真夏の夜の怪談と、呪いの「エメラルドかき氷」
八月。大阪・あかね商店街の気温は、アスファルトの上で目玉焼きが焼けるどころか、人生の悩みまで溶けてしまいそうなほどに上昇していた。
「あかん……もうあかん……。弦ちゃん、うちを冷凍庫に入れて……。ついでにシロップかけて食べて……」
陽菜が、喫茶「夕凪」のカウンターで、保冷剤を両脇に挟みながら液体のように溶けていた。
「……やかましい。……お前を冷凍庫に入れたら、電気代で店が傾く。……それより、さっさとその『氷』の看板を外に出せ。……視覚から冷やせ」
店主の弦は、汗一つかかぬ涼しげな顔で、氷を削る「シャリシャリ」という音を店内に響かせていた。
「弦ちゃん、なんでそんなに平気なの!? 血管にアイスコーヒーでも流れてるんちゃう?」
「……無駄な動きをしないだけや。……お前のように、暑い暑いと騒ぐから、余計な摩擦熱が発生するんや」
そこへ、ガタガタと震えながら、魚屋の茂雄と電気屋の正蔵が飛び込んできた。外は三十八度だというのに、二人の顔は真っ青である。
「弦!! 出た! ついに出たんやぁぁーー!!」
「……何がや。……またサバの呪いか」
弦が冷たくあしらうが、茂雄の震えは止まらない。
「違うわ! 幽霊や! あかね商店街の裏路地にある、あの『開かずの倉庫』から、女のすすり泣く声が聞こえるんや! しかも、その倉庫の前には、真っ赤な血のようなシロップがぶちまけられてて……!」
「そうなんや! 俺が見たときは、倉庫の中から『シャリ……シャリ……』って、氷を削る音がしてたぞ! このクソ暑いのに、あそこだけ雪が降っとるんや!!」
正蔵も懐中電灯を握りしめ、必死に訴える。
「……フン。……どうせ、どっかの野良猫が氷を舐めとるだけやろ。……それか、あんたらの脳みそが暑さでフリーズしたかや」
「弦ちゃん、それ面白そうやん! 『夕凪』の新メニューに『本物の幽霊が作ったかき氷』って出したら、大行列間違いなしやで!!」
陽菜が、恐怖よりも商機を優先してガバッと起き上がった。
「……アホか。……そんなもん、保健所が黙っとらんわ」
その夜。結局、強欲な陽菜と、腰が引けているおっさん二人に押し切られ、弦は「開かずの倉庫」の調査に同行することになった。
「ひ、ひぃぃ……。やっぱりここ、空気が変やで……」
茂雄が弦の背中に隠れながら、懐中電灯で倉庫を照らす。確かに、そこには古い昭和初期のような「手動かき氷機」がポツンと置かれ、その周囲には、不自然なほど冷たい霧が立ち込めていた。
「……シャリ……シャリ……」
暗闇の中から、確かに音が聞こえる。そして、白装束のような服を着た、髪の長い女が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「ギャァァァーー!! 出たぁぁーー!!」
茂雄と正蔵が、お互いに抱き合いながらひっくり返る。
「……待て。……お前ら、よく見ろ」
弦が、女の目の前までスタスタと歩み寄り、無造作にその「幽霊」の肩を叩いた。
「……おヨネさん。……こんなところで、何をしとるんや」
「……あ、あら……弦ちゃん? 見つかっちゃった?」
幽霊の正体は、商店街の最長老・おヨネさんだった。彼女は、首に巻いた白いタオルを直し、恥ずかしそうに笑った。
「お、おヨネさん!? 脅かさんといてぇな! なんでこんな夜中に、幽霊みたいな格好してかき氷作ってるん!?」
陽菜が、脱力しながら尋ねる。
「……実はね。明日、うちの孫が遊びに来るんだけど……。あの子、昔ここで食べた『エメラルド色のかき氷』をもう一度食べたいって言うのよ。でも、今のシロップじゃあの味にならないし……。この古い機械じゃないと、あのふわふわ感が出なくてねぇ」
おヨネさんは、倉庫に眠っていた五十年前のかき氷機を引っ張り出し、試行錯誤していたのだという。 「血のようなシロップ」は、ただのイチゴシロップの溢れ跡だった。
「……でもおヨネさん。……この機械、刃が錆びとる。……これじゃあ、氷が粗くて孫がガッカリするぞ」
弦が、かき氷機の心臓部を指差した。
「そうなのよ……。いくら削っても、ガリガリになっちゃって。……昔の、あの雪みたいな氷が作れないの」
「……正蔵さん。……電気屋のプライドがあるなら、腰抜かしてないでこいつを研げ。……茂雄さん、あんたは氷屋に電話して、一番いい『純氷』を持ってこさせろ」
「……おう! 任せとけ! 幽霊やないなら、こっちのもんや!!」
現金なもので、相手が人間だと分かった途端、男たちは一気に気合を入れた。
深夜のあかね商店街。正蔵が火花を散らして刃を研ぎ、茂雄が特大の氷を運び込む。そして弦は、自ら店の厨房に戻り、おヨネさんの記憶を頼りに「エメラルド色のシロップ」を再現し始めた。
「……メロンじゃない。……青リンゴでもない。……これは、ペパーミントとライム、それにあかね商店街に自生する『あの草』の隠し味や」
数時間後。完成したのは、見たこともないほど透き通った、深い緑色のシロップ。それを、正蔵が完璧に調整した機械で削った氷にかけると……。
「……わぁ……! これよ! これが、あの子のパパも大好きだった、エメラルドかき氷よ!!」
おヨネさんが、目を輝かせて歓声を上げた。
「……陽菜。……お前も、毒見しろ」
「うわぁ、綺麗……。パクッ。……!! ……冷たっ! 痛っ! でも……美味しいぃぃー!! 頭にキーンってくるけど、最後がすっごい爽やか!!」
「……フン。……当然や。……俺が配合したんやからな」
翌日。おヨネさんの孫は、その「魔法のかき氷」を食べて、満面の笑みを浮かべて帰っていったという。あかね商店街の「幽霊騒動」は、いつの間にか「幻の絶品かき氷」の伝説に書き換えられていた。
夕暮れ時。喫茶「夕凪」の店内。
「……ふぅ。……やっと夏が終わったような気分や」
弦が、自分専用の、冷え切ったアイスコーヒーを啜っていた。
「弦ちゃん、お疲れ様。……でも、結局うちのメニューには出さへんの? あのエメラルドかき氷」
「……出さん。……あんな手間のかかるもん、一日中やってられるか。……それに、あれはおヨネさんの思い出の味や。……俺たちが商売にするもんやない」
「……ほんま、可愛くないなぁ。……あ、でも! 茂雄さんが、お礼にって店先で『特製サバかき氷』の試食会始めてるで!」
「…………」 弦は、無言で店の奥から「強力な殺虫剤」ではなく「業務用の巨大な団扇」を取り出した。
「……陽菜。……今すぐ、あの生臭い煙……やなくて、生臭い氷を商店街の外まで仰ぎ飛ばせ。……でないと、今度こそ本物の『地獄』を見せてやる」
「なんでやねん!! うちにそんなパワーないわ!!」
あかね商店街、八月の夕暮れ。
熱帯夜の熱風の中に、ほんの少しだけ、ミントの清涼感と、人々の笑い声が混ざり合う。
へんこつ店主の夏は、まだまだ、冷める気配がなさそうだ。
(第四十五話 了)




