26.ケルバート伯爵夫妻
ケルバート伯爵家に到着した次の日の朝、事件は起こった。
なんと、今回は会うことはないと思っていたケルバート伯爵が、朝食前に別邸に来たのだ。
「お兄様!?」
すでに食事の席についていたカロリーヌは驚きの声を上げる。
ユレシアは咄嗟に立ち上がり、頭を下げる。
食事を運んでいたルルとサツキも頭を下げて隅に控える。
「いや、突然来てすまん。ちょっと抜けてきたので、急ぎで……。イルベルト男爵令息だね。顔を上げてもらえるか?」
意外と腰の低そうなケルバート伯爵は、カロリーヌと雰囲気がよく似ている。
「は、はい。お初にお目にかかります、ケルバート伯爵殿。ユレシア・イルベルトと申します」
ユレシアは、内心ドキドキしながら挨拶をした。
社交場に一切行かないユレシアは、貴族に会うことは殆どないのだ。
「ああ、うん。気楽にして。ちょっとユレシア君に相談が……」
すでに「ユレシア君」呼びのケルバート伯爵は、ユレシアにぐいっと近づく。
「旦那様!! やっぱりここでしたか!」
突然の甲高い女性の声に、全員がそちらを振り向く。
食事部屋の入り口に、カロリーヌと同年代の女性が立っている。
身なりの良さや貫禄から、ケルバート伯爵夫人なのだろう。
「パ、パトリシア! 何故ここに……」
「旦那様がコソコソなさるからですわ! 別邸の客には会わぬ約束でしたわよね!?」
パトリシアと呼ばれた伯爵夫人は、ヒステリックに叫ぶ。
そんなに「別邸の客」に会ってはいけなかったのか。
それならユレシアも別に会いたくはなかった。
伯爵夫人は頭を下げているユレシアをキッと睨む。
「成り上がり男爵家の、しかも庶子! さっさと出て行ってちょうだい! 伯爵家の何が狙いか存じませんが、わたくし、このような方とは同じ空気を吸いたくありませんわ!!」
勝手にやってきたのに、ずいぶんな言い草である。
しかも、まるで汚物のような扱いだ。
やはり貴族なんてものはロクなものではない。
「パトリシア! さすがにそれは失礼だろう!」
ケルバート伯爵はパトリシアの肩を掴む。
「なんですの!? 侯爵令嬢だったわたくしに意見なんて非常識も甚だしいですわ! この家の者は本当におかしいですわ! 庶子のカロリーヌを娘として扱って、男爵家とも交流をしようだなんて! 何のための身分制度なんですの!? 下々の者と分けるためでしょう!!」
身分制度とは、そういうものではないはずだが、もちろんユレシアが意見できる筈もない。
しかしこれは、ルルが怒るのも無理はない。
ルルは黙って頭を下げ続け、サツキはとにかくルルの真似をしている。
昨日、ルルから教えてもらって良かったと言うべきだろう。
「パトリシア、一緒に戻ろう。朝食は君の好きなエッグベネディクトだ」
ケルバート伯爵は夫人に優しく声をかけると、肩を抱いて食事部屋から出ていく。
まるで嵐が去ったかのように、2人がいなくなった後の食事部屋はしんとする。
「ユレシア様、本当に申し訳ありません」
カロリーヌはいつもの半分くらいの大きさの声で言うと、ユレシアに頭を下げる。
「カロリーヌ様、おやめください! カロリーヌ様のせいではありませんし、私は何も気にしておりません」
カロリーヌは顔を上げて微笑む。
「いえ、あの場で黙っていたことをお詫びしたいのです。わたくしが話すと、夫人はさらにキレてしまいますので仕方なくではありましたが、申し訳ありませんでした。でもユレシア様、貴族が全員、人を見下している訳では決してないのです。それだけは……」
「もちろん、承知しております」
ユレシアも微笑んだ。
あんな女主人がいるなんて、カロリーヌも大変である。
しかし、侯爵令嬢だったと自分で言っていたが、そんなに身分が好きなら、伯爵家ではなく侯爵家かその上に嫁げば良かったのだ。
まあ、伯爵夫人のことなど、どうでもいいが。
「ところで、伯爵のお話とは何だったのでしょうか。このまま出発してもいいのですか?」
ユレシアは席に座りながらカロリーヌに尋ねる。
カロリーヌも何事もなかったように席に着く。
「良いのですよ。おそらくわたくしの研究の功績云々のお話です。どうやらお兄様は、婚姻時の契約書で功績を変えられることをご存知のようですね。わたくしには内緒にして、子爵令息か男爵令息を探していた意味が分かりましたわ」
カロリーヌは苦笑している。
何とも嫌な話である。
格下に嫁がせて、契約書を操作して、功績を伯爵家のものにしようとしているのか。
しかし、それなら、夫人はそれを止めようとしているのだろうか。
「ユレシア様のおっしゃりたいことは分かりますわ。でも夫人は『何も考えていない』のです。そういう病気なのです」
ユレシアの顔色を読んだのか、カロリーヌは表情を崩さず淡々と話す。
「病気……ですか?」
「はい。心の病気、だそうです。幼少期より、優秀な兄と姉と妹に挟まれて、ストレスで発症したと聞いております。しかも妹は身分の低い第2夫人の子だったそうで、そのせいか、私のような者は許せないようです」
「そう、でしたか……」
やはり貴族なんてものはロクでもない、とユレシアは溜息をついた。
パトリシアは生家で肩身の狭い思いをして病気になり、侯爵家はそんな娘を格下の伯爵家に押し付け、伯爵夫人となっても幻想から庶子であるカロリーヌを陥れる。
負の連鎖だ。
どんどん人が傷付いていく。
沈んだ食卓に、ルルとサツキが朝食を運んでくる。
ルルは慣れているのか平然としているが、サツキは手がカタカタと震えている。
きっと、ユレシアが怒鳴られている光景が怖かったのだろう。
「サツキ、大丈夫?」
「サツキ、世界、身分ない」
ユレシアが声をかけると、サツキは低い声で呟く。
「あら、異世界には身分制度がないのですか?」
興味の対象が出来たことで、カロリーヌの顔が輝く。
「身分制度、ない。見下す人、いる。見下す人、『炎上』」
サツキは低い声のまま、ユレシアの知らない言葉を話す。
「『えんじょー』とは何ですの? 異世界の言葉、興味ありますわ!」
カロリーヌはかなり楽しそうだ。
「燃える、死ぬ(社会的に)」
よく見ると、サツキの目はすわっている。
「ええっ!? 人を見下すと、燃えて死ぬんですか!? 異世界恐ろしいですわ!」
そう言いつつ、カロリーヌの顔は笑っている。
どうやらサツキは、怖かったのではなく、怒って震えていたようだ。
ユレシアもカロリーヌと一緒に吹き出してしまっていた。




