【EP.2】シナリオ通りならば
死神の黒衣が風もないのに揺れ動いている。銃を突きつける私の手と、死神の手は、どちらもまっすぐ彼に向いている。
これが私のシナリオを象徴する存在である、ということは嫌でもわかってるよ。
だって、ゲームのシナリオ通りならばフィカシオは序盤で死んでしまうんだから。
「どうだろうね、ルーヴァ。シナリオを演じきった先に死が待っているならば、この手で覆せばいいだろう?」
ルーヴァが薄気味悪く微笑む。
「ええ、構いませんとも。ですが、他の転生者より深く再現を成した褒美として、元の世界に『元通り』に帰還することができるのならば、どうでしょうか?」
死神の肉なき指が私の顎を撫でる。
私、猫ではないのだけどね。でも、不思議と落ち着くんだ。
だって、死の権化が私の背後に存在しているという事実が、私をひどく魅了して止まらないから。
「ねえ、がっかりさせないで。貴方は撃たれたいの?」
ルーヴァはなにも答えない。ただ、私の言葉をにこりとしながら待つだけ。
「元通りなんて片腹痛いよ。――だって、私の『元通り』は、元の世界で死ぬことだろう?」
死神が銃の撃鉄を上げる。シリンダーが動き、死を準備する。
だというのに、私の言葉を聞いたルーヴァの表情といったら、不愉快極まりないものだった。
わざとらしく白目を剥き、くちばしを僅かに開いて舌を横向きに出し、悪意を隠すこともせずに挑発してくるのだ。
だから、私は願った。
撃鉄を打ち下ろし、雷管を潰し、眼の前の気味が悪い顔面に銃弾をぶち込みたいと、願望を世界に捧げる。
一矢報い、そのあとはどうにでもなれと感情を突きつける。
願いを聞き遂げた死神は、ゆっくりと引き金を引く。
火薬が銃身で炸裂し、銃口から一直線に青い火が迸った。
結果は、まあ……予想通りだったけど。
――放った銃弾は、ルーヴァを守るように展開した青い魔導装甲によって受け止められ、弾丸は地面に落ちて虚しい音を鳴らした。
「ええ、そうですとも。貴殿の死に場所が変わるのみでございます」
ルーヴァは大げさに拍手をして、私の感情を逆撫でしてもてあそぶ。本当に、嫌な奴だ。
けど、逆に好感は持てるかもしれない。悪意を隠して近づいてくる輩のほうが、悪意を正直にぶつけてくる相手より扱いづらいのだから。
「いいよ、その傲慢さに免じて話は聞いてあげる。まず、君は私に駒としてなにを求めるか聞かせて?」
ルーヴァはニヤリと目元を吊り上げる。
「簡単な話です。貴殿ら転生者の最終目標は、自らのキャラを再現しつつ、破滅の尖兵『グラムデルス』を打ち倒すことのみでございます」
なおさら、私には協力する理由はない。
フィカシオに対してハート・ピアス――即死魔法を撃ち、生命を穿ちぬくのはまさにそのグラムデルスなんだから。
だから、「普通」ならば悪魔の誘いに乗らずに、死の運命から逃げればいいんだ。
……普通、か。
ああ、本当に、――大嫌いな言葉。
私は両親に「普通」を求められて、逸脱者として振る舞うことを許されなかった。
だから、嫌い。忌々しい拘束の言葉だ。
「興味深い。我ながら惨い条件を提示したつもりなのですが、なぜ微笑むのでしょうか?」
そっか、私はいま笑っているんだね。
ありがとう、自分では気付けないんだ。
「ふふっ、いいよ。答えをあげよう、ルーヴァ」
死神が私の喉を指でなぞる。血塗れの右腕に左手を滑らせると、乾きっていない血が手をべとりと塗り上げる。
手のひらは赤黒いだけの絵画と化した。
ベタつく「絵具」で染まった指を、自分の口に運んでゆっくりとねぶる。
赤の味は至高だった。
人が傷ついた証で、生命が流れ出してしまった痕で、自分が生きていることを示す警報の色。
その濃厚な鉄の味が、私の深奥を暴く。手に纏わりつく死の香りも芳醇で、鼻の奥を塗りつぶす。
「死ぬのが怖くないなんて言わないよ。でもね、それ以上に私は『死』という概念に惹かれてしまうんだ」
酷い臭い、生々しい臭い。人の白色が曝け出されたあとに残る香りと、彼らの残滓の色は、かつての私をどこまでも歪ませた。
でも、道徳は自ら彼らの仲間になることを許さない。
信仰が、常識が、私を縛って最後の一歩を踏み出させない。
けれど、それらの鎖が朽ち果てたならば。私の望みを、世界が叶えてくれるならば。
「だから、いまはとてもいい気分。――物語通りに振る舞うならば、運命的に私を殺してくれるんでしょう?」
「ええ、『シナリオ』に従うならば」
私は「倫理的」に死ねる。
フィカシオの兄、もしくプレイヤーの選択次第で姉となるゲームの主人公を守るために、私は死ぬことができる。
私に希死念慮はない。でも、その先を味わってみたくなるんだ。
人が「枯れた姿」が、私の心に「鮮やかな色」を教えてくれたから。
「花が散る瞬間が美しい、そう思ったことはない?」
「ああ、美しいとも。だが、それと同じくらいに、足掻く人を眺めるのも筆舌に尽くしがたい快感だと伝えておきましょうか」
そっか、君は満足できるだろうね。
「なら大丈夫、喜ぶといい。私は確かに『兄姉』を守るために死ぬのも嬉しいけど、簡単に殺されないように努力はするつもりだからね」
私の返答に、ルーヴァは少しばかり逡巡する。けれど、それも長くは続かなかった。
彼は笑う、とても邪悪で無邪気な笑顔で。
「面白い、まるで他人事のように死を語る異常者だ。ですが、死に対する恐怖は存在しないのに、なぜ抗う必要があるのでしょうか?」
「うーん、どうだろう。難しい理論はいくらでも取り出せるけど……」
私は右手に握っていた拳銃をベッドの上に投げ捨てた。
血塗れの腕を、死が纏わりつく右手を、彼にゆっくりと近づける。
さあ、私の言葉を聞いて、君が決めればいいんだ。名無しの悪魔、アン・ルーヴァ。
「結論としては、きっと私は遊びたいだけなんだ。この世界で、自らの運命を享受するために生きる。ねえ、その手伝いをしてみる気はないかな?」
――私が君の気に召したならば、この手を取れ。アン・ルーヴァ。
そう告げながら私はベッドから立ち上がって、彼の額へと伸ばした右手で下になぞってその血で汚す。
冒涜の色が、彼の漆黒の羽毛に月光を抱くための艶を与えた。その軌跡はくちばしの上部を通り、私は彼の口元を撫でて血を塗りながら遊ぶ。
「どうしたの。さぞ美味しそうに私の血を舐めていたのに、もっと味わいたいと願わないのかな?」
ルーヴァは静かに瞑目する。けれど、その肩は小刻みに震えていて、私に違和感を抱かせる。
なにがおかしいのかと彼に問う前に、私は状況が急転したことを思い知ることになるのだけど。
「背徳とは、他者に知られないことでより輝くのですがね。ウィントレス嬢」
彼は両目を開いて、瞳を右に寄せる。その表情は挑発的なものではなく、ただ単に部屋の出入り口を指し示すものだった。
その視線と言葉は、いつの間にかこの部屋に入場してしまっていた人物が存在することを教えてくれている。
「フィカちゃんが、壊れちゃった……! すごく……、なんとも言えないこと、してる……!」
ルーヴァが口にした名前と自分の持っているゲーム知識を、即座につなぎ合わせる。
彼女はさらりとした銀糸のような長い髪が美しい、月光を閉じ込めた銀の瞳が特徴の少女だ。
この国の将軍とその右腕の「レンデドール侯爵夫妻」の子息としては彼女は「長女」で、彼女には一人の「妹」がいる。
妹は言う前もなく私だ。となれば、本来プレイヤーが名前と性別を選択するゲーム主人公の名は、『ウィントレス・レンデドール』。
つまり、乱入者である我が姉は、愛しい妹が悪い虫――ルーヴァと戯れているところに迷い込んでしまった、ということだろう。
「ノック、してほしかったな。ウィン姉さま?」
「ボクはノックした。したんだよお……」
彼女は自分の顔を両手で覆い隠してはいるのだけど、目を覆うべき指は不自然にずれていて、美しい銀の輝きがこちらをはっきりと見つめている。
私はくすりと笑ってみせた。そして、ルーヴァから距離を取り、再びベッドに腰掛ける。
彼女は頬を紅葉させながらも、言葉をルーヴァに向ける。
「る、ルーヴァ! 君たち使い魔がフィカちゃん助けてくれるって言ったから頼ったけど、フィカちゃんがその、うう……」
悪魔は容赦なく傷を抉る。
「なぜか艶めかしい、と?」
「そうだけど言葉にするなあ!」
しかし、彼女が動揺している間に、私は現状に関する情報をより多く引き出さねばならない。
少なくとも、いまの私の行動は普段のフィカシオが取らないことなのだろうから、致命的に不自然だと察せられる要素は踏み抜きたくない。
そういえば、フィカシオの「ジョブ」は【ガンナー】と【ゴースト・ガード】の兼業だ。
後者が使える「カード」を使えば、周囲の残留思念のような物から手札を増やせるかもしれない。
そう打算して、【残響への接触】をウィントレスに気づかれないように詠唱する。
ゲームとしてはカードを墓場から補充する効果だ。
魔法が起動すると、フィカシオの部屋の壁を覆い尽くす量の青い「残り香」が見えるようになった。
「た、確かにすべて元通りにするとは契約書に書いてなかったよ。でもこれじゃ、ツンツンで可愛いフィカちゃんにダーティーなかっこよさが増えて、ボクが耐えられなくなるよ!」
「ならば、いいではありませんか。一応申しておきますが、我らなりの『最善』は尽くしましたので」
二人の議論は、私に好都合なことに白熱し始める。
ちょうどいい。私も少し、フィカシオという人物への理解が足りていないと、自らを啓蒙し直さなければならないから。
フィカシオから姉への呼び名は「バカ姉さま」。
私が将軍たちから命じられた仕事は、ウィントレスが【トレーサー】というジョブを十全に扱えるレベルになるまで守ること。
……そして、フィカシオとしての私は一度死ぬということ。
その他にも、様々な細かい情報が残されていた。
――いや、違う。自然と残っていたんじゃなくて、これは遺していったんだ。
だって、死に際の人間が、こんな日常的な断片を選りすぐるわけがない。家族に伝えたいことがそんなことだなんて、私には共感できないから。
「……ああ」
私の口から僅かに声が漏れる。
そう、君は選んだんだ。面白いほどに、馬鹿な選択だよ。
君がこの場にいたならば、私はきっと君が立ち上がれなくなるまで打ち倒していたに違いない。
【近いうちに現世で会いましょう。私の共犯者、ハルカ・ナミシマ】
ハルカではないフィカシオは、ここに至るまでのすべてを知っている。
ならば、そのときに君を気が済むまで問い詰めるとしようか。
……まあ、それはそれとして、だね。
「怪我人の前で醜い喧嘩をするならば、部屋から出ていってね。二人とも、だよ?」
私は二人を言葉で追い出した。情報を精査する時間が欲しかったから。
去り際にウィントレスが見せた私にすがるような泣き顔と、彼女を言い負かしたことで満足げなルーヴァの微笑みは、少しだけ私の心を暖かくしてくれた。
「死の先を求めるのは私と同じだね、フィカシオ」
他に誰もいない部屋で、私は愚痴を口にする。
さて、勉強だ。
ルーヴァだけならどうでもいいけれど、死んだ君が「再現」や「再演」を望むならば、それに応えてあげてもいいからね。
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