29.沙月が来たきっかけ
沙月がこの世界に来た時に保護された「スラサル商会」の応接室で、沙月は赤面してうつむいていた。
ユレシアは、「全て信じる」だの、「サツキのためなら何でもする」だの、サラッと言い過ぎ! と沙月は思っていた。
嫌ではない。
むしろ、すごく嬉しい。
でも、人前では恥ずかしいのだ。
女性に慣れまくっているユレシアには、当然のことなのだろうか。
他の女性にも、同じことを言っていたのだろうか。
沙月は思考が嫉妬寄りになっていることに気付き、首をふるふると振った。
ユレシアから、ここに来る前のことをきかれていたのだった。
「ここ来る前、別の場所、人たくさん、背中ドン、ここに……」
沙月は言いながら、上手く説明出来ない、と唇を噛んだ。
満員電車だったと言っても分からないだろうし、服や荷物の事も、本当なのに、嘘みたいだ。
さすがにユレシアも、意味が分からないだろう。
「背中ドンとは、攻撃されたということですの?」
カロリーヌは沙月を覗き込む。
「わ、わからない、です」
攻撃ではなく、満員電車の日常茶飯事なのだろうけど、危なかったことには変わりない。
「身の危険の直後にここに来た、ということか……」
ユレシアは考え込む仕草をする。
そういう考え方もあるか、と沙月も同様に考え込む。
「カロリーヌ様、以前仰っていた、公国の不思議な力って、具体的には何なのですか?」
ユレシアはカロリーヌを見る。
「具体的には分かりませんわ。この説を支持している方はあまりいませんの」
カロリーヌは残念そうに答える。
「あの、すみません、サツキさんは島国の方ではないのですか?」
キリアンは、おずおずとユレシアに質問をする。
「実はよく分からないのです。なので、可能性を全部調べようと思っています」
ユレシアは平然と「全部調べる」と答える。
ルルは「愛……」と小声で呟いている。
「そうだ、この件とは別なのですが、キリアンさんに見ていただきたいものがありまして……」
ユレシアは、カバンから書類を取り出してキリアンに渡した。
沙月は、その書類に字がビッシリ書いてあるのを見て、字の練習もしなくてはいけない、と思っていた。
「これは……、奴隷保護施設、ですか?」
キリアンは書類に目を走らせながら言う。
「はい。イルベルト領には、奴隷に関する商会も施設もありません。でも王国では、身元証明が出来ない者を平民の下という意味で一律に『奴隷』としています。私もそうでしたが、犯罪奴隷との区別がつきませんし、王国の外から仕事を求めて来た人は、大概身元を証明できるものを持っていないのです」
「そうですね。『スラサル商会』はそういう方を対象として設立されています。ランドン伯爵領では身元不明な方は保護するという考え方が通常なのですが、他領ではそうではないと伺っています」
ユレシアとキリアンは真剣な表情で難しい話をし出した。
沙月は必死にヒアリングをする。
「恥ずかしながら自領もそうなのです。身元不明な方々を奴隷扱いしたくなくて、目を背けていました。でもこちらの商会を見て考えが変わりました。彼らも同じ人なのです。王国の法律を変えることは難しいですが、まず保護を最優先として仕事の斡旋とその後の監察までを行う施設の案を考えたのですが、キリアンさんから見てどうでしょうか?」
ユレシアの早口が分からなくて沙月は首を傾げたが、カロリーヌは「私にも見せてくださいませ!」と身を乗り出している。
キリアンは驚きの表情をした。
「その後の監察というのが、新しいですね……! 私もその後が気になっていたのです。あの、これ、上に見せても……」
すると突然、応接室のドアがけたたましくノックされた。
「申し訳ありません。なんですか、もう少し静かに……」
キリアンが言いながらドアを開けると、そこには息を切らした若い男性が立っていた。
「た、大変です! ランドン伯爵様がお見えになって……、その、ケルバート伯爵令嬢様にお会いしたいと……」
ユレシアとカロリーヌとルルは、バッと立ち上がる。
沙月も慌てて立ち上がり、部屋の隅に行くルルの後を追う。
「ケルバート伯爵令嬢様……!?」
キリアンはカロリーヌを振り返る。
「自己紹介せず申し訳ありません。私、ケルバート伯爵の妹で、カロリーヌ・ケルバートと申します」
カロリーヌは軽く頭を下げる。
「も、申し訳ありませんでした!」
キリアンはカロリーヌより深く頭を下げる。
「いえ、わたくしはただの付き添いですので……。それより、これはおそらくお兄様がランドン伯爵に何かしたのだと思いますわ」
カロリーヌはユレシアを見て言う。
「そうですね。これは距離を無視して王都に先に行けば良かったかもしれません……」
ユレシアは神妙な顔つきをしている。
「し、至急、商会長に知らせてください! それから……」
キリアンは慌てて若い男性に指示をするが、それはもう遅かった。
若い男性の後ろには、スラリとした長身で金髪碧眼の、40歳前後の貴族男性が立っていた。




