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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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暴走だんじりと、消えた黄金の鳳凰

 十月。大阪の空は高く澄み渡り、吹き抜ける風にはどこか金木犀の香りが混じり始めていた。だが、あかね商店街にそんな「風情」を楽しむ余裕など微塵もない。なぜなら、一年で最も血が沸騰する行事――「秋祭り」が目前に迫っているからだ。

「ええか、お前ら! 今年の地車は、あかね商店街始まって以来のスピードで駆け抜けるんや! 角を曲がる時は、遠心力で隣の八百屋の軒先をなぎ倒すくらいの気合で行けぇ!!」  

 商店街の広場で、法被姿の茂雄が鼻の穴を膨らませて叫んでいる。

「茂雄さん、人の店をなぎ倒す前提で話さんといて! 去年、うちの看板壊された修理代、まだもらってへんねんで!」  

 陽菜が、祭りの準備でごった返す人混みをかき分け、「夕凪」のアイスコーヒーをデリバリーしながら応戦する。

 喫茶「夕凪」の店内。弦は、外の喧騒をシャットアウトするように、黙々とコーヒーミルを回していた。

「……ったく。祭りと聞けば、いい大人が揃いも揃って理性をドブに捨てよる。……やかましいわ」

「弦ちゃん、そんな冷めたこと言わんといて! ほら、だんじりの屋根に飾る『黄金の鳳凰』、見た? 今年は修復が終わって、ピッカピカに輝いてるんやから! 拝んどかんとバチ当たるで!」

「……金メッキの鳥を拝んで救われるほど、俺の人生は安くない。……それより陽菜、お前がさっきから運んでいるそのトレー、傾いとる。……客に届ける前にコーヒーを零すのは、プロの風上にも置けん」

「はいはい、分かりましたよーだ!」

 そんな、いつもの軽口の応酬を切り裂くように、商店街に激震が走った。

「…………ない! ないぞぉぉぉーーー!! 鳳凰様が、おらんようになっとる!!」


 あかね天満宮の境内。だんじり小屋の前に、真っ青な顔をした正蔵と、髪をかきむしる茂雄が立ち尽くしていた。だんじりの最上部、最も目立つ場所に鎮座しているはずの、純金(という噂の)鳳凰の飾り。それが、根元からゴッソリと消えていたのだ。

「泥棒や! 祭りの前日に鳳凰を盗むなんて、これはあかね商店街への宣戦布告や!」

「落ち着け茂雄! 警察を……いや、警察より先にアイツや!」

 正蔵が指差す先、エプロン姿のまま腕を組んで現れたのは、弦だった。

「……騒々しいな。……鳳凰が消えた? ……あのデカい飾りが、白昼堂々消えるわけがないやろ」

「ほんまにないんや、弦! 掃除をして、ほんの五分目を離した隙にこれや!」

 弦は、鋭い眼光で周囲を観察し始めた。だんじりの足元に落ちた、一筋の「奇妙な跡」。そして、神社の塀に残された、小さな、だが確かな「傷」。

「……茂雄さん。……最近、この街に『新しい自転車』を乗り回しとるガキがおらんかったか」

「自転車? あぁ、そういえば……裏のマンションに引っ越してきた中学生の坊主が、やたらと派手なチャリを自慢してたな」

「……決まりやな。……鳳凰は、空を飛んだんやない。……チャリの荷台に乗せられて、この街を爆走しとる」


「待てぇーー!! 泥棒ぉーー!!」  

 陽菜が、店のアイスクリーム配送用の三輪自転車(通称:あかね一号)に飛び乗り、猛スピードで商店街を逆走し始めた。

「陽菜、待て! お前が走ると、鳳凰より先に通行人が死ぬ!」  

 弦も、いつもの落ち着きはどこへやら、近くにあった配達用のママチャリをひったくるようにして跨がった。

「……茂雄さん、正蔵さん! あんたたちは軽トラを出せ! 迷路のような裏路地へ追い込め!」

「おう、任せとけ!」

 ここから、あかね商店街を舞台にした前代未聞の「だんじり級チェイス」が幕を開けた。犯人の少年は、確かに逃げ足が早かった。改造されたマウンテンバイクを操り、人混みを縫うようにしてアーケードを駆け抜ける。その荷台には、風呂敷に包まれた鳳凰がグラグラと揺れている。

「逃がさへんでぇーー!! これぞ、あかね商店街・看板娘の意地やぁー!!」  

 陽菜が、立ち漕ぎで少年に肉薄する。

「ちょっと! その鳥はみんなの宝もんや! 返しなさい!!」

「うるせー! これは僕が見つけたんだ! 祭りのヒーローは僕がなるんだ!」  

 少年は、さらにスピードを上げ、アーケードの外、急勾配の坂道へと突っ込んでいく。

「……チッ。……ガキの分際で、無茶な走りを見せおって」  

 弦が、ショートカットを狙って狭いゴミ捨て場の路地へ突っ込む。自転車の籠に入っていたコーヒー豆の袋が、振動で激しく踊る。


 追い詰められた少年は、行き止まりの公園へと逃げ込んだ。そこへ、陽菜の三輪車がドリフト気味に滑り込み、弦が正面から道を塞いだ。

「……チェックメイトや。……さっさとその鳥を返せ」  

 弦が、自転車を降り、静かに歩み寄る。

「嫌だ! 返さない! ……僕、この街に友達がいないんだ。……この鳳凰を自分で持って、だんじりの上に乗って、みんなに見てもらえたら、きっと……」

 少年の瞳には、寂しさと、焦燥が混じっていた。弦は、厳しい顔を崩さないまま、少年の目の前に立った。

「……ヒーローになりたいなら、盗品を担ぐな。……本物のヒーローはなぁ、泥にまみれて、重い木を引いて、街中の連中に野次を飛ばされながらも、それでも笑って前を向く奴のことを言うんや」

「…………」

「……お前がやりたかったのは、鳳凰を盗むことやない。……みんなと一緒に、祭りの真ん中にいたかっただけやろ」

 そこへ、息を切らした茂雄と正蔵が軽トラで乗り込んできた。

「この泥棒ガキ! 覚悟しろよ!!」  

 拳を振り上げる茂雄。

「……待て、茂雄さん」  

 弦が、その手を制した。

「……このガキは、鳳凰の『護衛』をしてただけや。……道に落ちてたのを、拾って届けてくれたんや。……なぁ、そうやろ?」

 弦が、少年に向かって小さくウィンクした。少年は驚き、やがてポロポロと涙を流しながら頷いた。


「……なんや、そうやったんか。……疑って悪かったな、坊主!」  

 茂雄が、これまた単純に、少年の頭をワシワシと撫で回す。

「よし、それならお前もだんじり引け! 今年の法被、一枚余ってるからな!」  

 正蔵が笑い、少年の背中を叩く。

 あかね商店街の懐は、深い。一度「仲間」と認めれば、過去の過ちも笑い飛ばして、うどんとたこ焼きを無理やり食わせるような、お節介な連中ばかりだ。

「……やれやれ。……一件落着か」  

 弦は、埃を被ったエプロンを払い、自分の自転車に戻ろうとした。

「弦ちゃん! さっきの、めっちゃかっこよかったで! 『本物のヒーロー』とか、どこで仕入れてきたセリフなん?」

「……黙れ。……ドラマの見過ぎや。……それより陽菜、お前の三輪車、タイヤから変な音しとるぞ。……修理代は、お前の給料から引いておく」

「なんでやねん!! 仕事で使ったんやから経費やろ!!」


 翌日。秋祭り当日。あかね商店街を、勇壮なだんじりが駆け抜ける。最上部には、再び黄金に輝く鳳凰。そして、そのだんじりを引く大勢の大人たちの中に、ぶかぶかの法被を着て、必死に綱を握る少年の姿があった。

「そーりゃ! そーりゃ!!」  

 街中に響き渡る掛け声。弦は、店の入り口で腕を組み、騒がしいパレードを眺めていた。

「……ったく。……ホコリっぽい。……コーヒーに灰が入るやろ」

 そう言いながらも、弦はカウンターに置かれた、少年のために淹れた「少し苦くて、でも後味が甘い」ミルク入りのコーヒーを眺めていた。

「弦ちゃん、最高やな! やっぱりあかね商店街の祭りは、日本一や!」  

 陽菜が、手に持ったお祝いの酒を飲み干そうとしている。

「……飲み過ぎるな、バカ陽菜。……お前が酔っ払ってだんじりに轢かれたら、あかね一号の修理代が回収できんようになる」

「もう、ほんまに可愛くないねんから!!」

 賑やかな囃子の音が、秋の空へ吸い込まれていく。へんこつ店主の、どこか温かい毒舌は、今日もこの街の「人情」という名の出汁を、より一層引き立てていた。


(第三十四話 了)

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