしても諦めきれなくて、馬鹿正直にシャルモン侯爵に話してしまったのですよ。すると、あなたに二度と求婚しないという条件でシャルモン侯爵令嬢との縁談がなくなったのです。そんなのは本末転倒ですので独自に調べましたところ、シャルモン侯爵令嬢には心の病気があり、ケルバート伯爵……その頃は伯爵子息でしたが、と結婚することになったと判明しました。そして、侯爵令嬢はあなたに暴言を吐き続けているとも……」
ランドン伯爵は右手で頭を押さえる仕草をする。
歯車が、少し狂うだけで、こんなにも先が変わるのか。
本来幸せな未来を掴むはずだったカロリーヌは、結婚話が来ないと思わされ、兄嫁からあの甲高い声で毎日暴言を吐かれ続けていたのだ。
そして、今さら格下の男爵家に嫁がされて、研究の功績まで奪われるのか?
それはあまりにも理不尽だ。
「……ランドン伯爵は何も悪くありませんわ。わたくしは夫人の言葉は気にしておりませんし、それに、今はユレシア様といろいろ研究をしておりまして、毎日充実しておりますの」
カロリーヌは微笑む。
「研究」とは言えないが、サツキの生い立ちを調べるのは、カロリーヌにとって楽しいことなのだろう。
「研究とは、もしかしてこれかね?」
ランドン伯爵は、ローテーブルに置いたままだったユレシアの奴隷保護施設に関する書類を手に取った。
違う! とユレシアは言いたかったが、すでにランドン伯爵は真剣に目を通している。
「これは興味深い! カロリーヌ嬢とユレシア君でこの案を進めているのか! カロリーヌ嬢、ぜひ私もこの件に……」
「ち、違いますわ! それはユレシア様だけの案です!」
カロリーヌは大慌てで否定する。
ユレシアとしては共同ということでも良かったのだが、カロリーヌは自分がされたことはしたくないようだ。
「ユレシア君が? なるほど……。ユレシア君は何故このような施設を作りたいと?」
「は、はい。実はイルベルト領には奴隷に関する施設等がなく、先日スラサル商会に来た際に、とても感銘を受けまして……、事務長のキリアンさんに意見を伺おうかと……」
この言い方だと、付き人のユレシアの用事でカロリーヌを連れてここに来たことになってしまう。
いや、事実そうだし、それでいいか。
「わたくし、この件に関わりたくて王都より先にこちらに伺いましょうと進言したのです!」
カロリーヌは前のめりに言う。
なんというか、本当に素晴らしい令嬢である。
「では、私も関わらせてもらいましょう。少し現場の者の意見も取り入れた方がいいですね……」
「ランドン伯爵、関わるとは……!?」
ユレシアは焦って、つい伯爵の話を遮ってしまった。
しまった、と思ったところに、ノックの音が響き、キリアンがお茶を持って入ってくる。
「ああ、ちょうど良かった。事務長のキリアンだね。この案を見たよね? 現場の意見をまとめて欲しいのだが、君に任せていいかな?」
ランドン伯爵は、ユレシアの意見は聞かずに、どんどん話を進める。
「は、はい! もちろんです!」
キリアンは、元々この案に乗り気だったこともあり、即答する。
ルルとサツキがキリアンからお茶を受け取り、ローテーブルに置いていく。
「ユレシア君、案を借りるからには、イルベルト領の奴隷保護施設建設にも援助を惜しまないよ」
ランドン伯爵はユレシアに向かって微笑む。
「あ、ありがとうございます!」
ユレシアは頭を下げた。
この案は資金が一番の課題だった。
ついてる!
カロリーヌの機転のおかげだ!
ランドン伯爵は、カバンから書簡を取り出した。
「そして、これがケルバート伯爵からユレシア君に渡してと頼まれた書簡なのだが……」
やっぱりその話もあるよな、とユレシアは顔を上げる。
「どうだろう。私は君に会えなかったということにしないか?」
「……え? それは、つまり……」
「これでも私はカロリーヌ嬢の味方なんだよ。ケルバート伯爵は、シャルモン侯爵令嬢の件で私が断れないと思っているようだがね」
ランドン伯爵は、不敵に笑う。
「承知しました。カロリーヌ様のことはお任せください」
ランドン伯爵に言われるまでもない。
すでにカロリーヌにはかなりの恩がある。
絶対にカロリーヌが望む未来にしてみせる。
「……いい目をしている。カロリーヌ嬢、ユレシア君でもいいのではないかな?」
ユレシアはギョッとし、カロリーヌはふふっと笑う。
「ユレシア様は心に決めた女性がおりますの。そこにいるメイドのサツキですわ!」
カロリーヌはサツキをバーンと紹介する。
なんでこの人全部言っちゃうんだ!? とユレシアは頭を抱える。
ランドン伯爵は、サツキを見て目と口を開けた。
「ア、アリエノール様……!?」
ランドン伯爵が発した女性の名に、応接室の全員はサツキに注目し、ユレシアは「……え?」とかすれた声を出していた。




