GWの観光客騒動と、崩落の「伝説パフェ」
五月、大型連休。大阪・あかね商店街は、未曾有の危機に瀕していた。普段は近所のおっさんとおばはんが、値切り交渉という名の「格闘技」を繰り広げている平和なアーケードに、色とりどりの服を着た若者や家族連れが、津波のように押し寄せていたのだ。
「ええか、お前ら! 今日はこの商店街が世界に羽ばたく日や! 魚屋の店先で自撮りするな! 買うか、去るか、どっちかにせぇ!!」
魚屋の茂雄が、観光客の勢いに押され、もはや「誘導員」のように必死に手を振り回している。
そして、その狂騒の震源地は、意外にも喫茶「夕凪」だった。どういうわけか、ある有名インフルエンサーが「隠れ家的・昭和レトロの極致」とSNSで紹介したせいで、店の前には、蛇のような大行列ができていたのだ。
「……やかましい。……コーヒー一杯飲むのに一時間も並ぶなど、現代人は脳が沸騰しとるのか」
カウンターの中で、弦が般若のような顔でネルドリップを振っていた。
「……陽菜。……さっきからスマホを向けてくる客に、塩を撒け。……ここは動物園やない」
「弦ちゃん、そんなんアカンって! せっかくの稼ぎ時やん! 見て、これ! うちが開発した新メニュー『あかね・スカイハイ・タワーパフェ』や!!」
「…………。……何や、その『重力の限界』に挑むような物体は」
陽菜が掲げたのは、三段のバニラアイスの上に、さらに特大のプリン、さらにその上にたこ焼き(チョコがけ)、一番上に商店街名物の「茂雄のサバ缶(の空き缶)」をイメージしたクッキーが乗った、高さ四十センチを超える怪物のようなパフェだった。
「これぞ、SNS映えの極致! 一日五食限定、三千円や!!」
「……バカか。……そんなもん、運んでる途中に崩落して、客の頭に直撃するのがオチや。……物理学を無視した菓子を作るな」
「大丈夫やって! うちの『気合』でバランス保ってるから!」
だが、その「気合」は、客席からの叫び声によって一瞬で打ち砕かれた。
「キャー!! ちょっと! 誰か、この『魚の匂いがするサンタ』を止めてぇー!!」
見れば、行列の整理に飽きた茂雄が、なぜか「商店街のPR」と称して、生きたタコを振り回しながら店内に乱入してきたのだ。
「おらおら! これが大阪の、あかね商店街の魂やでぇ!! 写真撮れ! 拡散しろぉ!!」
「茂雄さん、店内でタコはアカン!!」
陽菜が慌てて止めようと飛び出す。その時、彼女の手には、あの『スカイハイ・タワーパフェ』が握られていた。
ドォォーン!!
茂雄が踏んだ「誰かが落としたたこ焼きのソース」に滑り、陽菜が空中を舞った。宙を舞う三段のアイス、特大プリン、そしてチョコがけのたこ焼き。
「……あ」
時間が止まったような静寂。崩落する伝説パフェの軌道上には、偶然そこに居合わせた、高級そうな服を着た一人の老婆がいた。
「危ない!!」
叫んだのは正蔵だったが、体が動かない。
その瞬間。カウンターの中から、黒いエプロンをなびかせた弦が、フェンスを飛び越える陸上選手のような軽やかさで跳躍した。
「……チッ。……素人が」
弦は、空中でパフェのパーツを左手で、陽菜の襟首を右手で、それぞれ鷲掴みにした。着地と同時に、崩れかけたパフェを、老婆の目の前のテーブルに「トンッ」と、何事もなかったかのように完璧な配置で再構築した。
「…………。……お待たせしました。……『重力のいたずら』という、期間限定の演出です」
「……あら、まぁ……すごいわねぇ。さすが、伝統の街だわ」
老婆が、感銘を受けたように拍手をする。店内からは、一斉にスマホのシャッター音が響き渡った。
騒動が一段落し、夕暮れ時。観光客の波が引き、ようやく店内にいつもの「沈黙」が戻ってきた。といっても、そこにはボロボロになった茂雄と正蔵が、カウンターで反省のコーヒーを飲んでいる姿がある。
「……ったく。……あんたらは、客を呼び込むどころか、営業妨害の天才やな」
弦が、自分専用の深煎りコーヒーを啜りながら毒を吐く。
「ごめんて、弦ちゃん……。うちも、欲を出しすぎたわ……」
陽菜が、鼻の頭に生クリームをつけたままシュンとしている。
「……陽菜。……あのパフェ、味は悪くなかった。……だが、客が求めているのは『高さ』やない。……最後の一口まで、冷めずに、飽きずに楽しめる『距離感』や。……お前が作ったのは、ただの『積み木』やな」
「……厳しいなぁ、相変わらず。……でも、弦ちゃんが助けてくれへんかったら、うち、今頃出入り禁止やったわ」
「……フン。……俺の店で、不味い事故を見せられるのは不愉快なだけや」
その時。店の扉が静かに開き、一人の小さな男の子が、一輪のカーネーションを持って入ってきた。GWの終わりは、母の日が近い。
「あの……。お母さんに、何かプレゼントしたいんだけど……。僕、三百円しか持ってなくて……」
茂雄と正蔵が顔を見合わせる。
「三百円かぁ……。うちのサバ缶、一つも買えへんなぁ」
「……黙れ、生臭おじさん」
弦は、カウンターの奥から、小さくて可愛らしい「コーヒー豆の形のクッキー」が数枚入った袋を取り出した。
「……これは、三百円やない。……『二百九十円』や。……お釣りで、そのカーネーションをもう一輪買ってやれ。……お前の母親は、花よりも、お前がその十円をどう使ったかの方を喜ぶはずや」
「……ありがとう、おじさん!!」
男の子は、大切そうにクッキーを抱えて、元気に駆けていった。
「……弦ちゃん。……あんた、観光客にはあんなに冷たいのに、子供には甘いなぁ」
陽菜がニヤニヤしながら覗き込む。
「……やかましい。……俺は、単に『釣り銭の計算』が面倒やっただけや。……さあ、閉店や。……明日からは、いつもの『映えない』商店街に戻るぞ」
あかね商店街、五月の夜。
観光客の喧騒が嘘のように静まり返り、正蔵が修理したばかりの街灯が、新緑の葉を優しく照らしている。
へんこつ店主の毒舌と、看板娘の空回り。大型連休の狂騒劇が終わっても、この街の「人情」という名のパフェは、決して崩れることはない。
「……あ、弦ちゃん! 茂雄さんが、余ったタコでお詫びに『激辛たこ焼きパフェ』作って持ってきたで!」
「……通報しろ。……今すぐ、保健所と軍隊を呼べ!!」
(第四十二話 了)




