13.避けること
幸せだった。ずっと幸せだった。
扉を開ければ、温かい朝食と新聞を読む父と、椀に味噌汁を注ぐ母。いつも「おはよう」と二人が優しい笑みを浮かべる。
しかし、いつからか小さなヒビが入った。それは次第に大きくなり、気付いた時には遅かった。
だから、その日は「いつも」と違った。胸がざわざわした。扉を開けたくなかった。
だから____。
がばっと勢い良く、布団ごと上半身を起こした。べったりと寝巻きが体に張り付き、首元に手を当てれば、汗で濡れた。
頭を搔いて、気だるげにベッドから出ると、そのまま共同スペースにある台所に向かった。
水を飲んで気持ちを落ち着かせていると、後ろからガチャリと音がした。入ってきたのは雅樂だった。
「んぁ?八千代か……って凄い汗だな、おい」
「安心してよ。水分補給は今してるわ」
涼し気な顔で、二杯目を飲み始める八千代に、雅樂は頭を片手で搔き、持っていたタオルで八千代の頭を軽く覆った。
「ちょっ、ちょっと!」
八千代は抗議しようとしたが、タオルと髪の毛で隠され、雅樂を見やることは出来なかった。
「昔な、婆に教えられたんだよ」
「何を?」
「嫌な夢見た時は、温かいもんでも飲んで、落ち着けって」
「……」
何もかも見通された八千代は、ただ黙った。こいつは勘が良い、と思いながら、されるがままにされていた。
「体くらいは拭けよ」
八千代の頭にタオルを置いたままにすると、冷蔵庫から牛乳とココアパウダーを出し、二人分のホットココアを作った。
ココアを受け取った八千代は、その甘さに喉を潤すと、心做しか気持ちが落ち着いた気がした。
僅かに沈黙が落ち、先に飲み終わった雅樂が、「早く寝ろよ」と言葉を残して台所を出た。
ぴっちりと閉じられた扉に向かって、八千代は言った。
「……おやすみなさい」
□■□
戦闘機械に奮闘するも、既に二日経った。
「核心を突く一手が、なかなか出来なくて」
「それは大変ね」
奮闘する劉牙を目で追いながら、幸太郎は八千代と、笑談と愚痴を零していた。あくまで、休憩も兼ねてだが。
八千代は度々、幸太郎の元へ遊びに来ていた。全く持って暇では無かったが、同期として成長過程を見たい、という欲で動いていた。
「私、あまり銃は分からないけど、どっちとも無駄な動きが多いと思う」
「例えばどんなとこが?」
その場から立ち上がり、「借りるね」と木刀を持ち、機械の電源を入れた八千代は、木刀を構えた。
素早く繰り出される攻撃を五発程的確に避け、カーンと機械の頭に一撃を入れ込んだ。機械はそのまま動かなくなり、置物と化した。
「例えば、避けるのがギリギリなところ。タイミングを測るのは大事だけど、それは避けた後の話」
木刀を戻し、「そして」と続けた。
「どんな相手も、連続で攻撃し続ける事は不可能。それに癖を見れば、次に何が出るか分かって、攻撃で相殺も出来るわ」
「つまり、避けときゃあいいんだろ?」
いつの間にか話に聞き入っていた劉牙が、口を挟んだ。
「それは要約し過ぎだけど、大体の意味合いでは合ってるわ」
「ふーん」
劉牙はそれだけ返すと、再び電源を入れて鍛錬を再開した。ただ、避ける回数が増え、劉牙なりに話を聞いていたという証拠だった。
その時、鍛錬場のドアが開き、雅樂が顔を出した。それに気付いた八千代は、上着を持って小走りに言った。
「二人とも頑張ってね」
去り際に雅樂は、会釈をして扉を閉めた。それを見届けた幸太郎は、伸びをして鍛錬を再開した。
八千代のアドバイス通り、避ける事を意識して動いた。それによって余裕は出来たが、癖を見抜く事は一苦労だ、と幸太郎は感じた。
対して、劉牙は着々と感覚を掴み、癖を見抜いた。だからと言って、攻撃を仕掛けるはずも無く、ただ避ける事が上手くなった程度だった。
五十歩百歩なそれは、一時間後に劉牙が先に終わらせ、幸太郎はその三時間後に終わった。
くたくたになって壁に寄り掛かると、劉牙がペットボトルの水を差し出し、ぶっきらぼうに言った。
「飲め」
「あ、ありがとう」
戸惑いながらも受け取り、半分程を一気に飲み干した。思った以上に水分が不足していた事に、幸太郎自身も驚いた。
「……お前はよぉ」
劉牙がそこまで言った時、「あれ?」という声が重なった。
聞いた事のある声だ、と思いドアの方を見ると、冬汰が手を振りながらこっちに向かっているところだった。
「久しぶりだね。そうか、劉牙くんと一緒の班だっけね」
「そうだよ。冬汰くんは……?」
冬汰の後ろから、見慣れない服装の女が居る事に気付き、幸太郎は首を傾げた。
戦闘服ではない、清楚なお嬢様風の格好は、その人形の様な容姿に相応しく、幸太郎と劉牙は揃って固まった。
女は腹部辺りで手を合わせ、軽く会釈すると、また直立に戻った。
「初めまして、傀儡ドロテアと申します」
どこか冷たさを感じる無機質な声音は、より一層、人形っぽさを引き立たせていた。
「ぼ、僕は山田幸太郎です」
「……氷室劉牙だ」
「はは。二人とも見惚れちゃった?」
声が裏返った幸太郎と、ドロテアから目を逸らす劉牙を冬汰は茶化した。
すると、ドロテアは劉牙に少し視線を止めた。しかし、劉牙と目が合った瞬間に視線を外した。
「二人は何をしてたの?」
それに気付かない冬汰は、止まったままの機械を、不思議そうに眺めた。
「ああ、それはね……」
イレギュラーや機械の事など、諸々話すと、冬汰は「へぇ」と苦笑した。
「それは大変だったね」
「本当にね……ところで、冬汰くんは何をしに来たの?」
「ああ、僕はドロ先輩に、稽古つけてもらうために来たんだ」
冬汰が言ったドロ先輩とは、班の中での愛称であった。他にも、傀儡から取った「くーちゃん」等、様々に呼ばれていた。
「そう、だから始めましょう。貴方達も、そろそろ報告しに行った方が懸命かと」
淡々と言うと、二人分の剣を持ち、片方を冬汰に渡した。
「ちょっと、ドロ先輩!」
「大丈夫だから!じゃあ冬汰くん、もう行くね」
そう言った幸太郎は、劉牙の腕を引き、ドアに向かって歩いた。
不服そうに歩く劉牙の背中を、ドロテアはじっと見つめ、そのまま「天野」と呼んだ。
「はい?」
「氷室には、あまり近付かないように」
意味不明な忠告に、冬汰はただ頷くことしか出来なかった。




