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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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58/60

嘘つきな銀幕(スクリーン)と、泥臭きリアリズム

 五月。連休の喧騒が去り、あかね商店街に穏やかな初夏の陽光が差し込んでいた。  

 だが、喫茶「夕凪」の入り口には、いつになく華やかな、しかしどこか浮ついた空気が漂っていた。

「弦ちゃん! 大変や、えらいことになったで! うちの商店街が、あの有名な巨匠・一ノ瀬監督の最新作『昭和の残響エコー』のメインロケ地に選ばれたんやて! 協力費として、うちの店に三日間で……なんと、三桁の金額が振り込まれるらしいわ!」  

 陽菜が、電卓をピアノのように叩きながら、鼻息荒くカウンターに身を乗り出してきた。

「……やかましい。……三桁? ……十円玉三枚か。……お前の欲望の単位は、いつも算数のドリル以下やな」  

 店主の弦は、いつも通り無表情に、ネルの中の粉を平らにならしていた。

「……ロケ地? ……ただの古臭い街並みを『昭和の美学』とかいう安っぽい言葉でパッケージ化したいだけやろ。……俺の店はセットやない。……コーヒーを飲むための場所や」

「ひどぉい! これは街おこしのチャンスなんやで! ほら、外見て! もう撮影スタッフの『ロケハン』の人が来てるんやから!」


 店に入ってきたのは、首に高級なストールを巻き、いかにも「業界人」というオーラを纏った男、佐伯だった。彼は店内を見回すと、失礼なほどに指先でカウンターをなぞり、溜息をついた。

「……なるほど。悪くないですが、少し『生活感』が強すぎますね。このメニュー表の『手書きの修正跡』、それにこの使い古された椅子。……映画的には、もっと『磨き上げられたノスタルジー』が必要なんです。わかりますか?」

「……わかりませんね。……『磨き上げられたノスタルジー』? ……それは『新品の嘘』という言葉の言い換えか。……あんたのストールが、この店の埃で汚れる前に、早急に退場することをお勧めする」

 弦の冷徹な一喝。だが、佐伯は気取った笑みを浮かべたまま続けた。

「いいえ、弦さん。我々はあなたたちの『価値』を最大化しに来たんです。撮影中は、この商店街の店主さんたちにも『エキストラ』として出演してもらいます。ただし……『理想の商店街の住人』として、少しだけキャラ付けをさせてもらいますがね」


 翌日。商店街の広場には、監督の指示によって「理想的な昭和」が強制的に作り出されていた。電気屋の正蔵は、なぜか「腹巻にステテコ」というステレオタイプな姿をさせられ、店先で将棋を指すフリをさせられている。魚屋の茂雄は、真っ白なハチマキを締め、一昔前の威勢の良さを「演技」として強要されていた。

「……弦。……これ、なんか違う気がするんや。……将棋なんて二十年指してへんし、腰の辺りがスースーして落ち着かへん……」

「ガハハ、弦! 俺もこれ、喉が痛いわ! 監督がな、『もっと江戸前風に、てやんでぇ!と言え』って言うんや。……俺、大阪生まれやのになぁ」

 二人は、自分たちの本当の姿を隠し、外から持ち込まれた「偽物の個性」を演じさせられていた。  

 それを見ていた陽菜だけは、協力費の魔力に当てられ、撮影スタッフに「うちもヒロインの親友役で出られへん?」と擦り寄っていた。


「カット!! 違う、全然ダメだ!!」  

 メガホンを持った佐伯(監督代行)が叫んだ。

「君たち、もっと『温かみ』を出してくれ! 昭和の商店街は、もっとみんなが家族のように笑い合い、無駄な喧嘩をして、最後には抱き合う……そういう『美しい風景』なんだ! 今の君たちは、ただの『疲れた中年』にしか見えないぞ!!」

 その言葉に、商店街の面々が凍りついた。  

 自分たちの生活、自分たちの積み上げてきた時間が、一言で「価値のない現実」として切り捨てられた瞬間だった。

 その時、喫茶「夕凪」の扉が、静かに、しかし重々しく開いた。弦が、真っ白なコックコートを着たまま、広場の中央へと歩み出た。

「……佐伯さん。……あんたの言う『美しい風景』とやらには、決定的なものが欠けとるな」

「なんだ、弦さん。君も文句か?」

「……文句やない。……『査定』や」  

 弦の目が、鋭さを取り戻し、佐伯を冷徹に見据えた。


「……あんたが求める『家族のような笑い』? ……笑わせるな。……この街の連中が笑うのは、お互いの『欠点』を認め合っとるからや。……正蔵が配線を間違えて街中を停電させ、茂雄が仕入れを間違えて赤字を出し、それを全員で罵り合い、呆れ果てる。……その『泥臭い諦め』の積み重ねが、この街の絆や」

 弦は、足元の「撮影用のきれいな小道具の樽」を軽く蹴飛ばした。

「……あんたが作ったこのセットは、無機質で清潔すぎる。……ここには、五十年の油汚れも、失敗の悔しさも、不器用な情熱の跡もない。……ただの『記号』や」

「……記号だと!?」

「……そうや。……記号に、人間は住めへん。……俺たちの生活を、あんたの陳腐な空想ファンタジーの材料にするな。……『昭和の残響』? ……聞こえてくるのは、あんたの独りよがりな足音だけや」

 弦の言葉は、台本スクリプトよりも鋭く、広場に響き渡った。  

 正蔵は腹巻を脱ぎ捨て、茂雄はハチマキを解いた。

「……あぁ、スッキリした。……俺、やっぱり将棋より、LED電球の修理しとる方が性に合っとるわ」

「……俺も、『てやんでぇ』なんて一生言わんわ。……『何さらしてんねん』の方が、百倍力が湧く!」


 結局、ロケハンは中止になった。佐伯は「この街には美学が理解できる人間がいない」と捨て台詞を吐いて去っていった。  

 協力費も、陽菜の期待した夢も、泡となって消えた。

 夕暮れ。喫茶「夕凪」の店内。陽菜が、いつものボロボロの椅子に座り、弦が淹れた「いつもの苦いコーヒー」を啜っていた。

「……はぁ。……三桁の協力費、夢やったなぁ。……でも、弦ちゃんのあの説教聞いてたら、なんか胸がスカッとしたわ。……うち、やっぱりこの『ボロい店』が好きなんやろな」

「……ボロい言うな。……ヴィンテージと言え、この成金崩れ」  

 弦が、カウンターを丁寧に拭き上げる。その手つきは、映画のセットを整えるそれよりも、遥かに真剣だった。

「……弦ちゃん。……もし、ほんまに映画に出るとしたら、弦ちゃんは何の役がいい?」

「……『沈黙』という役や。……お前というノイズを完全に消去する、至高の演出やな」

「なんでやねん!!」

 あかね商店街、五月の終わり。  

 銀幕の夢は去ったが、街にはまた、本当の「日常」という名のドラマが戻ってきた。  

 へんこつ店主の毒舌は、どんな名台詞よりも深く、不器用な隣人たちの心を温かく射抜いていた。


(第五十八話 了)

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