嘘つきな織姫と、不器用な星の「適性査定」
七月。梅雨明けを目前に控えたあかね商店街は、湿気と期待が入り混じった独特の熱気に包まれていた。アーケードの至る所には、願い事が書かれた短冊が揺れる笹飾りが立てられている。
「あかん、弦ちゃん。見てこれ。うちが書いた『宝くじ一等当選』の短冊の上に、誰かが勝手に『ダイエット成功』の短冊を重ねて貼りやがった! うちの金運が脂肪に吸収されてまうやんか!!」
陽菜が、笹の葉をぶんぶんと振り回しながら、カウンターで憤慨していた。
「……やかましい。……笹もお前の強欲さに耐えきれずに悲鳴を上げとる。……だいたい、一等当たってもお前の性格なら三日で使い果たして、四日目にはこの店ごと抵当に入れるやろ。……神様は、リスクヘッジが完璧なんや」
店主の弦は、氷を丁寧にピックで削りながら、淡々と答えた。
「……七夕なんてのは、遠距離恋愛中のカップルが年に一回生存確認するだけの行事や。……お前みたいな年中無休の『騒音の塊』には、星に願う資格なんてない」
「ひどぉい! うちかて、織姫様みたいにロマンチックな出会いを夢見ることくらいあるわよ! ほら、今商店街で話題の『婚活占い師・マダム・ルナ』に、うちの運命の相手を占ってもらうつもりなんやから!」
「……占い? ……お前の運命の相手は、おそらく『金貸し』か『警察官』や。……それ以外の男は、お前の胃袋と物欲の前に絶滅しとる」
そこへ、いつになく緊張した面持ちの電気屋の正蔵と、魚屋の茂雄が店に飛び込んできた。正蔵は、おニューのポロシャツをズボンにきっちりインし、茂雄はなぜか「香水」の匂いをプンプンさせている。
「弦!! 陽菜ちゃん!! 大変や! 例の占い師、マダム・ルナが言うには、この商店街には『縁結びを邪魔する悪霊』が取り憑いとるらしいんや!」
「そうやねん! 俺も正蔵さんも、『このままでは一生、孤独な独身貴族や』って言われてな。……除霊のために、商店街の入り口に『巨大なクリスタル』を建立せなあかんって署名集めてるんやけど……」
「……正蔵さん。……そのクリスタル、どうせただのガラス玉やろ。……茂雄、お前もその香水、魚の匂いを消すどころか『腐った花束』みたいな異臭になっとるぞ。……今すぐ銭湯へ行って、自分を洗い流してこい」
弦が冷たくあしらおうとしたその時、店の扉が静かに開いた。
紫色のベールを纏い、銀色のタロットカードを弄ぶ女性――マダム・ルナが、場違いな優雅さで入ってきた。
ルナは店内を値踏みするように見渡すと、カウンターの陽菜に冷ややかな視線を向けた。
「……あら。あなた、非常に悪い相が出ているわ。……愛する人の側にいながら、その愛を金勘定で上書きしている。……このままでは、あなたは七夕の夜に、一番大切な人を失うことになるわね」
陽菜の顔から、一瞬で血の気が引いた。
「……え、失う!? 大切な人って、誰のこと!? お父ちゃん? それとも……この店のツケを払ってくれるお得意様!?」
「……フン。……陽菜、お前の心配が常にその程度なのは救いだが。……おい、占い師。……商売敵を見逃すほど、俺の目は節穴やないぞ」
弦が、削っていた氷をグラスに落とした。その音が、店内の空気を一瞬で凍りつかせた。
「……マダム・ルナ。……いや、本名は……佐藤さん、やったな。……確か五年前、大手人材派遣会社の受付をクビになった時の『不採用通知』、俺が直接出した覚えがあるが?」
「……っ!?」
ルナのベールが、微かに震えた。
「……お前の特技は、相手の顔色を見て、一番言われたくない言葉を投げかけ、不安を煽る『コールド・リーディング』や。……受付時代も、来客の年収を時計で判断して、態度を露骨に変えてたな。……あの時、俺が書いた評価シートを覚えとるか? ……『自己顕示欲の過剰により、他者の幸福を害する恐れあり』。……五年経っても、中身は一ミリも成長しとらんようやな」
弦の目は、かつて数千人の人生を査定してきた「人事の鬼」のそれだった。
「……正蔵さん、茂雄。……除霊やなくて、まずは自分の『思考停止』を除霊しろ。……こいつが狙っとるのは、お前らの寂しさと、商店街の微々たる積み立て金や。……そんなもんを建立する暇があったら、街の街灯の電球を一つでも替えてこい」
ルナは、弦の圧倒的な「論理」と「記憶力」に完全に気圧され、タロットカードをバラバラと床に落とした。
「……っ! こんな、男の可愛げも、女の夢もない商店街……こっちから願い下げよ!!」
彼女は捨て台詞を残し、アーケードの向こうへと逃げ出していった。
静まり返った店内で、陽菜だけがまだ呆然としていた。
「……弦ちゃん。……うち、ほんまに『大切な人』を失うんかな。……今の占い師が嘘つきやったとしても、なんか……胸のあたりが、ザワザワすんねん」
「……お前の胸がザワついとるのは、さっきから腹が減っとるだけやろ。……それとも、占い師に言われた通り、俺という『金主』を失うのが怖いか?」
「……そんなんやない。……弦ちゃんが、いなくなるのは……嫌や」
陽菜が、蚊の鳴くような声で呟いた。
「…………」
弦は、何も言わずに陽菜の前に一皿の「特製フレンチトースト」を置いた。
卵液にじっくり一晩漬け込み、最後に表面をキャラメリゼした、手間のかかりすぎる一品。
「……食え。……『適性検査』の結果や」
「え……? うちの?」
「……お前みたいな、計算高くて、やかましくて、人の話を半分も聞かん人間……。……この店以外で雇ってくれる物好きは、この世界にはおらん。……つまり、お前の『居場所』はここしかないっていう、決定的な不採用通知や。……一生、このカウンターで大人しくコーヒーを運んでろ」
陽菜が、フレンチトーストを一口食べる。
キャラメルの苦味と、卵の濃厚な甘みが口いっぱいに広がり、鼻の奥がツンとした。
「……苦っ……。けど、めちゃくちゃ甘いわ。……これ、不採用通知やなくて、ただの『監禁宣言』やんか……。……なんでやねん」
「……黙って食え。……それと、その汚い字で書いた短冊は捨ててこい。……俺が新しいのを書いてやった」
弦が差し出した短冊には、達筆な文字でこう書かれていた。
『現状維持。……これ以上、騒がしくならない程度に』
「……なんやそれ! 弦ちゃん、もっとマシな願い事あるやろ! 『商売繁盛』とか『家内安全』とか!」
「……お前が平穏に生きてることが、この街にとっての家内安全や。……それ以上の贅沢は、星も受け付けん」
夜。あかね商店街の空には、雨上がりの澄んだ星空が広がっていた。
笹の葉が風に揺れ、弦と陽菜の短冊が、すぐ側で小さく重なり合っている。
へんこつ店主の毒舌は、相変わらず鋭く冷たい。
けれど、その言葉の裏側には、誰にも見抜けないほど深い、一人の女性に対する「合格点」が隠されているのだった。
(第六十話 了)




