第17話
学園に登校してから3日目に音楽科の専門授業がいよいよ始まった。
私が登校しての2日目は一般授業と主な授業の説明であった。
一般授業は普通の高校とそこまで変わらない内容になっていて国語・数学・英語・社会・理科といったものに加えた体育・保健や総合的なパソコンなどを学ぶその他の授業がある。
ただ専門学科だけあってこれらを一年ごとに全て習うことは難しく、4つの学科の中では一般教養はやや遅れを取っている。
数学や家庭科の授業は主に2年生までで、理科は3年に上がると授業数が週一と格段に減っていく。
だから将来は医者や薬剤師やといった理系の仕事だったり、頭脳派の仕事は普通科や国際科に行く者が多い。
その代わりに音楽科や芸術科はその手の知識と技術を徹底的に学ぶため希望者も多い。
しかし受け入れ人数が普通科と国際科よりも少ないためか偏差値は以上に高いのだ。
2日目の一般授業は先生との自己紹介の時間とこれからの授業の仕方で終わったため実質まだ何も進んではいない。
今日の専門授業も恐らく同じだろうがどんな授業かを知ることが実はとてもわくわくしていた。
前世では高卒、音楽知識は独学で良く新人の時は馬鹿にされたのを思い出す。
こんなのも分からないのか、と言われた日には徹夜で知識を全て頭に詰め込んだ。
普通音楽家になる人は音楽大学を卒業していたり、幼い頃から習い事をしている者が多い。
実際現実では、そうであっても音楽家になれなかった者がほとんどだ。結局才能がものを言うとはこの事だ。
何も無かった私は運良く才能だけで上がってこれたがプロの道は自分で思っている以上に険しくて、何度も挫折をした。
その時思い知らされるのが、圧倒的な勉強不足だ。努力が足りなかった。
努力をしていても才能がなければ認められない。
才能があっても努力していなければ前に進まない。
努力と才能は紙一重だ。だからこそ、音楽家になるためには専門の知識が必要不可欠だ。
それがなんと、大事な知識は高校で学べるとはなんたる僥倖。
内心嬉しくてしょうがない。
そんなこんなで始まった音楽の専門授業は何から何までわくわくものだった。
もちろん最初の授業なためか、内容は先生との自己紹介や内容説明だ。
授業説明中は渡された教科書に読みふけっていた。
参考書よりも分かりやすくて驚いた。
つい授業中に読みふけってしまい初っ端で先生に怒られるという恥ずかしい思いをしてしまった。
それでも、この幸せを噛み締めずにはいられなかった。
「なんだか紫苑、今日は朝からご機嫌だね。何かあった?」
お昼休みの時間、そんな私を水紋は不思議そうに見つめて聞いてきた。
「なんか授業が楽しくてさ」
ニヤニヤ顔でそう返答すると、水紋は更に不思議そうな顔をした。
「まだ自己紹介と授業説明くらいしかやってないよ。内容も難しいことだらけで疲れちゃうよ。紫苑も物好きだね…」
「そうかな?色んなこと知れて言いじゃん」
「確かにそうだけど……、だんだん慣れてくれば楽しくなくなるよ」
「そんなことないよ!は〜次の授業も、楽しみ」
「次の授業は2時間続けて専攻授業だね。作曲専攻は紫苑だけだから頑張ってね。」
「え?」
「ん?」
水紋の思いがけない言葉に一時思考がついて行かなかった。
「え?なにそれ?」
「知らないの?昨日帰りのホームルームで先生が説明してくれたじゃん。」
全然聞いていなかった……
困惑した表情で昨日の記憶を遡っている私は見て察したのか、水紋はジト目で見てきた。
「もしかして、聞いてなかったの?」
その質問に、私は素直にはいっと小さく零した。
それを聞き取った水紋は、途端にぷっと吹き出して笑いだした。
「なんで笑うの!?」
なんだか途端に恥ずかしくなってきて慌てる。さっきの会話で面白いところなんてあったかと疑問に思いながら、何か失語してしまったかと脳内を巡らす。
私があたふたしているうちに笑いが治まった水紋は、笑い涙を手で拭いながら深呼吸をした。まるで落ち着かないとまた笑いだしてしまいそうな様子で。
「ごめんごめん、なんか意外だったから」
「意外?何が?」
「紫苑ってなんでもしっかりしてて真面目そうなイメージがあったから…意外と抜けてんだなーって」
「私ってそんなイメージあったの?」
正直驚きだ。
真面目なんて言葉は私とは一生無縁な言葉だと思ってたけど、まさか他からはそう思われてたなんて夢にも思わなかった。
「だって紫苑、制服きっちり着すぎだよ?スカートも膝下まであるし、ブレザーちゃんとボタンまで止めてて真面目な雰囲気が出てる。もともとの顔と合間って清楚なお嬢様って感じに見えるよ」
そう言われて、自分の姿を見てみる。
確かにそう見えなくもない…
「だって初日から着崩したらなめられると思って。高校は先輩後輩の格差社会が厳しいって聞いたよ?ちょっとでも先輩に目をつけられたらカモられたりパシられるたりするらしいし」
「いつの時代の話かな?」
そう言われてみれば、他の1年生は皆スカートが短かったり、メイクをしている子も沢山いた。制服なのにおしゃれだ。
「制服、着崩してもいいんだ…」
「別にここの校則そこまで厳しくないよ?」
知らなかった…
学校なんてほとんど通ったことがなかったし、ましてや制服でオシャレなんてこともした覚えはなかった。
前世は中学まででブレザーも初めてだ。
(高校生ってなかなか難しいな…)
「本当に箱入りお嬢様なんだねー」
「あはは、そうみたい」
案外私は、思っていた以上に世間知らずなのかもしれない。
「ところで、専攻授業ってなにするの?」
「え、そこから?」
****
午後の専攻授業が始まり、私は指定された音楽室に移動して中で待つことになっている。
水紋から先程聞いたところ、この音楽家にはいくつもの専攻に別れている。自分が専門に学ぶ分野ごとに学ぶことができる主科レッスンで自分で入学前に申し込んだやりたい分野の授業がここでは学べる。
希望アンケートみたいなのに作曲と書いたことを思い出すが、あれは希望専攻申込書だったらしい。
しっかり読まなかった私の落ち度だ。
実はこれは各分野が決まってある訳ではなく、その年にその分野を専攻した生徒がいなければその授業はなかったりする。
今年の専攻はピアノ専攻とヴァイオリンなどの弦楽器専攻、吹奏楽で主に使われる管楽器専攻、声楽専攻、チェロのある古楽器専攻、水紋のいる琴や三味線などを弾く伝統楽器専攻、そして私のいる作曲専攻の7つの分野に別れた。
他にもハープだったり指揮だったりとその年によっては存在する。
教室もその人数によって決まる。
この学校には広い音楽室が4つに個室型の教室が6つ存在する。
私の入る作曲専攻は私1人のため、個室型の部屋で先生とマンツーマンで授業を行うことになるのだ。
それにより、私は今一人で教室の中で待機中である。
教室は個室だけあってとても狭い。大きなグランドピアノと移動式のボードだけでスペースはほぼ埋まっていた。
授業時間3分遅れで足音と共に誰かがやって来た。
「ごめん、遅くなったね」
そう言って入ってきたのは、50代くらいの男性の先生だった。物腰は柔らかそうで優しい先生という印象だ。
そこまで老けているというわけでわないが、目じりのシワがくっきりとしていた。
「いえ、よろしくお願いします」
「うん、今年の作曲専攻は君だけか。よろしく」
先生は壁に立てかけていたパイプ椅子を持ってきて座ってっと言いながら私の近くに置いた。
言われるがままに座ると、先生はホワイトボードの横に立った。
「私がこれから作曲専攻で君に作曲の有無を教えていく徳島玄信です。他にもハープの専攻も請け負っています。指揮の方にもたまに教えに行っています。今年の1年生は一人だけだから、じっくり2人で進めていきましょう」
「はい」
「まず最初に、あなたの今のレベルを知りたいと思います。あなたの実力は受験に素晴らしい評価を貰ったそうですが、私は生憎とあの場には居なかったので今ここで何か弾いてみてください。」
それは随分な無茶ぶりだと思う。
まだ入学して数日の新入生に初の時間で実力を見極められるとは流石に私も思わなかった。
優しそうに見えて実は凄く厳しい先生なのかもしれない。
それに、何か、とは既存の曲でも自分の作った曲でもいいと言うことになる。
作曲家を目指すものならピアノはできて当たり前で楽譜がなくても弾けるものの一つや二つは必ずある。
だがここで求めているのは私の作曲の実力。ただ作曲作りに興味を持っているのだけでなく実際に自主的に作っているという行動力。
明らかに私を強気で試しているようだ。
「分かりました」
乗ってやろうじゃない!
対して私も強気に出ることにした。
実力を試される瞬間は、いつだって分岐点だ。
私はすぐさまピアノの椅子に行き、椅子を調節して座る。
先生はその間に椅子を私から一番離れた壁に椅子を立てて座った。
「じゃあ、弾いてみて」
その声とともに、私はピアノに意識を集中した。指の先に神経を集中させて、鍵盤を叩き始める。
その瞬間から私は宇宙を駆け抜けた。
テンポは遅く早く、常に一定ではなくも繋る星のように。
季節を巡るような感覚で。
私は今即興で一つの曲を演奏していた。
朝に見た桜並木の景色を思い出しては空を飛ぶ感覚を想像した。
ただただ自由に弾いたのだった。
前世でよく、私の作った曲を恐ろしく思うものと、素晴らしいと評価するものに別れた。
どこまでも自由な私を音楽への冒涜だと言う者もいた。
人の価値観は人それぞれで、音楽はいつだって人の奥底の根性を浮かせてくる。私の曲を聴いて感情に揺れが生じればそれは心に響いた証拠。
つまりこれは、挑戦状だ。
実施に弾いた時間はほんの3分程度。わかりやすい終わり方で演奏を終えた。
演奏が終わって余韻に浸っていると、横から拍手が聞こえた。
「お疲れ様」
先生はそう言って拍手をしながら近づいてきた。その表情は笑顔だが少し固いように見えた。
「ありがとう。すまないね、少し君と力を試させてもらった。これからもたまに私の前で演奏して、これからの授業の成果を見せてもらいます。」
「わかりました」
「うんそれと、良かったよ。君の曲、悪くない」
どうやら受け入れられたようだ。話のわかる人間で良かった。
「ありがとうございます」
そんなことを考えながら愛想良く笑って見せる。
「それじゃあ今から、これからの授業の大まかな説明をしていこうか。ホワイトボードの前の席に移動しようか」
「はい」
そんなこんなで、今日の専攻授業は終わりを迎えた。
****
怪物を見た
そんな言葉が一番あっているのかもしれない。
放課後の職員室で、徳島玄信は先程の作曲専攻の授業でことを考えていた。
玄信は今まで50年間音楽に携わり続けてきたが来たが、怪物と呼ばれる者たちにあったのはたったの4回だけであった。
4人はみな、世界的にも有名な音楽家たちで、若くしてその才能を早々に表に出し、知らしめた。
彼らの才能は異質と呼べるもので、普通の才能とはどこか味が違っていたのだ。
鬼才と呼ぶに相応しいだろう。彼らはみなどこか感覚が麻痺していて、見ている世界が私たちとは異なっていた。
今まであったどの才能の中でも玄信が一番恐れた才能だ。
彼女はまさにそれであった。
今日は新入生の作曲専攻の初の授業で私は先生として教えることになった。生徒数は1人。
雪織紫苑という女子生徒である。彼女は密かに教師陣から一目置かれる存在であった。それもそのはず勉学、技術共にずば抜けた点数を叩きだし、首席をとった生徒だ。
にも関わらずそれを知っている生徒が居ないのは、彼女が首席ながら入学式に出なかったからである。
それを知って急遽、試すような形で雪織には演奏してもらった。
彼女も考えたのだろう。しっかり自分で作曲したであろう曲を演奏していた。
だが一番驚いたのはその場での瞬時の即興とその曲のレベルの高さであった。
彼女の曲は雄弁と伝えていた。
自分を認めろ、と
これでは認めざる負えない。演奏は荒々しかった。テンポもどこか乱れていた。だがそれすらも作られたかのような繊細さを感じた。
そして同時に自分の中で高揚感が生まれた。
世間は彼女の演奏をどう感じるのだろう。
そんなワクワク感を認めざるおえない。
そして気づく、私こそ彼女に試されたのだと。
これから先、この音楽の世界で彼女がどう起爆して行くのか楽しみである。
玄信は職員室で、授業の資料をまとめながら密かにクスりと笑ったのだった。




