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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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ボジョレー解禁と、消えた「思い出のヴィンテージ」

 十一月。大阪・あかね商店街のアーケードには、冷たい木枯らしが吹き抜けていた。だが、商店街の面々のボルテージは、気温とは裏腹に最高潮に達していた。なぜなら今日は、街を挙げた一大イベント『あかね・ワイン&チーズ・チャリティオークション』の開催日だからだ。

「ええか、お前ら! 今日はボジョレー・ヌーボーの解禁日や! 街中の酔っ払いを集めて、景気良く寄付金をぶんどるんや……やなくて、善意を募るんやでぇ!!」  

 商店街の入り口で、真っ赤な法被にトナカイのカチューシャ(気が早い)をつけた茂雄が、メガホンを片手に絶叫している。

「茂雄さん、本音が漏れてるって! まぁ、うちの店も特製の『ワインに合うチーズケーキ』完売させなあかんし、気合入ってるけどな!」  

 陽菜が、いつになくお洒落なエプロンをなびかせ、店先に並べた即売会の準備に余念がない。

 一方、喫茶「夕凪」の店内。店主の弦は、外の喧騒をシャットアウトするように、黙々とネルドリップの準備をしていた。

「……ったく。どいつもこいつも、たかがブドウのジュースが発酵しただけの液体に、何を浮かれとるんや。……やかましい」

「弦ちゃん、そんな冷めたこと言わんといて! ほら、目玉商品の『伝説のヴィンテージ・ワイン』届いたで! 19XX年産、あかね商店街が誕生した年の奇跡の一本や!」  

 陽菜がうやうやしく掲げたのは、深い琥珀色の輝きを放つ、歴史を感じさせる一本のボトルだった。

「……あかね商店街の誕生年か。……なら、中身はもう酢になっとるんと違うか。……それより陽菜、お前がさっきから握りしめてるそのボトル、手の熱で温度が上がっとる。……商品の価値を下げるな。……さっさと冷暗所へ戻せ」

「はいはい、分かりましたよーだ! ほんま、可愛げのない男やねぇ」

 そんな、いつものやり取りが平和に(?)続いていた、その時だった。

「…………ない! ないぞぉぉぉーーー!! 伝説のワインが、消えたぁぁぁーーー!!」

 茂雄の悲鳴が、アーケードの隅々まで響き渡った。


「えええっ!? さっきまで、ここに置いてあったのに!?」  

 陽菜が慌てて戻ると、展示用のベルベットが敷かれたケースの上は、もぬけの殻になっていた。そこにはただ、一輪の「枯れた白いバラ」が残されているだけだった。

「泥棒や! これはプロの仕業やで! 警察や、警察を呼べぇ!!」  

 パニックに陥る茂雄と正蔵。

「……落ち着け、騒々しい」  

 弦が、不機嫌そうに店から出てきた。彼は、消えたワインの跡地をじっと見つめ、鼻をひくつかせた。

「……バラの匂いやないな。……これは、安物の線香の匂いや」

「線香!? 幽霊の仕業ってことか、弦ちゃん!?」  

 陽菜が、弦の腕にしがみつく。

「……幽霊がワインを飲んで、わざわざバラを残すか。……バカ陽菜。……お前は茂雄さんたちと一緒に、商店街の出口を固めろ。……犯人はまだ、この街の『酔っ払いの壁』を突破できてへんはずや」

「わ、分かった! 茂雄さん、正蔵さん、行くでぇーー!!」

 ここから、あかね商店街を舞台にした、前代未聞の「ワイン泥棒大追跡劇」が幕を開けた。犯人は、商店街の裏路地、通称「迷宮の猫通り」へと逃げ込んだという目撃情報が入った。

「逃がさへんでぇーー!! これぞ、あかね商店街・看板娘の『ワイン・キック』やぁー!!」  

 陽菜が、空のワインボトル(ディスプレイ用)を振り回しながら、裏路地を爆走する。

「待て、陽菜! お前が走ると、犯人より先に街の建物が壊れる!」  

 弦も、エプロンを脱ぎ捨て、驚異的な反射神経で路地の障害物を跳び越えていく。

「……茂雄さん、右や! 正蔵さん、左のゴミ捨て場を塞げ!」

「おう、任せとけ!」

 追いかけっこは三十分に及んだ。袋小路に追い詰められたのは、意外な人物だった。


 そこにいたのは、ボロボロのコートを着た、一人の老人だった。老人は、大事そうにワインボトルを抱え、震える手でそれを離そうとしない。

「……返せ。……それは、みんなの善意を募るための大切な商品や」  

 弦が、静かに歩み寄る。

「……嫌だ。……これは、私のものなんだ。……このワインは、私と死んだ女房が、五十年前の今日、この商店街が開業した日に……『いつか、金持ちになったら一緒に開けよう』って誓った、あの一本なんだよ……!」

 老人の言葉に、追いかけてきた一同の足が止まった。  

 老人の名は、かつて商店街で小さな時計屋を営んでいた「源さん」。数年前に妻を亡くし、今は寂しく一人暮らしをしていた。

「……源さん。……でも、これはオークションの目玉なんやで。……黙って持っていったら、泥棒になっちゃうよ……」  

 陽菜が、困ったように声を落とす。

「分かっている……。……分かっているんだ。……でも、今夜なんだ。……女房の命日で、ちょうど五十年目の……。……私はただ、彼女との約束を、どうしても……」

 源さんの目から、ポロポロと涙がこぼれる。気まずい沈黙が流れる中、茂雄が鼻をすすりながら言った。

「……あー、あー! 弦、なんとか言えや! 泥棒は泥棒やけど、これはあまりにも……人情的にアカンやろ!」

「……フン。……理屈に合わん話や」  

 弦は、ぶっきらぼうにそう言うと、源さんの手からワインを取り上げた。

「あぁっ、返してくれ!」

「……黙れ。……お前のような震える手で、この『気難しい液体』を扱えるわけがないやろ」  

 弦は、そのままワインを持って、喫茶「夕凪」へと歩き出した。


 喫茶「夕凪」の店内。弦は、カウンターの奥で、ワインオープナーを手に取った。

「弦ちゃん!? まさか、開けるつもり!? 売り物やで!?」

「……うるさい。……酢になっとるかどうか、俺が『監査』してやるだけや」

 シュポッ。  

 心地よい音とともに、コルクが抜けた。その瞬間、店内は、五十年の歳月が凝縮されたような、芳醇で、どこか懐かしい香りに包まれた。

「……奇跡や。……保存状態が、完璧やったんやな」  

 弦は、二つのグラスに、琥珀色の液体を注いだ。一つは源さんの前へ。そしてもう一つは、誰もいない、カウンターの隅の席へ。

「……飲め、源さん。……ただし、これ一杯の値段は、俺の淹れるコーヒー百杯分より高いぞ。……死ぬまで、毎日うちに飲みに来て、少しずつ返せ」

「……マスター……。……あぁ、あぁ……ありがとう……」

 源さんは、震える手でグラスを持ち、誰もいない席に向かって乾杯した。

「……おい、お前。……約束、守ったぞ。……最高のワインだ……」

 その光景を見て、陽菜も、茂雄も、正蔵も、みんなで目頭を押さえた。


「……で、弦。オークションの目玉はどうすんねん? 中身、空っぽやぞ」  

 茂雄が、心配そうに尋ねる。

「……心配するな。……俺が昨日、間違えて発注した『超特大の特製コーヒー豆・金箔入り』がある。……あれを鳳凰のように積み上げて、目玉にしろ。……値段はワインより高く設定しておいた」

「なんでやねん!! そんなもん、誰が買うねん!」

「……俺が買う。……店のディスプレイ用に欲しかったんや」

「……弦ちゃん、あんた、ほんまは優しいなぁ!」  

 陽菜が、弦の背中に飛びついた。

「……離せ、バカ陽菜! 暑苦しいわ! ……それより、源さんが飲んだ分、お前の給料から天引きしておくからな」

「なんでやねん!! それは経費やろ!!」


 夜。あかね商店街は、ボジョレーの酔いと、チャリティの熱気で、いつまでも賑わっていた。源さんは、満足げな顔で「また明日な、マスター」と手を振って帰っていった。

「……ふぅ。……やっと静かになったな」  

 弦は、閉店後のカウンターで、一人、冷めたコーヒーを飲んでいた。

「弦ちゃん、お疲れ様。……あのワイン、一口だけ残ってたの、飲んだん?」

「……飲むわけないやろ。……俺は、コーヒー一筋や」

「……うそ。……口の周り、ちょっとだけ赤いよ?」

「……これは、お前がさっきぶつかってきた時に着いた、口紅の跡や。……紛らわしいわ!」

「……えっ!? 私、口紅塗ってたっけ!? ……いや、塗ってないし!! なんでやねん!!」

 冷たい風が吹く十一月の夜。  

 あかね商店街の片隅で、へんこつ店主の毒舌と、幼馴染のツッコミが、温かい湯気のように響き渡っていた。  

 琥珀色の思い出は、新しい明日の香りを連れて、またこの街を包み込んでいく。


(第三十五話 了)

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