雪織家次男の事情2
「久しぶりだわ!紫苑ちゃんとの食事」
そう言って母は嬉しそうにいつまでもニコニコしていた。
父も分かりにくいが嬉しそうにしているようだ。
俺は未だにこの空気、というよりはこの姉の行動についていけてない。
いつもの姉なら、食事に必ず文句を言っていた上、好き嫌いが多すぎて少し食べては残していたのに、今は次々と出される食事を家族の誰よりも早く完食している。
ニコニコしながら食べているのがなんだか怖い。
「紫苑ちゃん、美味しい?」
「はい!とても美味しいですわ!」
母さんの質問に、姉がそう答えると母さんは突然泣き出した。
姉はそんな母に寄り添い、心配をしていた。
姉は今まで両親に対しても無表情で、何か頼む時だけ会話していたほどだった。
段々と顔を合わせるのも面倒になって、食事を部屋でとるようになっていた。
母はそんな紫苑とどう接していいのかといつも悩んでいた。
「お母様、今までご心配をおかけして本当にごめんなさい。紫苑は、こんなに優しい家族に生まれて幸せですわ」
しまいにはとんでもないことを言い出した。
その言葉は、今度は俺以外のこの部屋のほとんどの人間が驚いた。
アイツらしくない、何を考えてる?
両親はその言葉を信じきって、心底嬉しそうにしていた。
俺はいよいよ怪しくなって更に姉を睨みつけた。
姉がしている行動は、今までの行動からはとても考えられない。絶対に何かあるはずだ。
俺が姉のことを見ていると、それに気がついた姉が俺を見て、また困った顔をした。
俺は頭が痛くなったように思えた。
いつだって姉は、俺をいやなものを見たような目で見ていた。
姉とは極力関わらないようにしていたが、姉は俺が演奏する度に怒鳴り散らすほど俺が嫌いなのだ。
睨むこそすれど、微笑んだり、困った顔を俺に見せたことは一度たりともなかった。
ここでこれは俺はやっと、姉は本気で何か変わったのではないかと気が付いた。
「あの...「そうだわ!」」
姉が何か言いかけていたが、母にそれを遮られる。
「先程、とても素晴らしピアノの音色を聞いたのだけれど優希、あなたあんな音も出せるのね!お母さん感心したわ。もっと近くで聞きたいの。今度は私の前で弾いてくださる?」
突然の俺への母の言葉に、俺は咄嗟に言葉が出てこなかった。
「それなら私も聞こえた。優希のあんなピアノ初めてだ。メロディーも聞いた事のないものだ。お前が作曲したのか?」
父も聞いていたらしく、さらに俺は口を噤んだ。
というのも、俺は姉の演奏に未だ納得出来ていなかった。今まで才能の片鱗の欠片も見せなかった姉の恐ろしくも素晴らしい演奏に今も悔しさを感じ続けていた。
だからこそ、あの演奏を素直に姉だと言えない。
「それはその...」
「お母様!弾いたのは私です。私が作曲したものなんです。お望みならまた弾きますよ。」
そうこうしているうちに、姉は自分が弾いたと主張してきた。
一瞬俺は安堵したが、すぐにまた焦った。
「「はあ?」」
「え?」
案の定この反応だ。
今までの姉の言動からしたら冗談にしか聞こえない。
それでも、部屋の中の者たちはみな驚愕の顔をしていた。
これは恐らく、弾けたことにではなく弾けると言ったことに驚いてのことだろう。
「あー、実は今作曲にはまっていて、この家の景色を曲にしてみようかなーなんて思ったんですよ。そんなに喜んでもらえるなんて作ったかいがありましたわ本当。」
その言葉は、今度は俺をも驚かせた。
この家の景色を曲に、そう姉は言っていたが、姉の足りない頭でそんな事を思いつくはずがないのだ。
確かに作曲家は、自分の身の回りで起こったこと、もの、その時の気持ちで曲を産むことが出来るという。だがその技は並大抵の人間が簡単に出来るものでわない。
プロの作曲家か、それこそ才能ある物が見せる力だ。
姉の奏でていたあの曲は、間違いなくプロが作ったものだ。
それはあの曲を聞いていた者なら皆そう思ったはず。
姉が作ったなんて万が一にもありえない。
だが、悔しいが確かにあの曲は家の庭の景色をそのものだった。
庭園の花々の姿や色、匂い、秋の冷たくなった風もがあの音色のから飛び出していた。
今でもあの時の感動を俺は忘れていない。恐らく一生忘れることは出来ないほどに。
周りも、信じられないといった面持ちでどうしていいか分からない顔をしていた。
中には姉に怒りを覚える者もいるようだ。
「あの...なんで皆黙ったままなんですか?」
周囲の沈黙に痺れを切らした姉が不思議な顔で聞いてきた。
「あなた、いったい何を言っているの?」
真っ先に母が言った。
「そうだぞ紫苑、お前は音楽が苦手なはずだ。ピアノも上手くいかなくて結局止めたんだよ。」
その両親の言葉に姉はふと何かに気づいたような顔をしたと思えば、悔しそうな表情をしていた。
おのれの浅はかさに気付いた、はたまた認めて貰えないことに苛立ちを感じているのか、どっちにしろ今の姉の発言をまともに信じる人間はおよそ居ないに等しい。
「お父様やお母様に喜んでいただきたくて、私もう一度頑張って練習してみましたの。そうしたらこのように自らが作曲できるまでになったのですわ。
お二人にはいつか聞いてもらおうと思っていたのです。あー...良かったですわぁ...」
意を決して姉は話しているようだが、それでは信じては貰えない。俺はこの光景を、ただただ見ているだけだった。
唯一の目撃者である俺が助けるのが普通だが、俺はあいにく姉に助けてあげようなどという感情を持ち合わせていない。ましてや、まだ俺はあの時な姉を認めてはいない。
姉と極力目を合わせないように下を向き、夕食を食べ進めた。
ふと、静かになった姉の方を見ると俺はある事に気付いた。姉は困った顔をしながらその目はどこか遠くを見ていた。迷いはあれどその目は俺たちとどう接すればいいか分からないといった感情で、その上どこか人事のように見ていた。
姉と、この部屋の姉以外の人間との間に固く大きな壁があるように感じた。
誰だ?あれ......
普段の姉とはまったく雰囲気までも違っていた。
そうだ、初めから姉はどこか別人のようだった。人間こんなにも変わることはない。まるで、中身だけ取り替えられたようなものだ。
途端に俺は、姉がとてつもなく恐ろしく感じた。
そしてあの時の姉が本物だったとするならば、あれは間違いなく音楽に愛された、音楽の才能。
俺はきっと姉にもう勝てない。そう思ってしまった。
「お二人共、先程の演奏をしていたのは間違いなく姉のことです。」
そう思わず口にしていた。
周りのものはみな驚きを隠せないでいる。
俺自身、ほぼ衝動的に言ってしまって、動揺している。
言ってしまったものはしょうがない。
驚く周囲を確認しつつ、唾を飲み込む。
「僕はこの目で確かに見ました。間違いはありません。」
そういった俺に、姉は目を見開いて驚いていた。そんな姉からオレは目を逸らした。
「まあ!本当にそうなのね。まだ信じられないけれど、そうなのね、紫苑もやっと音楽の良さに気づいたのね!その上そんな才能があったなんてお母さんは嬉しいは。」
俺が言ったことによって、やっと信じ始めた母は嬉しそうにそういった。
父は安心だと言う。
言ってしまったことに後悔した。
姉を助けてしまった。しかも無意識で。
俺は今すぐにこの空間から抜け出したかった。腹の中から湧き上がるこの気持ち悪さが治まりそうにない。
今の姉に会ってから、あの曲を聞いた時から、俺はどこかおかしい。
今の俺は、とてつもなく惨めである。
もう少し弟くんのお話をお楽しみください。




