表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/45

雨漏りの「夕凪」と、びしょ濡れの再会

 六月。大阪の空は、分厚い灰色の雲に覆われていた。あかね商店街のアーケードには、バチバチと激しい雨音が響き、湿った空気がべったりと肌にまとわりつく。

「あーっ! 弦ちゃん、またここ! カウンターの端っこ、またポタポタ来てるで!!」  

 陽菜が、プラスチックのバケツを持って店内を右往左往していた。

「……やかましい。……それは『雨漏り』やない。……店内に降り注ぐ、天然の『加湿システム』や。……情緒を感じろ」  

 店主の弦は、バケツに落ちる「ピチャン」という音に合わせてリズムを取りながら、平然と豆を挽いていた。

「情緒で腹が膨れるか! お客さんの頭に当たったらどないすんねん! ほら、正蔵さんに修理頼んでるんやから、早く屋根裏見てあげて!」

 店の隅では、電気屋の正蔵が脚立にまたがり、天井のパネルを剥がして頭を突っ込んでいた。

「……弦、これはアカンわ。……配線がどうこう言う前に、屋根の継ぎ目がガバガバや。……まるで、茂雄の口の軽さとお前の性格の歪みを見とるようやな」

「……正蔵さん。……余計な一言を言うたびに、修理代から千円ずつ引くからな。……黙って手を動かせ」


 そんな「夕凪」の扉が、カランカランと力なく鳴った。入ってきたのは、全身びしょ濡れの若い男女だった。

「すみません……。雨宿り、させていただけますか……?」  

 男は、申し訳なさそうに頭を下げた。横にいる女は、どこか遠くを見つめるような、虚ろな瞳をしている。

「……勝手にしろ。……ただし、床を濡らすな。……入り口のマットで、犬のように体を振ってから座れ」

「弦ちゃん! 言い方!! すみませんねぇ、今すぐタオル持ってくるから!」  

 陽菜が奥から山積みのタオルを持ってきたその時、カウンターに座っていた魚屋の茂雄が、生臭い法被を脱ぎ捨てて身を乗り出した。

「おぉっ!? なんや、この空気! 訳ありか? もしかして、駆け落ちか!? 禁断の恋か!? よっしゃ、この茂雄兄さんに何でも相談に乗ったるでぇ!!」

「……茂雄さん。……あんたの相談は、サバをアジと偽って売る方法くらいやろ。……黙ってコーヒーを飲んどけ」


 店内には、雨音と、バケツに落ちる水滴の音、そして茂雄の余計な詮索だけが響いていた。だが、濡れたタオルで髪を拭いていた男が、ふと店内の古いメニュー表を見て、小さく呟いた。

「……『夕凪ブレンド』。……懐かしいな。……十年前も、ここでこれを飲んだっけ」

 その言葉に、女の肩がピクリと跳ねた。

「……貴志君。……覚えてたの?」

「……忘れるわけないだろ。……僕たちが最後にお別れしたのも、こんな雨の日だった」

 その瞬間、店内の空気が一変した。

「ヒュ~~ッ!! 始まったぁー! 十年ぶりの再会! 運命の糸が、あかね商店街の雨漏りで結ばれたぁー!!」  茂雄がカウンターを叩いて大はしゃぎする。

「ちょっと! 茂雄さん静かに! ……で、どうなったん!? 貴志君、なんで離れ離れになったん!?」  

 陽菜まで、お盆を抱えたまま前のめりになる。

「……やかましい連中やな。……客のプライバシーを、たこ焼きの具にするな」  

 弦が冷たく言い放つが、その手はいつになく丁寧に、新しい豆を計量していた。


 男――貴志の話によれば、二人は高校時代の恋人同士だった。だが、貴志の親の転勤で、この街を離れることになり、自然消滅してしまったのだという。今日、仕事で偶然この街を訪れた貴志が、雨の中で当時の彼女・美咲と再会した。

「……でも、もう遅いんだ。……僕は明日から、海外の支社に赴任する。……今日が、本当に最後のご挨拶のつもりで……」

「……それでええんか、美咲ちゃん! 十年も想い続けて、また雨に流してまうんか!?」  

 茂雄が、なぜか自分のことのように涙を流し始めた。

「……私、……。……貴志君が元気なら、それで……」  

 美咲が、震える手でコーヒーカップを握る。

 その時。天井から、最大の「ポタッ」がやってきた。正蔵が屋根裏で無理に配線をいじったせいか、天井のパネルがバキッと音を立てて外れたのだ。

「あーっ!! 弦、逃げろ!!」  

 正蔵の叫びも虚しく、大量の雨水が滝のように流れ落ちてきた。その直撃コースには、貴志と美咲がいた。


「……チッ。……素人が」

 弦が動いた。カウンターを乗り越える一瞬の動作で、彼は近くにあった「特大の業務用ゴミ箱」を蹴り飛ばし、カップを差し出したままの貴志の頭上へ、傘のようにそれを被せた。さらに、もう片方の手で美咲の椅子を引き寄せ、自分の背中で飛沫しぶきをガードした。

 ザバーーーーン!!

 店内に、滝のような水音が響く。弦は背中からびしょ濡れになりながらも、二人のコーヒーカップには一滴の水も入れさせなかった。

「…………。……騒がしい。……正蔵さん、修理代は三倍や。……茂雄さん、笑ってないで雑巾を持ってこい」

「……弦ちゃん、大丈夫!?」  

 陽菜が駆け寄る。弦は冷淡な顔で肩をすくめた。

「……俺はいい。……それより、お前ら」  

 弦は、ゴミ箱の下で呆然としている貴志と、その隣で震える美咲を見た。

「……雨漏りは、直せばいい。……だが、心に空いた穴は、放置すれば家ごと腐るぞ。……十年前の未練を、この汚い雨水と一緒に流して、さっさと答えを出せ。……見ていて、コーヒーの味が落ちるわ」


 沈黙。  

 雨音だけが店を支配していた。やがて、貴志がゴミ箱を脱ぎ(シュールな光景だったが、空気は真剣だった)、美咲の手を強く握った。

「……美咲。……一緒には行けないかもしれない。……でも、戻ってくるまで、待っていてくれないか。……今度は、手紙じゃなくて、僕自身の声で毎日伝えるから」

「……うん。……待ってる。……今度こそ、待ってるから」

 二人は、泣きながら笑い合い、お互いの存在を確かめ合うように寄り添った。

「……あはは! 良かったなぁ、貴志君! 美咲ちゃん! よっしゃ、今日のお代は俺が……はへんけど、商店街の魚、全部半額にしたるわぁー!!」  

 茂雄が、びしょ濡れの床で盆踊りを始めた。


 一時間後。雨が上がり、雲の間から夕焼けが差し込み始めた。貴志と美咲は、晴れやかな顔で店を後にした。

「……ふぅ。……やっと静かになったな」  

 弦は、新しいシャツに着替え、壊れた天井を呆然と見上げていた。

「……弦ちゃん、かっこよかったで。……あんなこと言って、ほんまは応援してたんやろ?」  

 陽菜が、ニヤニヤしながら弦の横顔を覗き込む。

「……アホか。……俺は単に、床掃除が面倒やっただけや。……それより陽菜。……お前、さっきのドタバタで、客に出すはずのケーキ、自分で食ったやろ。……口の横にクリームがついとるぞ」

「……あ、バレた!? ……だって、甘いもん補充せんと、やってられへんやん!」

「……やかましい。……さあ、閉店や。……明日は晴れる。……湿った空気と一緒に、お前のその緩んだ頭も乾かしてこい」

 あかね商店街、六月の夕暮れ。  

 雨上がりのアスファルトの匂いの中に、へんこつ店主の淹れた、少しだけ苦くて温かい余韻が漂っていた。

「……あ、弦ちゃん! 正蔵さんが、お詫びに屋根の上に『巨大な太陽のオブジェ』設置しようとしてるで!」

「……通報しろ。……今すぐ、航空局と警察を呼べ!!」


(第四十三話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ