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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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聖夜の迷子と、不機嫌なサンタクロース

 十二月。大阪・あかね商店街のアーケードには、安っぽい電子音の『ジングルベル』が鳴り響き、赤や緑のモールが申し訳程度に飾られていた。だが、その「申し訳程度」の飾り付けとは裏腹に、商店街の面々の鼻息は荒い。

「ええか、お前ら! 今年のクリスマス会は、あかね商店街の命運がかかっとるんや! 目玉はなんと言っても、空飛ぶサンタクロースやでぇ!!」  

 広場のど真ん中で、不釣り合いなサンタ帽を被った茂雄が、脚立の上で拳を突き上げていた。

「茂雄さん、空飛ぶって……まさか、アーケードの梁から紐で吊るすつもりちゃうやろな?」  

 陽菜が、トナカイのカチューシャを激しく揺らしながらツッコミを入れる。

「そのまさかや! 俺がサンタになって、空から子供たちにプレゼントをバラ撒くんや! 夢があるやろ、夢が!」

「……夢やなくて、ただの事故フラグやろ。……やかましい」  

 喫茶「夕凪」の入り口で、腕を組んで冷ややかに眺めていたのが、店主の弦だ。

「……茂雄さん。その脚立、ネジが一本緩んどるぞ。……物理法則を無視したデブが乗れば、結果は火を見るより明らかや」

「デブ言うな! これは冬に備えたミート・アーマーや! ……あぁっ、おい! 揺らすな、揺らす……あ、あ、あーーーー!!」

 フラグ回収は、一秒とかからなかった。茂雄の重みに耐えかねた脚立が、悲鳴を上げて横倒しになる。

「ぎゃあああ!! 腰が! 俺の腰が、クリスマスの奇跡で砕けたぁぁーー!!」

「茂雄さぁぁーーん!!」  

 陽菜の悲鳴が響き渡り、あかね商店街のクリスマス会は、開催一時間前にして「サンタ不在」という絶望的な状況に陥った。


「……無理や。絶対嫌や」  

 喫茶「夕凪」のバックヤード。弦は、目の前に差し出された「赤い布の塊」を見て、般若のような顔をしていた。

「弦ちゃん、お願い! 茂雄さんは救急車で運ばれたし、正蔵さんは腰痛持ちやし、源さんはお酒飲んでもうてベロベロやねん! 独身で、背が高くて、ちょっと威圧感のあるサンタになれるのは、あんたしかおらへんねん!」

「……『威圧感のあるサンタ』がどこにおる。子供が泣いて逃げ出すわ。……だいたい、俺はキリスト教徒でもなければ、トナカイの操縦免許も持っとらん」

「そんなん、誰も気にせぇへんって! ほら、子供たちが広場で待ってるんやで。……あの中にはな、今年お母さんを亡くして、初めて一人でクリスマスを過ごす子もおるんや……」  

 陽菜が、いつになく真剣な、そして少しだけ湿っぽい瞳で弦を見つめる。

「…………」  

 弦は、深いため息をついた。その溜息には、五十年分の諦念が詰まっているようだった。

「……今回だけや。……コーヒー一杯の原価計算より、お前のその『泣き落とし』の方が高くついたと思え」

「やったぁぁーー!! さすが弦ちゃん! 話がわかるぅ!」

 十分後。そこには、眉間に深い皺を刻んだ、世界で最も不機嫌そうなサンタクロースが誕生していた。サイズが合わず、少しツンツルテンの赤いズボン。無理やり付けられた、綿菓子のような白い髭。

「……陽菜。……この髭、糊の匂いが鼻に突く。……それから、この袋。……中身は何や」

「茂雄さんが用意した、商店街の在庫一掃……やなくて、心のこもったプレゼントや! さあ、行ってこい、あかねの黒い……やなくて、赤いサンタ!!」


 クリスマス会場の広場。待ちわびた子供たちの前に、ドスドスという、およそ聖夜には似つかわしくない足音を立ててサンタが現れた。

「……メリー、クリスマス。……並べ。……割り込みは、将来の借金地獄への第一歩や。……整列しろ」

 会場が、一瞬で凍りついた。

「……ママ、あのサンタさん、目が笑ってないよ……」

「……しっ! 見ちゃいけません! あれはきっと、シベリアから来た修行中のサンタなのよ!」

 弦は、逃げ出したい衝動を抑え、機械的にプレゼントを配り始めた。

「……ほら、タワシや。……親の手伝いでもしろ。……次は、お前か。……賞味期限が三日後の羊羹や。……急いで食え」

「なんでやねん!! プレゼントのチョイス、最悪やんか!!」  

 横でトナカイ役(自前のカチューシャ)を務める陽菜が、必死にフォローを入れる。

「あはは、面白いサンタさんやなぁー! ほら、次はこの子! 栞ちゃんやで」

 そこには、小さな女の子が一人、ポツンと立っていた。陽菜が言っていた、母親を亡くした子だ。彼女は、弦の不気味な姿に怯えることもなく、じっとサンタの目を見つめていた。

「……サンタさん。……あのね、私、プレゼントはいらないの」

「……ほう。……無欲か。……だが、貰えるもんは貰っておくのが、大阪で生き抜く術やぞ」

「……そうじゃなくて。……お願いがあるの。……お母さんに、これ、届けてほしいの」  

 女の子が差し出したのは、小さな手書きの封筒だった。宛先には「天国の、優しいお母さんへ」と書かれている。


 弦の手が、止まった。周囲の喧騒が、急に遠ざかる。彼は、小さな手紙をじっと見つめ、それから女の子の頭を、大きな手で不器用に撫でた。

「……天国への送料は、高いぞ。……トナカイの燃費も悪いからな」

「……えっ?」

「……だが。……この『あかね商店街』のサンタは、一度受け取った荷物は必ず届ける。……それが、この街の『不文律』や」

 弦は、手紙を赤い袋の奥深くに仕舞い込んだ。

「……その代わり、条件がある。……今夜は、泣かずに、陽菜が出す『砂糖を入れすぎた甘ったるいココア』を飲んで、腹一杯にして寝ろ。……腹が空いていると、夢も見られんからな」

 女の子の瞳に、パッと光が宿った。

「……うん! 約束する!」

「……よし。……陽菜、連れて行け。……この子の分は、俺のツケにしておけ」

「弦ちゃん……。……あんた、ほんまに……」  

 陽菜の目にも、光るものが浮かんでいた。

「……何を見とる。……さっさと行け。……俺はまだ、この山のようなタワシを配り切らなあかんのや」


 イベントが終わり、人影がまばらになった商店街。弦は、サンタの服を脱ぎ捨て、いつもの黒いエプロンに着替えていた。店内に戻ると、カウンターで陽菜と女の子が、仲良くココアを飲んでいる。

「あ、弦ちゃん! お疲れ様! 栞ちゃん、すっかり元気になったで」

「……フン。……子供を甘やかすのは、俺の流儀に反する。……さあ、閉店や。……栞、お前の家まで送ってやる」

 三人で夜のアーケードを歩く。冷たい風が吹くが、なぜか心は温かかった。女の子を家まで送り届けた帰り道、陽菜がポツリと言った。

「……弦ちゃん。あの手紙、ほんまに届けてくれるん?」

「……アホか。天国に郵便局があるわけないやろ」

「……冷たいなぁ。……じゃあ、どうするん?」

 弦は、立ち止まり、夜空を見上げた。

「……あの子の母親の仏壇に、俺の最高級の豆を供えてくるだけや。……あの世でも、美味いコーヒーくらい飲みたいやろ。……ついでに、手紙も読み上げてやる。……声がデカいのが、俺の唯一の特技やからな」

「…………。……あはは! ほんま、へんこつやなぁ、弦ちゃんは」


 翌朝。喫茶「夕凪」には、いつも通りの静寂と、芳醇なコーヒーの香りが満ちていた。扉が開くと、腰にコルセットを巻いた茂雄が、杖をつきながら入ってきた。

「お、おう、弦……。昨日は、済まんかったな。……腰、砕けたけど、子供たちは喜んでくれたか?」

「……あぁ。……お前が用意したタワシのおかげで、この街の台所はピカピカになるやろな」

「なんや、それ!? 感謝しなはれや!!」

「……それより茂雄さん。……来年のクリスマスまでに、十キロ痩せろ。……さもないと、次は俺がお前をサンタ袋に入れて、海に沈める」

「ひぃぃぃ!! 弦、目が本気や!!」

 陽菜の笑い声が店内に響き、あかね商店街の朝が始まる。へんこつ店主の毒舌は、今日も冷たい風を切り裂き、人々の心に「熱い一杯」を届けていく。聖夜の奇跡は、案外、こんな騒がしい日常のすぐ隣に、そっと座っているのかもしれない。

「……陽菜。……ココアの粉が切れた。……さっさと買い出しに行ってこい。……今度は、砂糖を少し控えめなやつにな」

「はいはい、分かってますよーだ!! ……なんでやねん!! 甘いのが美味しいんやんか!!」


(第三十六話 了)

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