第10話
約束の時間になり、前にも来たグランドピアノのある部屋に行くと、すでに優希が中に居るようで、部屋からは鍵盤を弾く音が聞こえてきた。
あの時優希が言っていたように、私はちゃんとしっかり優希の演奏を聞いていなかった。部屋からでも聞こえてはいたが、聞こうとはしなかった。
別に聞かないようにしているわけではない。単に興味を持たなかっただけである。
演奏が止まらないように、音を立てないようにドアをあける。
こっそり観覧席に座り、優希の演奏を暫く黙って聴く。
目を瞑り、神経を演奏に集中させる。私がいつも行ってる聴き方だ。
演奏する曲はショパン「革命のエチュード」だ。曲から現れる表現は"怒り"。とても衝動的で、繊細な悲しみが見え隠れしている。この曲の難易度はショパンの曲の中でも非常に高い部類に入る。流石と言っていいが、彼は弾きこなしていた。ミスひとつ無い完璧な演奏。そう、まるでCDをかけて聴いてるかのようだった。
(心がざわざわしないんだよな...。)
どうしても生の演奏を目の前にした時の、鳥肌のたつような衝動が起きない。
確かに私は目の前で彼の演奏を聞いているはずなのに違う気がする。
つまり、この演奏には優希がいないのだ。
(勿体ない...。)
私は小さな溜息をこぼしてしまった。
ダアアアン
いきなり演奏が中断され、鍵盤が無造作に叩かれた。驚いて優希を見ると、鍵盤を叩いている彼の表情は見えないが口元は歯を食いしばっているようだった。
「あの「言いたいことがあるなら言って!」」
「どうしたの?」と言おうとして言葉を遮られた。気づかないと思っていたけど、きっとあの溜息も見てしまっていたのだろう。私が部屋にいるのも既に気づいていて、聞かせていたのだろう。悪い態度をとってしまった。ましてや、人の演奏中に溜息なんてもってのほかだ。
「ごめんね。」
「...。」
「......。」
苦しい沈黙が続いてしまった。
「あんたの音は、俺には出せない。」
「え?」
唐突に優希は言い出した。
「あんたの演奏を聴いた時、何故だか心が踊ったんだ。鳥肌が立って、胸の衝動が治まらなかった。悔しいけど、俺はあんたの演奏に感動したんだ。俺に比べて俺の演奏は......。なあ、どうしたら俺はあんたみたいに弾くことができるんだ?」
優希は私の方を、私の目を見てそう言ってきた。彼の表情には、焦りと悔しさが滲み出ていた。それを見て、何だか私は物凄く腹が立ってきた。
「優希の演奏は上手だよ。完璧な演奏だよ。」
冷静になるためそう言う。これは本心から言えることだ。譜面に忠実で、いかにも発表会の審査員が好きそうな演奏だ。テストをするなら100点だ。よく言えばの話だが。
けれど、やはり私の言葉を優希は気に入らなかったらしい、また優希の表情が険しくなった。不満そうな顔を向け、なぜ分からないのかと蔑む目でこちらを見始めた。それを見た私は、胸に留めていた言葉が溢れそうになるのを感じた。
「だから、そういう事を聞いてるんじゃな「でも、私あんたの演奏は好きじゃない!」」
気が付けば、優希の言葉を遮ってそう言ってしまっていた。
「......。」
「優希の演奏には、心がこもってない。確かに譜面通りで完璧。でもそんなんじゃ、誰の心にも響かない。」
「つまり、あんたの音に、あんたが居ないんだよ。」
私は優希に詰め寄り、優希の胸に指をピシッと指して言った。胸に留めていた言葉が勢いでどんどん出てくる。
「何、訳の分からないこといってんだよ...」
優希は目に見えて戸惑いを見せた。私はそれに対してさらに距離を詰め寄る。
「あなたに私の音は出せない。そんなの当たり前じゃない。あんたは確かに人より群を抜いて上手いけど、まだまだ技術も無ければ、ピアノを弾く意味すら分かってない。ただただ譜面通り正確に弾くなんて誰でもできる。けど、今のあんたは奏者にはなれない!」
「くっ......。」
私の言葉に、優希は下を向き、悔しそうに身をふるわせていた。
そして、優希はおもむろに口を開き何かを言おうとした。おそらく、私は彼がこれから言うであろう言葉をしっている。
「おまえに何がっ「何も分からないよあんたのことなんか!」」
だから私は最後まで言う前に遮った。
「私に何かを言える筋合いはないけど、あんたは何がしたいの?本当に楽しいと思って、心から好きでピアノを弾いてるの?」
「俺は...」
「ピアニストは、自分の思いを音にしているの。そして、音として出された思いは聞いた人間を突き動かす。奏者がならす音は奏者自信にしか出せないんだよ。あなたが出すのはあなたの、あなただけの音。私に真に聞かせたいのなら、あんた自身の演奏を聞かせなさい。」
私はそう言いながらピアノに近づき、鍵盤の1つを軽く叩く。
ポーンと音が鳴り出した。
「これが、私の音。」
私は自分の心に言い聞かせるようにそう言った。
**************
あれから優希は、両親に暫くピアノを弾かないと言ってあの部屋に行くことを控えた。けれど、彼はピアノを決してやめた訳では無いらしい。今は自分と向き合う時間が欲しいと言っていた。
そう言っている時の優希の目は、とても晴れやかだったように見える。
結局あの時、私は優希に文句を言ったあと、部屋から逃げるように出ていってしまった。言った後になって自分の恥ずかしい言動に後悔した。それに、あくまでもあれは私の言い分である。私が人に言える立場ではないのだ。
優希が言ったこと、実は前世でも何回か言われていた言葉だった。お前のように弾きたいだの、自分の気持ちは分からないのだの、言われることは皆同じだ。だから、また同じことを言われるのだと思ったらついムキになってしまったのだ。
それから、あれから2週間の自宅謹慎が開けても空けても、私は学校に行かないことにした。つまり不登校だ。両親も随分と心配していた。
学校の先生とも相談して、テストの日は学校に行くようにして、受験校は両親と先生への真剣な説得により鴻崎学園の音楽科を自己推薦で受けられることになった。テストの点数と技術次第で内心は下げないと言われた。
先生も、私の学校内でのことがあるから行かなくても大丈夫だと言っていたが、内心は厄介な生徒の相手をしなくて良くなるとホッとしてるのだろう。
中学校生活は諦めることにした。学校に行かない時間は気長に作曲なんかしてどっかのコンクールに応募でもしようかと考えている。バイトをしてお金を貯めて、作曲機材を買いたい。やりたいことは実は沢山ある。
こうして色々考えていると、なんだかんだ今の人生やり直しも悪くないのかもしれないと思えてくる。




