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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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あかね商店街「無機質」化計画と、消えない雑味

 四月下旬。ゴールデンウィークを目前に控え、本来なら浮足立つはずのあかね商店街は、かつてない「静寂」に包まれていた。  アーケードの入り口には、いつもの派手な手書き看板ではなく、白地に黒の細いフォントで書かれた洗練されたパネルが掲げられている。

『あかね・スマート・リノベーション:効率と静寂による新しい購買体験を』

「……弦ちゃん。見て、この店。うちの看板が勝手に『Minimalist Coffee Stand Y-NAGI』に変えられてる……。メニューも、弦ちゃんのこだわりのブレンドが消えて、『カフェイン供給液・濃度A』とかになってるんやけど……」  

 陽菜が、いつもの「欲の皮が突っ張った顔」ではなく、心底不安そうな顔でカウンターの端に縮こまっていた。

「……やかましい。……看板が変わったくらいでガタガタぬかすな。……名前が変わろうが、中身が『腐った性根の看板娘』であることに変わりはないやろ」  

 店主の弦は、いつも通りネルを構えていたが、その視線の先には、白いスーツに身を包み、タブレットを片手に店内を無機質にスキャンする一人の若者がいた。

「弦さん。あなたの淹れ方は非効率です。抽出に三分四十二秒。その間の無駄な会話、平均六十八ワード。これらをすべてAI制御のドリップ機に置き換えれば、利益率は四割向上します。この街に、あなたの『毒舌』という名のノイズは不要です」  

 コンサルタントを名乗る男・レイが、感情を排した声で告げた。


 この「効率化」の波は、商店街全体を飲み込んでいた。いつもなら「サバじゃぁぁー!」と叫んでいる魚屋の茂雄は、零の指導により「対面販売禁止・全品真空パック・無言決済」を強要され、透明なビニールカーテンの向こうで死んだ魚のような目でパッキング作業に従事している。

 電気屋の正蔵に至っては、店内のガラクタ(発明品)をすべて「火災のリスクがあるゴミ」として撤去され、今はただ静かにLED電球の在庫を数えるだけのマシーンと化していた。

「……弦ちゃん、助けて。商店街から『笑い声』が消えた。みんな、機械みたいに動いてる。……うち、十万円もらえんでもええ。あの生臭いサバの匂いと、正蔵さんの爆発音が恋しいわ……」  

 陽菜の目から、一筋の涙が零れた。

「……フン。……効率、最適化、ノイズの除去か。……零、お前の言う『新しい購買体験』には、一つだけ欠けているものがある」    

 弦が、静かにカップを置いた。

「それは何ですか? データの整合性ですか? それとも資本の投入量ですか?」

「……『不味さ』や」


 弦は、零に向かって一杯の漆黒のコーヒーを差し出した。

「飲んでみろ。お前のAIが計算した『黄金比』とは真逆の、不純物だらけの一杯や」

 零は眉をひそめながらも、そのコーヒーを口にした。瞬間、彼の表情が凍りついた。

「……なっ……!? これは……苦すぎる! しかも、後味に妙なえぐみがある。……データの数値では、こんな不快な刺激は排除されるべきです!」

「……そうや。……それは、この商店街に五十年間こびりついた、油の匂いや。……お前が撤去した正蔵のハンダごての煙の残り香、茂雄がこぼしたサバの出汁、そして……このバカ娘が流した、しょーもない涙の塩分や」

 弦が、カウンターを指で叩く。

「……お前のAIは『清潔』やが、この街の客は『泥臭い記憶』を買いに来とるんや。……苦くて、えぐみがあって、飲み込んだ後に少しだけ胸が焼ける。……それが生きてる人間の味やろ」


 その時、店の外で異変が起きた。  

 無言で作業をしていた茂雄が、突如として真空パックを素手で引き裂き、叫び声を上げたのだ。

「……あかん!! 無理や!! 真空パックなんかしてたら、サバの魂が窒息してまうわぁぁーー!!」

 それを合図に、正蔵も倉庫の奥から、隠し持っていた「超電磁・ゴミ圧縮機(という名の大型クラッカー)」を持ち出してきた。 「零くん! 効率なんてのはなぁ、余白があって初めて成り立つもんなんや! 喰らえ、あかね商店街・秘伝の『無駄』の結晶を!!」

 ドォォォーーン!!

 店内に、色とりどりの紙吹雪と、なぜかサバの鱗を模した銀色の紙が舞い踊った。  

 零の白いスーツが、一瞬にして銀色とサバの匂いに染まる。

「……あぁ……。私の、私のクリーンなリノベーション計画が……不純物まみれに……」  

 零が膝をつき、タブレットを落とした。


「……わぁっ、戻った! 商店街が、いつものうるさくて生臭いあかね商店街に戻ったわ!!」  

 陽菜が、銀色の紙吹雪の中で飛び跳ねる。

「……おい、零。……お前が消そうとした『ノイズ』が、この街を動かすエンジンなんや。……次に来る時は、もっと汚れた格好で来い。……その時は、最高に『えぐみ』のあるコーヒーを淹れてやる」

 弦が、呆然とする零の頭に、そっと手拭いを置いた。

 零は、しばらく震えていたが、やがて銀色の紙吹雪を握りしめ、小さく呟いた。

「……効率化の計算に……サバの鱗は、入っていませんでした……。……私の負けです」

 若きコンサルタントは、サバの匂いを漂わせながら、静かに商店街を去っていった。


 数日後。喫茶「夕凪」の看板は、陽菜の手によって(勝手に)さらに派手に書き換えられていた。

『喫茶夕凪:弦の毒舌一回百円! 陽菜のスマイル(有料)! サバの匂い・無料開放中!』

「……陽菜。……お前、その看板のせいで客が一人も入ってこんのやけど。……これ、営業妨害で訴えてええか?」

「ええやん、弦ちゃん! 効率悪くても、うちららしくて最高やろ? ほら、ご褒美にうちのスマイル、特別に十円でええよ!」

「……マイナス一億円でもいらんわ。……ほら、食え。……お前の空っぽの頭に、少しは重みを付けるための新作や」

 弦が出したのは、コーヒー豆の形をした、真っ黒な「ビター・ガナッシュ」だった。  

 一口食べた陽菜は、そのあまりの苦さと、後から来る深い甘みに目を見開いた。

「……んん~! 苦い! でも、なんか……生きてるって感じがするわ……」

「……当たり前や。……それは、お前がさっきサボって寝てた時間の分だけ、じっくり煮詰めた『罰』の味やからな」

「なんでやねん!!」

 あかね商店街、四月の終わり。  

 効率という名の嵐は去り、街にはまた、無駄で、騒がしくて、愛おしい日常が戻ってきた。  

 へんこつ店主の毒舌は、相変わらず鋭いが、その「ノイズ」こそが、この街の平和を守る唯一の音色なのだった。


(第五十六話 了)

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