雪織家次男の事情3
次の日、俺たちは学校へ行くために車に乗った。
どうしても姉には聞きたいことがあったため、俺は穂積に話をつけて同じ車に乗った。
そして何故かこの前からあいつは、俺の事を弟と呼ぶようになった。
嫌だからやめろと言えば、俺が名前で呼ぶなと言ったのだろと返された。
姉の演奏を初めて聞いた時に、俺はカッとなって確かに名前で呼ぶなって言った。
もともと"あんた"とか"ちょっと"とかそんな呼び方で話しかけられていた。
それ以上に姉とは一切口を聞いていなかった。
でも、弟って言われるのもそれはそれで嫌である。
それに加えて身長のことまでバカにしてきた。
くそ、イライラする...
そんな俺を他所に、楽しそうに車の外の景色を眺めては、なにがそんなに楽しいんだか分からないがニヤニヤしていた。
先週の学校であいつは大きな恥をかいて、当分は学校に行かないものだと思っていた。
それが今では何事もなかったかのような言動だ。
そんな事を考えながら無意識に姉の顔を見ていると、俺の視線に姉が気付いた。
おもむろに、今がその時だと感じた。
「お前さ、ピアノを弾くの好きか?」
姉の演奏を聞いてからずっと聞いてみたかった事だった。
でも、直ぐに正気に戻って自分が馬鹿な質問をしてしまったと思い、結局聞き出さずに話を止めてしまった。
「好きに決まってるでしょ。ピアノっていうよりは、音楽を奏でることは私にとって最も幸せになれる事だから。あんたもそうでしょ?なんてったってピアニストになるんだもんね。」
姉は笑って、質問の答えを話してくれた。
純粋に音楽が好きだと、俺の目を見てハッキリと答えた姉の目に嘘は内容に感じた。
俺はどうしても、姉の言葉にしっかりそうだと、俺も音楽が好きだと、口に出すことが出来なかった。
それがまた、たまらなく悔しかった。
***
「優希、あなたは将来何になりたいの?」
そう、母は昔からよく俺一度聞いてきた。
俺は幼い頃からピアニストになるものだと思っていたため、母が何度も俺に将来の夢を聞いてくることが不思議でならなかった。
いつもピアニストと言う俺に、母は嬉しいような困ったようなそんな複雑な顔を出していた。
その理由が分かったのは、そのすぐ後の事だった。
それは姉が中等部の3年生になり初めの時期。
いつもの夕食の後、みんなが寝静まる時間に俺は部屋から出て廊下を歩いている時に、ふと父の書斎から話し声が聞こえてきた。
聞く気はなかったが、その時は妙に気になって、壁越しに聞き耳を立てていた。
「あの子の、紫苑の将来が心配だわ」
「そうだな、なんとかあの子にって良い道に進んでくれればいいんだが...」
姉のことについて、父と母が話していた。
姉の素行の悪さは目立っていたため、父と母は悩んでいるのだ。
どうしようもないだろう...と、俺の中で姉への結論を心の中で囁いて俺は部屋に戻ろうとした。
「ねえ、あなた。優希をどう思う?」
部屋まで足を進めようとして、母が俺のことについて話し始めた。
これに俺はつい足を止める。
「なぜ、そう思うんだい?」
「私は、このまま優希がピアニストの道に進んでいいのかと思ってしまって...」
俺はその時、頭を何かで殴られたような気持ちになった。
「もちろんあの子は頑張ってるわ。ピアノの技術もどんどん上達しているし、譜面通り忠実に弾けている。でも、このままではあの子はこれ以上前に進めないわ。」
「そうだな、あの子が気づかない限り...」
もう聞きたくなくて、俺は部屋に戻った。その後のことは覚えてない。ただ朝になるとベッドの枕から羽毛が部屋中飛び散っていた。
とてもとても悔しかった
俺には才能がなかった
母は、俺を認めてなどいなかった。このままいってもピアニストには慣れない俺を、母は逆に心配していたのだ。
途端に俺は母がどうしようもなく憎くなった。最初からなれないのなら、なぜ言ってくれなかったのか、と。
悔しくて、悔しくて、悔しくてたまらなかった。
その日から俺は母から教えを受けなくなった。俺を諦めてる母に教わっても力は付けられないと判断した。
それ以上に諦められなかった俺は、技術力を付けて母を驚かせたかったのだ。
でも全然変わらなくて。自分になにが足りないのかも分からなくて。
そんな時に、俺は姉のあの演奏を聞いた。
直ぐに母が喜ぶ才能だと気付いた。
あの演奏は俺でも分かる。
あれは音楽の神様に愛された音だ。
だから、母にあの演奏を聞かせたくなかった。結果は聞からてしまって、案の定母ほ姉のピアノを大層気に入ってしまっていた。
姉が、母を認めさせる演奏をすることへの悔しさと、今まで自分より下だと思っていた者が実は自分の遥か上をいっていたことへの悔しさが俺の心を満たしていった。
けど少しだけ、俺はまた姉の演奏を聞きたいとも思ったしまっている。
悔しいけど今の姉なら俺に正しい答えを教えてくれるかもしれない、そう思った。
不思議なことに、俺はすでに今の姉に好感を持ち始めているのかもしれない。
「俺のピアノの練習に付き合ってくれない?」
これは、その答えだった。
混乱する姉を引きずって俺は姉に自分の演奏を聞かせて感想を求めた。
待ち合わせている時間になって、俺が演奏している間、あいつはこっそり部屋に入って暫く聞いていた。
革命は、今の俺を代弁しているように感じた。
だが暫くたって、姉の方からため息のような音が聞こえた。
それを聞いた瞬間、悔しさが怒りとともにぶり返し、気付けば鍵盤を一気に叩いていた。
「言いたいことがあるなら言って!」
姉に、失望されたのかもしれない。
また、母のように俺はダメだと言うのかもしれない。
そんな恐怖とじれったさが胸の中で渦巻いていた。
それでも答えが欲しかった。
とにかく、何も分からないままで終わりたくはなかった。
「あんたの音は、俺には出せない」
「え?」
「あんたの演奏を聴いた時、何故だか心が踊ったんだ。鳥肌が立って、胸の衝動が治まらなかった。悔しいけど、俺はあんたの演奏に感動したんだ。
それに比べて俺の演奏は......。なあ、どうしたら俺はあんたみたいに弾くことができるんだ?」
俺はついに思っていたことを全て吐き出すように言った。
姉に対して、こんなにもプライドを捨てた事を言うのはこれが初めてである。
親にも見せてこなかった弱音を大嫌いな姉に話すのは少し怖いし悔しい、けれど俺の中に昨日から何かしらの覚悟があったのかもしれない。
返事を待っている時間はとても長いと感じる。手が震えてさえきた。
姉は、最初こそ俺のいきなりの言動に困惑していたようだったが、俺の今の発言に徐々に空気が変わり、どこか怒ってるように感じた。
それは当たっていたようで、姉は俺を睨み付けた。
「優希の演奏は...上手だよ。完璧な演奏だよ。」
え?っと、おもわず漏らしそうな声を我慢した。
それ程に唐突で一瞬理解出来なかった。
俺を睨む姉の口からは、変わってしまった今の姉からは一体どのような言葉が出てくるのかと構えていたのだ。
自身の困惑と、遠回しのような姉の言い方に少しイライラが増す。
なにが言いたい...
「だから、そういう事を聞いてるんじゃな「でも、私はあんたの演奏は好きじゃない!」」
とうとう我慢できずに出した言葉を遮って姉から出た言葉は、俺を絶望させた。
ハッキリと、好きじゃないと言われた。
今までであれば音楽を何も知らないくせにと返せたが、あの曲を弾いた姉は俺の中で高く感じる存在となっている。
俺は俺の全部に意味はなかったのだと感じた。
俺に音楽の才能なんかこれっぽちもなくて、どんなに弾いてももうダメなんだ。
「優希の演奏には、心がこもってない。確かに譜面通りで完璧。でもそんなんじゃ、誰の心にも響かないよ。」
は?何言ってんだ...?
俺はまるで理解出来なかった。
「つまり、あんたの音に、あんたが居ないんだよ。」
姉は俺に詰め寄り、指をさしてそう告げてきた。言い切ったというような顔に妙に腹が立つ。
「何、訳の分からないこといってんだよ...」
姉の言葉は理解できない。何を言いたいのか分からない。
そうであるはずなのに、心は徐々に晴れていく。心の中では理解してしまっている。
分かりたくなかったことだ。
なのに驚くほど俺の中にスっと入っていく答えであった。
「あなたに私の音は出せない。そんなの当たり前じゃない。あんたは確かに人より群を抜いて上手いけど、まだまだ技術も無ければ、ピアノを弾く意味すら分かってない。ただただ譜面通り正確に弾くなんて誰でもできる。けど、今のあんたは奏者にはなれない!」
ピアニストにはなれないと母が言っていたことを思い出した。
そして、勝てないとわかっていてささやかな抵抗をこぼした。
「おまえに何がっ「何も分からないよあんたのことなんか!」」
遮られてしまった
姉は俺の言いたいことはお見通しらしい。
ますます勝てないと思ってしまう。
「私に何かを言える筋合いはないけど、あんたは何がしたいの?本当に楽しいと思って、心から好きでピアノを弾いてるの?」
そうだ...
俺は今までなんのために弾いてきたんだ?
あの時ピアノを弾くのは好きかと姉に聞かれた時、答えられなかった。
なぜなら俺自身、ピアノを楽しく引いた覚えがなかったからだ。
「俺は...」
何してんだろうな
それは、純粋な後悔だった。
心の中のどこかでわかっていて目を逸らしていたんだろう。
俺は結局プライドだけが高い子供なんだ。
そんな俺に、姉は優しく笑い掛けた。
まるで俺を安心させるようにしているようだった。
「ピアニストは、自分の思いを音にしているの。そして、音として出された思いは聞いた人間を突き動かす。奏者が鳴らす音は奏者自信にしか出せないんだよ。あなたが出すのはあなたの、あなただけの音。私に真に聞かせたいのなら、あんた自身の演奏を聞かせなさい。」
姉はそう言いながらピアノに近づき、鍵盤の一音を軽く叩く。
ポーンと鳴り出した音は、優しく繊細で酷く美しい。
きっと俺には一生出せないのだろう。
姉は笑って、「これが、私の音」だと言った。
***
姉と話したあの時から1ヶ月ほど、俺はピアノを一切弾かなかった。
ピアノを決してやめた訳じゃない。
俺は焦っていたのかもしれない。落ち着いて、違う事を考えよう。
そうしていく内に俺は見えていなかったものが見えるようになってきた。
俺は一度、ただの俺になったのだ。
そんな俺を置いて姉はどんどん先を行き、気付けば届かない所まで行ってしまっていた。
作曲家になるためにひたすら突き進む今の姉を俺はとても尊敬している。
才能以上に努力を惜しまない姉は、とてもかっこいい。
俺は俺として、次は好きに鍵盤を叩く。
大事なのは楽しく弾くこと
そうだよな...姉さん
次からは新章第2章に突入します!
いよいよ乙女ゲームの舞台となる高校生活が始まります。これまでは身内での話しが多かったのですが、次からは学校での話の方が増えて様々なキャラクターが登場してきます。
これからも彼らの青春を是非とも温かい目でご覧になってくれると幸いです。




