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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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春の「爆走」お花見ツアーと、消えた風流

 四月。あかね商店街のアーケードを抜けた先にある公園では、桜が満開を迎えていた。  

 しかし、喫茶「夕凪」の店内は、春のうららかさとは無縁の殺伐とした空気に包まれていた。

「あかん、弦ちゃん! 見てこれ! うちがダウンロードした最新の健康増進アプリ『OSAMPO・デラックス』やねんけど、目標歩数まであと一万歩足りひんねん! 今日中に達成せんと、商店街で使える『高級牛一キロ引換券』が失効してまう! 頼むから店の中で縄跳びさせて!!」  

 陽菜が、スマホを握りしめ、カウンターの中で足踏みをしながら絶叫していた。

「……やかましい。……コーヒーの香りが、お前の貧乏ゆすりの振動で乱れるやろ。……一万歩歩く前に、その浅ましい欲望の重みで膝を壊してこい」  

 店主の弦は、春の特別ブレンド「春愁」を静かにドリップしていた。

「……だいたい、最近の人間は機械に歩かされんと足も動かせんのか。……『願はくは花の下にて春死なむ』と詠った西行法師も、まさか千代の後に、牛の肉のために走り回るメスザルが現れるとは思わんかったやろうな」

「ひどぉい! うちを猿呼ばわりするなんて! これは『STEAM教育』の一環として、最新技術を生活に取り入れてる意識高い行動なんやで!」

「……ただの食い意地を横文字で誤魔化すな」


 そこへ、背中に巨大な「パラボラアンテナ」と「スピーカー」を背負った電気屋の正蔵が、フルマラソン終わりのような顔で現れた。その後ろには、全身にピンク色の鱗(?)を貼り付けた魚屋の茂雄が、台車に載せられて運ばれてくる。

「弦!! 陽菜ちゃん!! ついに完成したぞ! 商店街公式・お花見ナビゲーションシステム、『サクラ・ウォーカー・三号』や!!」

「……正蔵さん。……その背中のアンテナは何や。……桜の木からWi-Fiでも吸い出すつもりか」

「ガハハ! 弦、これを見ろ! このアプリはな、歩数に合わせて『万葉集』の朗読が流れ、一定のテンポで歩くと、この茂雄から『サクラ・フレーバーのサバの粉末』が噴射される仕組みや!!」

「……茂雄さん。……そのピンクの格好、桜やなくて『火傷した怪獣』にしか見えんぞ。……それと、お花見にサバの粉末を撒くのは、ただの異臭騒ぎや。……今すぐその装置を多摩川の底にでも沈めてこい」


 午後。陽菜の「肉への執念」と、正蔵の「技術への過信」が結びつき、商店街の面々による「強制お花見ウォーキング」が開始された。

「さあ、全員出発や! 目標は公園の奥にある伝説の桜! 歩け歩けぇー!!」

『♪~世の中に たえて桜の なかりせば……(朗読:正蔵の機械音声)』

「あかん、この朗読、声が低すぎて呪いのビデオみたいやわ! 弦ちゃん、もっとテンション上がる曲かけてよ!」  

 陽菜が激走する中、正蔵の装置が突如、過負荷で暴走を始めた。

 ピーー!! ピーー!! 目標歩数、大幅未達! 罰則として『サバ粉末』を最大出力で噴射します!!

「ギャァァー!! ピンクの煙が! 桜より濃いピンクの煙が、視界を遮るぅぅーー!!」  

 茂雄の背中から、ピンク色に染められた魚粉が猛烈な勢いで吹き出した。広場は一瞬にして、甘酸っぱい桜の香りと、強烈な青魚の匂いが混ざり合った、この世の終わりみたいな異空間へと変貌した。


「……カオスやな」  

 弦が、混乱の渦中から一人離れ、公園の隅にある一本の小さな、しかし見事な枝ぶりの山桜の下で足を止めた。

「ゲホッ、ゲホッ!! 弦ちゃん! 助けて! 霧が深すぎて、自分がどこ歩いてるか分からへん! 肉……うちの牛一キロがぁぁー!!」       

 粉末まみれで真っピンクになった陽菜が、泣きながら弦の元へ辿り着いた。

「……陽菜。……スマホを置いて、上を見てみろ」

「え……?」  

 陽菜が顔を上げると、そこには、喧騒から切り離されたような、静かな春の景色があった。  

 淡い桃色の花びらが、風に舞って弦の持っている白いカップの中に、一枚だけ、ひらりと落ちた。

「……機械が数える歩数に、何の価値がある。……一万歩歩く間に見逃したこの一枚の『静寂』の方が、よほど贅沢やとは思わんか」

 弦が、花びらの浮いたコーヒーを差し出す。一口飲んだ陽菜は、サバの匂いで麻痺していた鼻が、一瞬にしてコーヒーの深い苦味と、桜のほのかな香りに浄化されるのを感じた。

「……苦い。……けど、なんか……めちゃくちゃ綺麗やね」


 結局、陽菜のアプリは「過度な振動」によりエラーを起こし、目標歩数はリセット。高級牛の引換券は、無慈悲にもアプリの中で消滅した。

「うわぁぁーん!! うちの肉がぁぁ! 弦ちゃんのせいで、風流な気分になった代償がデカすぎるぅぅー!!」  

 夕暮れの「夕凪」で、陽菜がカウンターを叩いて号泣していた。

「……フン。……肉が食いたければ、店を掃除しろ。……そのピンクの粉末が店内に一粒でも残ってたら、明日はお前を『サバの着ぐるみ』に入れて、道頓堀に放流してやるからな」

 そこへ、ボロボロになった正蔵と、全身の鱗が剥げ落ちた茂雄が戻ってきた。

「弦……。やっぱり、古文の心は機械じゃ測れんな。……次は、脳波で『わびさび』を感知する、『全自動・茶室ドローン』を作るわ……」

「……正蔵さん。……今度そんなもん持ち込んだら、そのドローンに爆薬を積んで、お前の家まで直送してやる」


 夜。喫茶「夕凪」の窓から、遠くの夜桜が街灯に照らされて光っている。  

 陽菜は結局、弦が賄いとして出した「牛肉たっぷりのハッシュドビーフ(ただし超激辛)」を、涙を流しながら食べていた。

「……んん~! 辛い! けど、美味しい……! 弦ちゃん、これって、もしかして、うちが欲しかった肉……?」

「……勘違いするな。……近所のスーパーで、お前と同じくらい『売れ残っていた』特売品や。……さっさと食って、春の眠りに落ちろ」

「……うふふ。……弦ちゃん、やっぱり大好きやわぁ(肉が)」

「……殺すぞ」

 あかね商店街、四月の夜。  

 ハイテクな嘘と、生臭い騒動は終わり、街にはまた、静かな夜の凪が訪れた。  

 へんこつ店主の毒舌は、春の嵐よりも厳しく、しかし、その一杯のコーヒーのように、心を温かく解かしていくのだった。


(第五十五話 了)

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