試し
次の日。
朝の教室はいつも通りだった。
騒がしくて、どうでもいい会話が飛び交っている。
昨日のことが嘘みたいだ。
だが、クラウドを開いた瞬間に現実に戻される。
放課後の記録。
やっぱり、抜けている。
神崎と話した部分だけが綺麗に消えている。
「……偶然、なわけないよな」
小さく呟く。
ここまで綺麗に抜ける方が難しい。
「優くんおはよー」
佐倉がいつもの調子で話しかけてくる。
「おはよう」
適当に返す。
「なんか顔死んでるよ?」
「気のせいだ」
「いや絶対違う」
こいつは本当にしつこい。
だが今回は、少しだけ都合がいい。
「なぁ佐倉」
「なに?」
「昨日の放課後、何してたか覚えてるか」
「急にどうしたの」
怪訝そうな顔をする。
当然だ。
普通こんな聞き方はしない。
「いいから」
少しだけ強めに言う。
「……普通に帰ったけど?」
「寄り道とかは」
「してないよ」
即答だ。
嘘をついている感じは無い。
少なくともチップ越しではそう感じる。
「そっか」
短く返す。
やっぱり、俺の記録だけがおかしいのか。
「優くんさ」
「なんだよ」
「クラウドのこと?」
一瞬だけ、言葉に詰まる。
「……まぁな」
否定するのも面倒だ。
「昨日言ってたやつ?」
「記録がどうとかって」
ちゃんと覚えている。
つまり佐倉の記憶は消えていない。
「お前、それ覚えてるんだな」
「覚えてるよ?」
不思議そうに言う。
そりゃそうか。
普通は消えない。
「消えるわけないじゃん」
あっさりと言い切る。
その一言が、妙に重く聞こえる。
「……だよな」
俺はクラウドを閉じる。
一つ、はっきりした。
消えているのは“記録”だけだ。
人の記憶そのものは消えていない。
少なくとも今のところは。
「優くん、何かやばいこと考えてない?」
「別に」
短く返す。
だが、やることは決まった。
試すしかない。
「ちょっと実験する」
「は?」
佐倉が変な顔をする。
「何それ怖いんだけど」
「大したことじゃない」
多分な。
俺は席から立ち上がる。
視線を教室の後ろに向ける。
神崎は、いつも通りそこにいる。
静かに座っているだけだ。
「……いいだろ」
小さく呟く。
どうせなら、分かりやすくやる。
俺はそのまま神崎の席まで歩いていく。
「おい」
声をかける。
神崎はゆっくりとこちらを見る。
「何」
「ちょっといいか」
「いいよ」
あっさりしている。
断る気は無いらしい。
「じゃあ今から話すこと、全部クラウドに上げる」
俺はそのまま続ける。
「目の前でな」
神崎は少しだけ目を細める。
「ふーん」
興味があるのか無いのか分からない反応。
「で?」
「それだけだ」
俺はクラウドを開く。
リアルタイム記録。
普段はあまりやらないが、できないわけじゃない。
「今から記録する」
わざと口に出す。
神崎の反応を見るためだ。
「優くん」
神崎が小さく言う。
「それ、意味ある?」
「あるかどうか確かめるんだよ」
俺は視線を外さない。
神崎も、逸らさない。
数秒だけ、沈黙が続く。
周りのやつらは気にもしていない。
ただの会話にしか見えていないんだろう。
「……いいよ」
神崎が静かに言う。
「好きにすれば」
その一言で、スイッチが入る。
俺はその場で記録を開始する。
時間、場所、対象。
全部を明確に意識する。
「今、神崎白羽と会話している」
わざと声に出す。
記録を固定するためだ。
「神崎、お前——」
そこまで言いかけた時だった。
一瞬だけ、ノイズみたいな違和感が走る。
視界がぶれるほどじゃない。
だが確かに、何かが引っかかった。
「……今の」
思わず呟く。
神崎は何も言わない。
ただ、こっちを見ている。
数秒だけ、静かな間が空く。
「……どうしたの」
小さく、淡々とした声。
急かすわけでもなく、ただ続きを促すだけの言い方。
「……いや」
俺は一度だけ息を吐く。
「続ける」
神崎はそれ以上何も言わない。
ただ、視線だけは外さない。
俺はそのまま記録を続ける。
だが、さっきの違和感が頭から離れない。
これはただの不具合か?
それとも——
「後で確認する」
俺は記録を止める。
それだけ言って、自分の席に戻る。
心臓が少しだけ速い。
「どうだった?」
佐倉がすぐに聞いてくる。
「まだ分からない」
俺はクラウドを開く。
さっきの記録。
今、上げたばかりのはずのデータ。
「……ある」
一応、残っている。
今のところは消えていない。
だが——
「時間の問題か」
小さく呟く。
佐倉が不安そうな顔をしている。
神崎は何も言わない。
ただ静かに、こちらを見ている。
まるで結果が分かっているみたいに。
「……やっぱり面倒だな」
そう言いながらも、少しだけ分かってきた。
これは偶然じゃない。
そして、多分——
消えるタイミングにも、条件がある。




