13.沙月は2番目
時は少し遡り、イルベルト家に、ユレシアの兄と女性のお客様が来て、応接室にユレシアと女性だけが入っていった直後。
沙月は、応接室のドアを見つめていた。
ユレシアのお客様は綺麗な女性だった。
おそらくユレシアより年上だが、赤毛のふわふわした髪のはっきりした顔立ちの美人だった。
身なりも良かったから、どこかの貴族の女性だろう。
ユレシアは昨夜から様子が変だった。
夕食時はやたら早口で話していたし、その後は部屋から出てこなかった。
いつもの言葉の練習も、昨夜はなかった。
そして、今日、女性のお客様が来たのだ。
その女性と一緒に来たユレシアの兄のキサラは、ガレシアとガレシアの部屋で話し中で、その女性の付き人らしき若い女性は、カラムと何かを話している。
「サツキさん、これをユレシア様に持って行ってください」
ジェンは紅茶のポットを沙月に差し出した。
「サツキ、行く?」
沙月はポットを受け取りながら、ジェンに尋ねる。
ジェンは「はい」と言うと、応接室のドアを指差した。
沙月は言われたとおり、ノックをして部屋に入った。
お客様の女性は、やたらテンションが高かった。
沙月を見るなり、早口で何か話していた。
聞き取れた言葉は、「おめかけ」と「公国」だけだった。
「おめかけ」は昨日も教えてもらえなかった言葉だ。
今度こそ教えてもらおうとユレシアにきいてみたが、ユレシアはその女性と話し込んでしまった。
どうやら沙月が話せないことを説明しているらしい。
まだまだ、全然聞き取れない。
もっと勉強しなくては、ユレシアとまともに話せない。
沙月が必死にヒアリングをしていると、「結婚」という言葉が聞き取れた。
そして、女性は言ったのだ。
ユレシアと女性が結婚すると。
沙月は結婚なしの2番目だと。
ああ、そうか。
「おめかけ」は「愛人」だったのだ。
ユレシアは、ちゃんとした貴族の女性と結婚をして、沙月のことは「愛人」にするつもりだったのだ。
ユレシアは貴族だし、「愛人」は普通なのかもしれない。
これはいつものことだ。
沙月は、今までもこれからも、誰かの1番ではないのだ。
それは例外なく、ユレシアの1番でもなかっただけだ。
でも、沙月にとって、ユレシアは1番だった……。
沙月は泣いていた。
沙月の瞳から、勝手に涙が溢れ出していた。
この世界に来て、初めて泣いた。
泣いたってどうしようもないのに、泣いてしまっていた。
「サツキ……!」
ユレシアは、沙月に手を伸ばす。
沙月は、その手を後ろに下がって避けた。
そして、持っていた紅茶のポットを、ローテーブルに置き、逃げるように応接室を出た。
沙月は走って、自室に入った。
この行動に、何の意味もないことは分かっていた。
逃げたって、行くところもなければ、ユレシアが追いかけてきてくれる訳でもない。
言葉がまともに話せないのだ。
どうしようもないのだ。
なのに、日本に帰りたいとも思わない。
あっちにも沙月を待っている人なんていない。
そもそも、帰り方が分からない。
ここで、「愛人」として、生きていくしかないのだ。
そうだ。
いつもしていたように、見方を切り替えよう。
「愛人」いいじゃないか!
きっと3食ご飯が食べられる。
屋根のある部屋で眠ることができる。
しかも、相手は変なオジサンではなく、若くてお金持ちのユレシアだ。
ユレシアは、きっと、沙月を乱暴にはしない。
ユレシアが、あの綺麗な女性と一緒にいない日だけ、夜を共にすればいいのだ。
それなら、楽勝だ。
今まで一度もそういう事はなかったけど……。
ドンドンと沙月の部屋のドアが叩かれる。
仕事を放棄してしまったことを思い出し、沙月は急いでドアを開けた。
するとそこには、ユレシアが立っていた。
「サツキ、ごめん。ごめんなさい……!」
ユレシアはそう言うと、頭を深く下げる。
沙月は瞬時に、主人が使用人に頭を下げるなんて、よくないことだと理解した。
「ダ、ダメ! ユレシア、ごめん、なし! サツキ、仕事しない、ごめんなさい!」
沙月は、自分の行いを何とか謝る。
「サツキきいて。俺、ユレシアは結婚しない。サツキは2番目、違う」
どうやらユレシアは、結婚はしないし、沙月は愛人でもないと言っているようだ。
それなら、あの女性は何なのだろう?
ユレシアの兄であるキサラが連れてきたのだから、何でもないお客様とは思えない。
沙月が泣いてしまったから、とりあえず言っているだけかもしれない。
よくドラマである、「ごめん、もうしない」と言って、結局何度も浮気している最低男のパターンによく似ている。
もういいのに。
沙月は、愛人でも、ご飯と寝るところさえあればいいのだ。
「ユレシア、サツキ、だいじょぶ。サツキ『おめかけ』やる。ご飯、寝るとこ、ください」
沙月はペコリと頭を下げる。
「な、何言って……!?」
ユレシアは愕然としている。
通じなかった? と沙月は首をかしげる。
「サツキ、泣くしない。ご飯、寝るとこ、欲しい……」
「やめてくれ!」
ユレシアの大きな声に、沙月はビクッと震えた。
「サツキは奴隷でも妾でもないんだ。イルベルト家の一員なんだよ! 全てを諦めて生きないでくれ!」
ユレシアはそう言うと、沙月を引き寄せて抱きしめた。
ユレシアの言っている意味はよく分からなくて、でも、ユレシアに抱きしめられて、沙月はただ驚いていた。
男性に抱きしめられるなんて、初めてだ。
こんな感じなんだ。
沙月の顔に当たるユレシアの胸はゴツゴツしている。
ユレシアの匂いがする。
心臓の音が聞こえる。
いや、この心臓の音は、沙月のものかもしれない。
早鐘を打ったみたいに、大きく速く聞こえる。
「ユレシア様、大好きです……」
沙月は、ガレシアに教えてもらった言葉を、自然に言っていた。
今言うべき言葉なんだと、そう感じていた。




